史上最大の反撃!(間に合え! ぼくの8ワン!)

「マスター何を召し上がります?」


対局のあと、西風荘のマスターと「資さんうどん」へゆく。


「かけうどん」


すでに、かしわの細麺、ゴボテン肉のせ、きつねのせ、を


注文していた自分はおしりの座りが悪い。


「必要なときに、必要なだけでよい」が信条のマスターは、無駄がない。


間に合っているし、間に合わせる感覚が長けていて、修正も効く。


「ハネマン必要な時に、ハネマンを作る、それが自分の麻雀」そう言っていた。


やはり、日頃が大事。


日頃から、「間に合う感覚」を。


そのためには、スリムな意識が必要だ。


:::::::::::::


オーラストップ目から、親番のトイトイ仕掛けに対応する。


③⑤⑥⑥


タンヤオでの捌き対応。


このあと、①を持ってきて、②ツモ!


超錯誤行為である。


ヒューマンエラーで、トップ目から陥落。


本当に情けない。


同卓者への謝罪を、重ね、だからこそ、全力で修正してゆく。


麻雀のことは、麻雀でしか責任が取れない。


:::::::::::::::::


その次の半荘。


オーラス。北家。ハネマンツモ、トップ。1300・2600ツモ2着。


自分は、トップ3着麻雀が多い。ブレても、ブレた先で致命傷を負わないバランスだ。


2着ぐらいなら、トップを目指して3着でよいし、ラスだけは、回避する。


33569p2456899s北


ドラは2m


ここからのハネマンを考える。


シーシャンフォン(2色同巡)がみえる。


5や6という軸になる「数。」


3つの「色。」

(正確には字牌もあるので4つの色、この場合、北家なので、北もちょっと大事にする)


そして、ピンフというシュンツの「形。」


色と、形、と数を使って、条件を満たした和了へ向かう。



一発も裏ドラもいらない。りーつもたんやおぴんふさんしょく、でおけ!


第一ツモ。6m。


きた!これはいける。!いけるぞ!ジョジョオ。


打9p


6m3356p2456899s北


ツモ中


メンホンイッツー、タンヤオ三色、をみるので、打9s。


次のツモに尋ねる。


ツモ7p


完全に、タンピン方面だね? 打9s


6m33567p24568s中北


対面がドラ色の染め手のようなので、中も北も抑え気味。


9sを持っていると、妥協5200が出てくる。


1巡目ツモの6mを信じるなら、他の可能性は控えめに、いったん場にあわせる。


字牌を抑えることで、対面の染め手が、清一色までそだってくれればよい。


自分の手牌を間に合わせるために、中をとめて、9sを打つ。


ツモ7s 直前に対面から手出しで切られた中を切る。


6m33567p245678s北


次ツモ 8p 打北


6m335678p245678s


ぱんぱんですよ。


発ツモ切り。


567→678に「数」が動いている。


ツモ3s


ピンフを複合させて、2sを切る。


6m335678p345678s


ここから5mを先にツモった場合には、それは素直にリーチを打つ。


56m33567p345678s


ツモ1300.2600 ロン和了もします。


2着には、間に合える可能性のあるリーチを打てた、ということだ。


数の動きを信じて、678の三色に!


6m335678p345678s


ちなみに、ここに6pを引くと、8pを切って、一盃口も見ます。


理由は、場にマンズが高いことと、6mが動くより先に6pがきたから。


何を引いて、テンパイをするのか?


自分ができることは全てやった。


錯誤行為から、ずっと、修正してきた。


どういう結果でもよくて、ここまでの過程が価値がある。


三色を捉えることなんてできない。


おろそかにしないだけだ。


素直に人事を尽くして天命を待つ。


ダイレクトに7mを引く。


67m33567p345678s


どこまで、間に合っていたか、の審判の時だ。



対面ラス目は、高打点。


下家親番も、前に出る。


上家トップ目は、マンズの仕掛けに対応している。


おかげでマンズが高く、58mを打たれる心配もない。


ツモ専のリーチであることが、場に符合している。


結果としては、間に合う。


ひとつ前の錯誤行為を本当に申し訳なく思いながら、8mを迎えに行く。


8mをツモり、裏ドラも乗った。


これは、ひろもと師匠の麻雀へのリスペクトを軸に、


これまでの対局で学んだことが凝縮されている。


色、数、形を大事にする麻雀。


必要な時に、必要な打点を作る麻雀。


思いあがらない麻雀。


修正する麻雀。


自分にしか理解できないたくさんのものが、詰まりすぎていて


ああ、麻雀打っていてよかったなあ、と思った。


あの時、自分は28歳で、ひろもとさんは、50歳。


そうか、自分は、20年間で師匠に近づけたのかな、と思う。


麻雀については、ただの1日も、怠けることはなかった。


出会った同卓者の皆さんのおかげで、ずっと夢中でいられた。


もし、あの頃の自分が現在の自分の麻雀を観たなら、


夢中になってもらえるだろうか?


自分にしかわからない映画のラストシーンのような8mをツモって


もう、麻雀は充分だと思う気持ちが、8割。


麻雀で学んだことを活かして他のことをやりたい。


残りの2割は、もっといろいろな麻雀を知りたい、という気持ち。


肩の力が抜けていて、現在はとても柔らかくてよい。


半荘1回なら、とても高品質な麻雀が打てる自信も少しもつことができた。








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間に合うための準備

麻雀は、間に合うためのゲームだ。


この「間に合う感覚」はとても大事。


間に合わなければ、戦うこともままならない。


間に合うために配牌を受けた時から、攻守を整える。


全体の捨て牌を軸に、自分の手牌を合わせてゆく。


攻めのエリア。守備のエリア。これらの選定。


攻守に長けたエリアが最終的な受けとなるように。


矛盾しないように、丁寧に組んでゆく。


間に合っていないものを、無理に間に合わせようとして


万が一間に合ったとしても、それでは、未来がない。


間に合っていないときには、間に合わせるように「修正する」努力を重ねたい。


ノータイムで打てないときには、だいたい間に合っていない。


うわあ、危険牌。切りたくないなあ、とおもってるときは、だいたい間に合っていない。


「いい感じ」→間に合っている。


「やな感じ」→間に合っていない。


おおむね、この理解で的は外れていないかな、と。



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感性の麻雀

席替えで 好きなひとのとなりの席になる。


学校に行くことが楽しくなる。


尊敬できる上司のもとに配属された。


会社に行くことだって楽しくなる。


大切なのは、「誰と」だ。


麻雀も、「誰と」が一番大切。


もっと、「いろいろな打てるひとと、麻雀が打ちたい」そう思い


「プロテスト」を受けようとした私に、師匠は


「あなたがよい麻雀を打ち続けていたなら、あなたの周りには


あなたと同じ気持ちの人が必ず集まってくれる。」


肩書など必要ない。


打てるひとの中に飛び込むのではなく、


巡り合った人を大切によい麻雀を打ちなさい。」と。


それを、ずっとずっと心がけている。


どんな相手でも、どんなルールでも、


打たせてもらえるだけで、それが一生懸命打つ理由になる。


同卓者へのリスペクトがないひととは、そもそも麻雀を打つことにはならないから。


いつか、自分と麻雀を打ってくれるひとがいなくなったとき、


そのときは、本当に最後だ。


そこが、自分にとっての麻雀の終着駅。


最後まで、どんな相手でもしっかりとよい麻雀を打てたなら、


それで初めて私は私の麻雀の物語を全うしたことになる。


麻雀を打てる相手が周囲にいなくなったときに、


お金をはらって、フリーに行くことはしない。


打ってもらえる価値のなくなった自分の麻雀に


お金をはらって、他人を巻き込みたくないからだ。


鮮度や品質は、損なわれたなら害になる。


麻雀にすがりつき、余生を慰める道具とすることだけは、絶対に嫌だ。


それこそ、最悪だ。

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もう、全ての手出しツモ切りをみることはできない。


仕掛けのレスポンスもよくない。


打てる回数も少ない。


経験は自分の奥底に沈み、感覚に支配される。


けれど、そのおかげで、景色は深くなった。


捨て牌の濃淡。流れ。


これまで、言語化できなかった様々な麻雀の不確定要素が、


重い深い情景として、観念として存在している。


感性に沿う麻雀は間違いなく存在している。


それは、目先の損得勘定を超越した世界。


目の前の情景に符合した打牌を重ねる喜び。


それは、自己欺瞞だよ、と睥睨しながら、


感性のまま脊髄反射の麻雀に傾倒してゆく。


これまで重ねた理屈は、全て、現在の感性の為の時間。


ひとつのツモから、見える景色は、


これまでのそれとはまったく異なってきている。


信じてもらえないかもしれないが、牌が透けて見えていた時期がある。


フリーに朝から晩まで通い詰めていた時期だ。


もちろん、論理的には説明できない。


58sに見えるのだけれど、6sが6777sの形に刺さる、と見える。


タンピン三色テンパイから、場に2枚切れの西を掴み、危険を察知、西を止める。


フリテンのぺん3pでリーチをかけて一発でツモる。3pが寝てることが確信できている。


短い期間だけれど、これは、本当。信じてお願い。www



現在、それに近い感覚に包まれることがあり、その時間は増えている。


揺るぎない一体感。


こうして、綴ってきていて


冷静に考えると、病院に行ったほうがよいのかな、とも思う。


何を尋ねられても、「そんな気がする」と答えてしまう自分がいる気がする。


記憶のほつれや劣化を、感性と置き換えてしまっていたりして。











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つまんない。でも。

「おもしろきこともなき世を面白く すみなしものは心なりけり」


気の持ちようで、楽しくもなるし、不愉快にもなる。


だから、楽しい気持ちでいるように頑張ったほうが良い。


これは、大嘘だ。オオウソ。


楽しい気持ちでいるために、嫌なものを好きでいようとしたり、


我慢をしていると、とんでもないしっぺ返しをくらう。


リアリティーのない鈍色の世界に感性が沈んでしまう。


つまんない、は、つまんない、でよい。


つまんないからこそ、生まれる喜びこそが、本物だ。


つまんないからこそ、おろそかにしないことだ。


おろそかにするなら、もう、かかわらないことだ。


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「麻雀は、もうやりつくした感があって、おなかいっぱいですね。」


そんな会話をぼんやり受け取りながら、


麻雀は、打てば打つほど作業になるわけだから、


長い季節麻雀を打っていれば、つまらなくなることは当たり前。


それは、麻雀に限らず何だっておんなじことだ。


だから、極端な話だけれど「生きている」ことだってそう。


おんなじことの繰り返しだ。


賢い人間は、それを知っていて、世に拗ねる。


自分は、賢くないので、世を拗ねるほど、生きることに誠実さはない。


世の中はモーレツにつまらないということを知っているけれど、


つまらないからこそ、感じることができる喜びがある、って信じている。


それは、本当に取るに足らない些細なこと。


誰かの笑顔だったり、思いがけない言葉だったり、


そう、魂が震えるような「ツモ」だったり、だ。


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そのオーラス。


マンガンを和了すれば、トップになる3着目。


北家 ドラ4s


88m356p13556677sに 7pを引いてのテンパイ。


88m3567p13556677s


どうしよう。


3pを切りリーチを打って、和了できれば2着。


ツモって裏1でトップ。


2sがものすごくいそう。


何よりも先に、2sをつもってきそうだ。


「一発でツモりそうだ。」


ソーズばかりに未来を感じている。


条件を満たすツモは4pと4sのみ。


今回ピンズは場に高いので、つもるなら、ソーズだろう。


2sをツモるよりも先にピンポイントで4sを引いてくれるだろうか?


そんなムシのよいことってあるだろうか?


ツモってくる牌の順番まで条件づけられている。


ツモ和了に賭けたい。


場にソーズが安い。


ツモ8sはツモ切り、ツモ5sならリーチ。


ツモ2sならフリテンリーチ。


ツモ2458pでもリーチ。


リーチを打てないテンパイは組まない。


1sを切る。


次の巡目ドラ4sをツモる。


自分の選択に牌が答えてくれた気がして、嬉しい。


平素のつまらなさは、この喜びの為にあるのだな、と思う。


この喜びがあるから、結局はつまらなくはない、のだ。


88m567p34556677s


ツモれば条件クリアだ。


このツモなら2sをツモる、その感覚を確信するよりも早く


2sを手牌のとなりに置く。


3000,6000。


こういう4sツモの突き抜ける喜びは、


バスケで、リバウンドが取れたり、とか、


ビリヤードでブレイクランナウトをしたり、とか


そういう類のピュアな喜びだ。


そうして、結果的な所感としては、


やっぱり、「麻雀は面白い」となる訳である。










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大三元

役満も他の手役と同じように、

狙うものではなく見逃してはいけないものだ。

13枚役に大三元という9枚役を複合させてゆくイメージ。


大三元に始まり、大三元に終わる、そんな一年かな、と思ったけれど

結局、和了できなかった。


東2局北家 ドラ4s

1s188p1137m発発中中

に、最後の1枚が白。

トイツが4つありなおかつそのうちの2つが約牌なので、トイトイを見る。

1s188p1137m白発発中中

南家が発を切る。 ポン 打1s

188p1137m白発発    ポン中中中

南家が中を切る。 ポン 打1p

88p1137m白 ポン発発発 ポン中中中

白がくる。打7m

マンズのホンイツよりも、形、トイトイを見る。

88p113m白白 ポン発発発 ポン中中中

ツモ1sツモ切り。

ツモ白打3m

88p11m白白白 ポン発発発 ポン中中中

もうできてしまった。

9p引いたなら、8p切って、さらにホンロートーを意識したほうがよいかしら、

なんて考えていたらこのあと、ダイレクトに7pを引き 打8p

78p113m白白 ポン発発発 ポン中中中

7sをツモ切ったなら、対面のタンヤオ三色5200点にささった。


一番好きな役。大三元。

美しい。

9枚役のくせに役満、ってあたりも控えめで好き。

半荘の打数がめちゃ減ってきているので、

大三元に出会う機会も少なくなってきている。





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修正するちから

「勉強」とは、「強いて勉める。」ことだ。


決して「楽」ではないけれど、氷解して


「知的好奇心」が満たされる瞬間の「感動」は何物にも代えがたい。


すべての事象に対して等しく「疑問」を持ち、「答え」を探す。


その真摯な姿こそ、尊い。


:::::::


午前中は、雀鬼会ルールで打つ。


そのスピードを体が思い出してきた午後の通常対局。


南2局 ドラ5p


上家親番が仕掛ける。


ノータイムで両面を仕掛けたことから、


おそらくドラを2枚は持っていると思われる。


6m手出し、7m ツモ切り。


そのあと、手出しされた3pに、止まってしまい


思わずチーの声をかける。


自分の手牌は


234m2468p567s  チー342s


しかも8pはすでに切っておりフリテン。


ピンズ2468pをどう処理するか、が命題。


3pを仕掛けたので


いや、仕掛けてしまったので


234m68p567s  チー324 チー342s



ここで、6pか8pどちらを切るか?



親の3p手出しによる手牌の動きを考えてみる。


35567pに6pを引いて、55667pへの変化。


35567pに5pを引いて、の55567pへの変化。


これが一番濃厚。


次に、ドラのポンやチーの備えて


35567pに7pを引いての55677pへの変化。


一番低い可能性として、


2355567pに2pを引いての2255567pへの変化。


これは、1pがフリテンなので可能性薄だ。


8pのほうが危険。


けれど、もうひとつ


37pと浮かせておいて、の6p引きのくっつきテンパイもある。


であれば、8pは安めだ。


もう、5秒くらい止まってしまった。


ここまで、考えて判断がつかない、どうしよう。


タイムアップだ。


考えがまとまらないまま、端にある8pに手をかける。


8pはフリテンだから。和了を取るなら6p単騎でしょ?


ひどい思考のほつれ。


1000点で、5800点の振り込みを占う、最悪な打牌選択。


「ロン!」


2355567pに2pを引いての2255567pへの変化。
これだった。
12000点の振り込み。
自分の捌きの鉄則は、「致命傷を負わない」こと。
平素なら、判断のつかないピンズは触らずに
234m68p567s  チー324 チー342s
ここから、ソーズを一枚外すだろう。
3pでうっかり止まりチーしてしまったことが失敗だからこそ、
そこから「修正」をしてゆく。
それが、6pもしくは8pを切らなければならない、と2択の選択肢となっていた。
レスポンスの悪さを猛省。
また、時間をかけてしまうことがよくないと思い、
不十分な打牌をしてしまったことも、猛省だ。
意にそぐわぬ牌を打ち出してしまったことが、ひどすぎる。
対局から5日間過ぎて、心に張り付いて気分が優れない。
瞬間的な判断。
修正する力。
それをおろそかにすることは、全てをおろそかにすることと同義だ。
麻雀に流してよい局面など、存在しない。
存在しないのだ。

              



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トリプル

ダブルチーズバーガーが高いのではない。


チーズバーガーが安いのだ。


トリプルチーズバーガーなんて、もっとお得。


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南場。南家。


捌いてばかり。


ほとんどの手組を捌くことに使っているので


いくら和了しても得点としての価値は低く、点棒は増えてはいかない。


17000点の3着、ドラは3m。


打点が欲しいので、ホンイツへ。


持ってきた中を加カンしたなら、嶺上牌に白が現れドラがもろ乗りをした。


ドラ3mと中


1223334577m  ポン中中中中


14m待ちのホンイツ中ドラ7.倍満だ。


指は10本折れている。


ドラがなければ、3900点の手組が、16000点。


三倍満は10本必要。


もう一役欲しい。


ハネマンと、倍満との差は4000点。


けれど、倍満と三倍満との差は、8000点。


あと1役あれば、24000点の和了となる。


これは、おいしい。


なので、なんとかして三倍満にできないか?


そればかりを考えていた。


欲に支配されていた。


1223334577m  ポン中中中中


もう一枚ドラを引いて、和了できる形にできないかしら?


トイトイとか、そういう役をさらに、のっけることができないかしら?


そんなことばかり考えていた。


いやあ、むりでしょ?


ドラがメンツに組み込まれ過ぎていて、この形から


トイトイを目指すとするならば、


1223334577m  ポン中中中中


ここに、先に2mや7mを引いたときに1mを切って


2223334577


とかにして、さらに367より先に45mを引くことが条件になる。


2223334477


6mを引いた。


ドラを生かすのであれば、1mを切ってドラ3mのカンに備える。


2233345677m  ポン中中中中


4枚目ドラの3mを引いたとしても、待ちは
ドラ表示牌の2m1枚と、7mになってしまい壊滅的にセンスがない。
2233345677m  ポン中中中中
もうひとつは、一通だ。
9mを引き、7mを切る。
2233345679m
1mを引き、2mを切る。
1233345679m  ポン中中中中
6mを引いた。なら、牌の変化を信じて和了しやすい変化に従うべきだ。


素直に3mを切ればよいものを、めちゃ考えてしまった。


10秒は止まっていたと思う。


素直に3mを切れば、147待ち。


2345677  123  


これでいいじゃない?


6mをツモってきたその理由は


「14mでも和了できる上にさらに、7mでも和了できるよ!」


とのお告げに他ならない。


5と7の奇数を繋ぐ偶数の6。


牌は縦ではなく、横に紡がれている。横に伸びてゆく。


この状況での和了逃しは、罪、だ。



状況的にどうしてもトリプル必要、というのでない。



「なんで、逡巡してるんだ?」


タイムアップだ。


これだけ止まってしまった以上、ツモ切りをするしかない。


1223334577m  ポン中中中中


結局、この形。


そもそも、余計に手牌をいじらなくても


南家なので、ハイテイの1役の可能性がある。


6mをツモ切りした次巡、7mがくる。


やってしまった。


麻雀は素直さが、とても大切。


海より深く反省をした。


結局、ハイテイに4mがいて、トリプルの和了となった。


1223334577m  ポン中中中中


ツモ4m。


失敗したのに、失敗にならなかった。


でも、まごうことない失敗だよね。





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感性の麻雀。数の偏り

サイコロを6回振って、均等に1から6が出るわけではない。


必ず、偏りが出る。


麻雀は色と形と数のゲーム。


偏りがでない、と考えるほうが不自然だ、と思う。


:::::


東1局、上家は7p。下家は47p待ち。


4477p678s  ポン999pポン555p


歪な形式テンパイを取った後、47の数が死んだ。


そのあと、ペン3ワンでドラ3を和了して、完全に369が強い数になった。


これは、「そう感じている」だけで、やり過ぎてはいけない。


選択肢として、369が和了しやすいことに、何の根拠も存在しないのだから。


ただその偏りを感じている以上、可能な限り寄せてゆく。


下家のリーチを受けて


555678m2344678s


このテンパイ。リーチを打たずに、49m569s引きを待つ。


369に数を寄せることで、打点が伴っていることが大切だ。


闇雲に、偏りを信じて牌を組むこともまた、怠慢だ、と思う。



555678m2346789s


9sを引いて、リーチ。ハイテイ牌で和了。


暗槓をすると、新ドラが9sカンコ乗り。36p待ちで6p和了。


メンホン369p待ち。カン3p一盃口など、とにかく369の和了しかでない。


345m125p34599s北北北


ペン3のテンパイを価値のある36pのテンパイにしたくて、2pから外す。


だが、先に6pがはいり、47p待ちに。


369p待ちの上家のメンホンに、ツモり負ける。


暗槓をすると、新ドラが9sカンコ乗り。36p待ちで6p和了。
カン3p一盃口など、とにかく369の和了しかでない。
南3局、47mのテンパイでリーチを打ち、3mで親に一発で振り込む。
そして迎えたオーラス。
このオーラス、369待ちになれば、勝算はある、と感じていた。
感じていたのか、思い込んでいたのか、は実は自分でもよくわからない。
けれど、牌がそのように動かないのであれば、それに従う所存だ。
和了すれば、トップ。
2着目からリーチ。
自分はすでに、11345m22345s789pのテンパイ。
36待ちに変化をする牌を引いたならリーチを打つつもりだった。
2m。14s。
1sを引いて、2s切りノータイムリーチ。
11345m12345s789p
2着目のリーチは69m待ちだった。
流れは、変化。
局面のあやは気づき。
固執し過ぎずに、柔らかく場に溶け込み感覚が大事だ、と思う。

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勉強会④待ちを読む。

遠い昔、「近代麻雀」は、われわれのバイブルだった。


立ち読みはしなかった。


お金を出して買い、いつも車の後部座席に置いていた。


はみ出しの何切る?符計算。


「近代麻雀」は、教科書のようなものだ。


其の紙面。飯田正人のコラム。


「愚形リーチでも、待ちを読めないひとには、


国士無双13面待ちより、多面待ちとなる。」


というような文言があった。


これを読んで、ああ、危険でもない牌でおろされることだけは、


ほんとうに、ほんとうに、いやだなあ、と思った。


麻雀は、「待ちを読む」ゲームではない。


「局面」を読むゲームだ。


相手の思考、点棒状況。手組。


「局面を読む」そのことの枝葉が「待ちを読む」ことだ、と思う。


自分は、待ちは読まない、というか、読めない。


ただ、相手の手牌構成だけは、イメージしている。


手出しツモ切りをすべて見なくても、このイメージだけで、何とかなる。


いや、イメージだけで捉えたほうが、ノイズがなく、ブレがない。


対面の親番の状況推察


東3局の親番で、点棒状況は平たく、ドラは9Pとしよう。


字牌から切り出していて、数牌が端からこぼれてくる


典型的な、面前リーチ手組。


親番は、スピードと打点が欲しい曲面なので、打点に偏重した手組とはしないだろう。


そう考えるとストレートに組んでくる。


ソーズの外側が落ちて、真ん中が落ちる。ソーズ2メンツ


マンズの外側が落ちる。マンズ1メンツ。


あとひとつは、おそらくピンズの上だ。


4pから上が、捨て牌からすっぽり抜けている。


相手の捨て牌と自分の手牌を重ねる。


自分の手牌を見ると、7Pが暗刻になっている。


ということは、相手は、7Pを使用した手牌構成ができない、ということだ。


ペン7p以外はすべて「押しやすい牌」となる。


もちろん、読みが外れることもある。


けれど、毎局参加で、局面を見つめ続けていれば、考えなくても


状況がイメージできて、通りそうな牌が浮かんでくる。


「捨て牌」は手牌の欠片。


その織りなす捨て牌の景色から、局面を観ることも、麻雀の醍醐味のひとつだ。


自分の手牌も捨て牌も、また、相手の捨て牌も、


繋がって一枚の風景画のようにみえてくる。


全体の捨て牌が、欲しがっている色と数を見つめることができれば、


攻守に長けた構成を組み立てることができる。


例えば、親リーチにピンズの上、すなわち7Pが危ない、と思えば


焦らず、ピンズ以外の色で、なおかつ、手牌を高くできる打牌選択を重ねればよい。


万が一、親リーチに7pが埋まっているケーズもあるけれど、


そうであれば他のエリアの色が必ず欠ける。


これまで、おそらく2万回ほど半荘をこなしてきて、


毎局、打牌推察をして、答え合わせをしてきた。


そこで培った感覚は、決して自分を裏切ることはない。







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感性の麻雀。勉強会③階段を踏み外さない

自分の信じるところとしての「麻雀」は、ある程度完成している、と思っている。


理由は、ちゃんと結果がでているから。そんな薄氷のうえのもの。


それは、本当に価値ある内容の対局の結果なのか?


「必要な作業に緩急をつけているだけの麻雀」の結果のスコアがよかっただけ、ではないのか?


重ねた時間によって「固くなった感性」のせいで、そう思っているのかもしれない。


勉強会では、そこの部分の精査も目的だ。


思考が、固くならないように、感性に水を。


勉強会、だからといって、平素と違うことをやってはいけない。


ただ、自分の思う平素ということが、他の人の平素とは異なっていることが問題。


麻雀は、「基本的な事柄」が大切。ここでいう自分のおもうところの「基本的な事柄」とは


合理的な判断の実践。リスクとリターンが見合っているか、どうか?


自分は、そのくらいのことは、できていて当たり前。


「基本的な事柄を一度考えてみること」は当たり前、だと思っていた。


そのうえで、そのことを踏まえたうえで、さらにどうするか?が大切。


そこからが、麻雀の本当の闘いだ、と。


「基本的な事柄」だけを重ねて打つ麻雀は、目に見えない損得勘定に支配されているようで、


打たされているようで、作業のようで、自分はそのことが辛い。


場の状況判断を迅速に。その判断に全てを賭す。


目先の損得勘定を踏まえた上で、壊して組みなおしてゆく。


最近、特に勉強会では、そういう麻雀ではなくて、


「基本的な事柄」に重きをおいて打ってみている。


ただ、現在、結果として後悔している、ということは、


勉強会、という名のもとに「自分の麻雀」に誠実ではなかった、ということ。


「基本的な事柄」を意識して、自分の感覚をおろそかにしていた、ということだ。


そのことがわかっただけでも、勉強会には価値があった。


「自分の感覚」は、とても大切。


「基本的な事柄」も大切にしながら、「自分の感覚」に従って打つ。


おそれずに、可能性を信じて力を尽くせば、未来は開ける。


感覚>基本的な事柄ではなく、感覚=基本的な事柄。


基本的な事柄を考えながら、感性に従う麻雀がよい、と、確信できた一日だった。


東2局。


親番。



形から入る手牌。端の牌と、偶数。


469m1899p1888s東北北。


ドラの周囲は不安定だけれど、東が重なったなら仕掛けても打点は充分だ。


尖牌が一枚もない。


これは、形を大切にする。


何よりも形が大切で、形を大切にしつつ、13枚役を重ねてゆく。


麻雀は、色と形と数のゲーム。


今回の手牌は、形>数>色で組む。


形→七対子、三暗刻、四暗刻、トイトイ


数→奇数のない上記形に適した13枚。ドラも1pヤオチュウ牌。


色→8sが暗刻。なので、七対子は保険。


1打目は、9m。


第1ツモが、9p。8pを切る。


暗刻が2つできて、仕掛けたくはない手組になる。


46m1999p1888s東北北。


ツモ5s→打1s


ツモ東→打5s


46m1999p888s東東北北。


ツモ2p→打6m


下家がドラ①を切る。


この巡目でのドラ①が打たれるということは、打点とスピードの主張。


自分のこの手牌。他家の捨て牌にも「全て素直に対応」する。


暗刻が完成して、面前がうれしい13枚。


東から仕掛けることができたなら、7700.


ほどなく、下家からリーチが打たれて、同巡に北が打たれた。


一発を消すこともできる北。


東より先に北が打たれた。


平素の自分なら、下家のドラの早い捨て牌とリーチを受けて、


自分自身の麻雀を間に合っていない、と思い、北から必ず仕掛ける。


瞬間、役なし、になるけれど、まったく逡巡しない。


ダブ東を持ってきた後、北が打たれる、という筋書きは


自分にとって都合のよい未来予想図。


そういう展開が望ましいだけであって、そうはならないことも多い。


思い通りにならないことへの、対応こそが麻雀の力だ。


けれど、今回は、自分の感覚よりも、理屈を優先してみた。


北を仕掛けるべき、と全身で感じているのに、その衝動を押さえつける。


瞬間和了できない下記のテンパイを踏まない、というマジョリティの結果を見てみたい。


12999p888s東東  ポン北北北。


魅力のある動きのあるイーシャンテン。


だが、目の前にあるのは、行儀のよい13枚↓


4m12999p888s東東北北。


とてつもない違和感に耐えながら、自分の麻雀を精査する。


なにか、大切なものが壊れている、そんな予感を感じながら、


リーチ者のツモ切った東を仕掛ける。


上家がドラをツモ切る。


自分は、さらに東をツモってくる。


・・・・・・・・・・・・・


結果論だけれど、北から仕掛けておけば


11999p888s東東  ポン北北北。


の18000だった。


ここで、考えることは、もし、北から仕掛けずに


都合よく、東から仕掛けてうまく和了できたときに


やはり、オタ風北から仕掛けなくてよかった、と思うかどうかだ。


きっと、北から仕掛けた結果が気になって仕方ないはずだ。



「形を信じて誠実に牌を寄せなかったこと」について、


結果うまく和了できていても、もやもやしていた、と思う。



この日の麻雀は、「基本的な事柄の遂行」のせいにして、


牌のお告げを、全てを裏切っていた所感。


つまらない麻雀を打ってしまい、やはり気分が優れない。


オタ風からの仕掛けは、階段を踏み外しているように見えて、


実は、しっかりとした足どりだ、ということ。


階段なんて、1段飛ばし、とかで登ってもよい訳だから。


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