うまく打ててないとき。「流れ」の正体。
うまく、打ててない、と感じるとき。
その様子を言葉に置き換えるのであれば、
それは、「流れ」がよくない、となる。
麻雀は、「変化」のゲーム。
過去の変化、を感じて、未来への変化として繋いてゆく。
「変化」を楽しむゲームだ。
「流れ」とは、この「変化の様子」の抽象的な表現だ、と自分は思っている。
例えば、配牌から、全然「変化」していない。
であれば、どうするか?
「ツモが効いてない。」状態。
仕掛けてみたり、仕掛けさせてみたり、
また、牌を止めて他家の動きを封じてみたり
(本来起こるであろう変化を、変化させないという変化)
「牌をツモり、手牌の13枚の形が変化する」そのこと以外の変化を仕掛ける。
動かす、変化させる、という意識で、場を捉えて
仕事をさがしてゆくイメージだ。
変化が少ないなら、変化を起こす。
(流れがないなら、流れを作る。)
その感覚を持てないと、鈍くなり、変化そのものへの対応ができなくなる。
これが、「流れがない」の正体だ。
逆に、ガンガン変化をさせて、俊敏に状況に対応できているとき、
これは、結果どうあれ、しっかり打てているとき、だ。
変化をどう楽しむか?
変化に対応できるように、準備をする。
対局後の感想戦や、考察も、次回の対局における変化に対応できるための準備といえる。
愚鈍であってはいけない。自分は、愚鈍かも、と疑い続けることだ。
愚鈍であることについて平気になると、様々なことが「足りなく」なり
やがて、自分が「足りない」ことについても気づけなくなる。
そうして、人は朽ちてゆく。
私見だけれど、「老いる」ということが、まさにそれだ。
ダーウィン曰く、「一番強いのは、変化に対応できる生物」、というのはまさに言い得て妙。
変化に対応できる感性を大切に、麻雀を楽しみたい。