決戦!まーちゃお小倉店! [麻雀]

帰省。


お世話になっているひと。


その元気な様子に会いたい。


これが一番の理由で


私のわがまま、


なかば強引にセットをたてる。


13時の待ち合わせだが、


念には念をいれて30分前に


入店して待機。


店内、めちゃきれい。


感じのよい店員さんからお茶。


10分後、開始20分前。


どいんちゃん登場。


15分後、F岡先生登場。


麻雀は準備のゲーム。


さすがにみなちゃんとしている。


あれ?


ますたぴょんがいない。


開始3分前。


おかしい!


ますたぴょんが遅刻なんてありえない。


これまで20年間そんなことは


一度もなかった。


何かあったのだろうか?


あれ?


きれいな店内に


見覚えのあるツモり方のひとが。


ますたぴょんだ!


ますたぴょんが既に


店に来ていてしかも


フリーで打ってるとは!


『ラスト〜』


ちょうど、約束の時間に


その半荘は終わり、われわれのセットが始まる。


恐るべしますたぴょん。


こりゃ、やられそうだな。


そう思いながら卓につく。


F岡先生のリーグ戦の調整も兼ねて


一発と裏のない例のルール。


大切な大切な麻雀。


ウマぶりとか、楽したり、とか


牌こぼしたりとか、


そういうのは、なし、だからね!


自分に言い聞かせる。


楽しい麻雀ばかり、打ってるから


ちゃんと打てるか、心配。


ジャブは少なめに、


ストレートを打抜こう。


今年最初の、麻雀がはじまる。


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麻雀は準備が、大切さ [麻雀]


「段取り8割やな」


保温工事を生業としてる友人は

タバコを燻らせ、そうこぼす。


仕事は、準備が大切。

準備なくして仕事の成功はない、と。


そして、準備をうまく整える為の

「準備」も生まれてくる。 

「新しい気づき」も生まれる。


麻雀も「準備」が大切だ。

限られた時間のなかで、最大限の

効果をのぞむ為に、備える必要がある。


①日頃の修練

日々麻雀について学び、基礎力を養うこと。

観戦中もメモを取り自身の教養に変える。


②引き出しの整理

自身の教養を実戦で運用しやすいように、

戦術として、ルールに合わせて整理する。


③逡巡なき打牌

対局中は、ノータイム打牌を心がける。

応手が準備できていないことは致命的。

「自分が準備できていないこと」で

他家の「時間」を奪ってはいけない。


「来てから考える」ではなくて

「来る前、に考える」こと。

それが、できるようになるためには、

とにかく「準備」が必要なのだ。


空を見上げれば、雨が振りそうかどうかくらい

分かるものだ。だから、状況を判断して

傘を準備する。

(他家からリーチがかかりそう、安全そうな

牌を予め整えよう。)

雨が降り出してから、空を見上げても

それは遅いっていうものだ。

(他家のリーチを受けて手牌のなきら

安全そうな牌を探そう。)



麻雀に限らすだけれど、

「準備」に注力してるひとは 

「気づきのちから」も強く

仕事ができるイメージだ。 





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いつか、どこかで決着を [麻雀]


現在でも、麻雀を打ちに行く


30年近く、麻雀のそばにいた。


夢中だった時間もある。


忸怩たる想いのなか、絶望した時間もある。


飛び上がるくらい嬉しかった日も、


死にたくなるくらい残念な日も、


奇跡のような牌の軌跡に、魂が震えた日も、


現在となれば、すべて尊い。


「麻雀を打ちたい」という気持ちは


もうまるで、消えかかった蝋燭の炎のように


心もとなくたよとう。


「麻雀を打ちたいとは思わない。」


けれど、麻雀を打っているみんなの空気について


いつも変わらず大好きだ。


楽しそうに、目をキラキラさせて


夢中になっているその様子を眺めていることが好き。


けれど、いつまでも、ずっと麻雀のそばにいられる訳ではない。


どこかで必ず「終焉」の時を迎えるのだろうから、


それであれば、可能な限り納得ができる「お別れ」をしたい。


いつもそういうことを考えている。


大好きな麻雀。


村田光陽さんの麻雀に、師匠の麻雀を重ねていた。


繊細で、深い麻雀。


底知れぬ静かな魅力。


2時間半の時間をかけて、村田さんのいるお店にゆく。


同卓できればウルトララッキー。


同卓できなくても、同じ店内で、


自分の視界の隅でその打牌を見つめる。


同卓できた日には、その半荘の興奮をそのまま


帰宅のロマンスカーでその打牌についてひたすら考える。


まるで、語り掛けてくるような打牌の理由について。


夢中になる感覚。


昔、師匠に麻雀を教わっているときの感覚。


もし、叶うなら、その打牌の理由を尋ねてみたい。


いつしか、自分の麻雀の旅の終着駅は、そこではないか?


自分でも気が付かないうちに、そう思うようになっていた。




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10月2日たろうさんの麻雀 [麻雀]


10月2日


朝から全力で仕事を片付けて、小走りに帰宅。


19時。


よっしゃあ!間に合った。


今日は、「鈴木たろうさん」の試合の日。


まあじゃんよつばさんで同卓させていただいた日から


わたしは、完全に「たろうさんの麻雀」が大好き。


だから、そう、たろうさんの対局だけは、


何が何でもリアルタイムで観戦したい。


あべまふかしんのツイートで、


たろうさんの試合のある日は


ばっちり把握している。


やらなければならないことは全て済ませて


観戦準備OK.


自分なら、どうするかな、たろうさんはどうするのかな?


局面に合わせた たろうさん次に選択する打牌について


自分なりにたくさんの予想を重ねる。


たろうさんの手牌と、


たろうさんの手牌からみえる世界に


厚かましくも まるで


自分もそこで麻雀を打っているくらいの感覚で


引き込まれてゆく。

『パーマンが1号からならびますよ!』

愉快な解説に思わず吹きそうになり、

『ああ、いかん、いかん』と

音量をゼロにする。

解説者の主観に引っ張られたくないからだ。

対局されている選手の打牌の理由を

常に正しく解説できているわけではない、

と私は思うからだ。


●ドラ中トイツ。


これ、たろうさん、中打たれたならば、どうするのだろう?


スルーかな?


仕掛ければ、他家の牽制にもなるし。


でも、打点と形的にどうなんだろう?


スルーして、面前でリーチを打てば


他家からは、打点が低い、と思われるかもしれない。


自分ならどうするだろう。


わたしがもたもたと、あれこれ考えているうちに、


たろうさんのリーチが入る。


まるで、それが自然のことであるかのように。


●三色の見えるテンパイ。


たろうさんなら、高め三色のテンパイにとるのでは?


②③④④


やっぱり!そうだ。


①つもっちゃえ!


この亜両面はいけるでしょう。


後は、牌山に寝ている牌の後先じゃん!


勝手にめちゃめちゃ盛り上がる。


●国士狙い


場の状況的にも、国士に向かうのは難しそう。


たろうさん、どうするんだろう。


ここから、何か応手はあるのかな?


考える。


巡目もめぐり、それにつれて和了は困難な感じ。


打てない牌も多く、テンパイも難しそうだし。


横移動・・


万が一の自身の和了もあるのかな・・・

また、もたもたと考える私。

ふわり、と


たろうさんが東を抜く。


他家を和了させる作戦?


他家が東を仕掛ける。


和了以外にもできることがある。

自分だけが損をする応手以外の

選択肢をみつける。

対局が終わる。

いやー、見ごたえばつぐん!

めちゃ興奮した!

●あきらめないこと

●打牌が見合うかどうか

たろうさんの麻雀。

わたしの大好きな麻雀。

全く矛盾のない麻雀。 

『次のたろうさんの対戦はいつだろう?』

私の日常に、ささやかだけれど

実はとても、大きな楽しみが生まれる。



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わたしたちの大切な麻雀 [麻雀]


Aさんのつぶやきが、大きな声であり、周知のものであれば、
必ず、まぁじゃんよつばさんが、丁寧に注意してくださっているはずだ。
これまでよつばさんでの対局でこのようなことは
ただの一度もないことからも、
この「Aさんのつぶやき」は
わたしにだけ発動している
Aさん本人も預かり知らぬ、三味線である。
そうなっている理由は、
わたしが、情報収集のために、
「ちからいっぱい聞き耳を立てている」からだ。
きっと。
::::::::::::::
「やられた!」
三味線だ。
激しい怒りの中、
裏返っているのではないか、と心配になるくらい
頭の後ろから声が出る。
「はい」と返事をして、点棒を払う。
ここで、わたしが苦言をAさんに伝えることは
よい選択ではない。
Aさんには、のちほど、お店のひとから
お話いただくことがよい。
ここで、わたしが問題を起こしたなら、きっと
たくさんのひとに迷惑がかかる。
世の中は理不尽なものだ。
そんなこと、驚くことでもない。
けれど、なぜ、この村田さんとの大切な大切な対局で
このようなめにあうのか。
18000点を支払い、
わたしの残りの点棒は6000点弱。
ありとあらゆる選択肢を奪われてしまった。
通常であれば、絶対に切らない6ソウ。
下家の村田さんが視界に入る。
静謐な佇まい。
そうだ、自分は現在、村田さんと同卓しているのだ。
狼狽はできない。
わたしは、深呼吸をする。
落ち着け、落ち着け。
状況を整理しよう。
起こったことは仕方がない。
問題は、これからどうするか、だ。
「ソーズはいらない」
その言葉を鵜呑みにして、ソーズを切ったのは、わたしだ。
全ての責任は、自分にある。
自分の都合の良いように解釈をして。
Aさんのつぶやきが、Aさんに有利になるように働きかけてくる
悪意を持った三味線ではないこともわかっていたはずだ。
であれば、当たり前に危険な6ソウは止めるべきではないか?
南を切って、局を送り、
Aさんのつぶやきが、打牌に対して
どのように機能しているか、を確認するべきではなかったのか?
赤5ソウはいらない、という意味で
「ソーズはいらない」とつぶやいたのだろう。
そうつぶやくことで、ソーズを取りやすくするため、ではなく。
きっと、こういうことだ、と思う。
和了できなかったときのために、言葉で保険をかけているのだ。
これはだめだ、ということで
本当にだめだったときの、自身への心理的ダメージを軽減する。
「ソーズはいらない」のつぶやきは、
おそらく、ソーズが一番欲しい、ということ。
一番欲しいソーズが埋まらなくても
自身が心理的なダメージを受けないためのつぶやきなのだ。
69ソウは、危険。
「ソーズはいらない」
の言葉云々はその景色の理由にはならない。
自分は、これまで、どれだけの捨て牌をみてきたというのか?
その膨大な記憶や経験の結果である、「6ソウ危険」という、答えを
卓上の落ちるノイズで、他人のせいにして
都合の良いように解釈するなんて、わたしの姿勢が最低だ。
私自身、テンパイを壊したくなかった。
危険な6ソウを止めて、受けることが嫌だったのだ。
だから、Aさんのつぶやきに、乗っかったのだ。
そういう部分もある。
ないとはいえない。
自分の麻雀をうえにおく、そういうとらえ方だ。
相手の言葉の意味を推察しての打牌の精査。
それが、わたしの望むもので、
Aさんの麻雀が、たまさかわたしの望む麻雀ではないだけだ。
「あなたは、あなたの好きな麻雀しか、大事にしない」
師匠の言葉が、よぎる。
わたしのなかに、Aさんの言葉を都合よく判断して
済ませてしまおう、という気持ちがほんの少しあった。
6ソウ待ちなら、57のカン6ソウにするかもしれないし
ソーズはいらない、というつぶやきには繋がらない。
また、振り込んでも12000位だろうと。
これは、甘えだ。そして
自分は、麻雀を「対人頭脳ゲーム」として理解している、という驕り。
うまぶりをこじらせているだけだ。
誤解を招く発言はよくない。
けれど、
それを理由に、麻雀の世界を歪めることは、もっとよくない。
打牌の責任は全て自分に。
誰かのせいにしたり、そんなのは、全てダメだ。
麻雀が対人頭脳ゲームであるならば、
Aさんのつぶやきも全て、読み切ってみせればよい。
わたしは、顔をあげる。
Aさんのつぶやきの仕組みは、理解した。
あとは、オーラスまで、よい麻雀となるように
自身の点棒を守りながら、対局を組み立ててゆくより他はない。
余計なことはしゃべらないほうが、よい。
このことを、将来Aさんにご理解いただくためには、
その言葉がAさんに届くくらい、想いを込めて打つことだ。
他人がどのように麻雀と付き合おうと、それを受け止め
麻雀を大切にするこころが欲しい。
下家にいらっしゃる村田さん。
対面のふかしんさん。
つぶやくことはよくないけれど、
麻雀を楽しんでいらっしゃるAさん。
この対局は、一期一会だ。
幾星霜、果てしない偶然の結果の奇跡。
同じメンツと同じ配牌には、
わたしのひとつの人生では一度しか
巡り合うことは叶わない。
村田さんの、くださった
「いつだって本番と思って打つ。」
その言葉が、脳裏をよぎる。
「大切にする。」
「どんなときも」
「卓についた以上は。」
そうだ、わたしは、まぁじゃんよつばに
麻雀の勉強に来ているのだ。
「大切な麻雀」
そう心のなかでつぶやきながら、
わたしは牌山に手を伸ばした。








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タンピン国士無双 [麻雀]

訳あって再録です。


南2局。 画像の捨て牌で、ひろりんが⑤を切ってリーチ。


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九①西9⑨五 タンピン系か、チートイ。 ドラの北を二枚持たれている可能性が高い。


我々は、必死で受ける。


ひろりんが、一発でツモらなかったということは、ロン和了狙いだ。


そして、終盤。窮して離したどいんの四枚目の東が、国士無双に突き刺さる。


48,000点。 なぜ?なぜ? この状況で国士狙いなどありえない。


我々は、狼狽え、ひろりんに問い詰める。


我々の、問いにひろりんは粛々と答える。


もう過ぎ去ったこの1局を完全に再現する。


我々の失策も露呈する。


とにかく、東場から、わしの形はよくない。牌が動いていない。


また、みんなの形もよくない。


全員の捨て牌が、そう教えてくれちょるじゃろ?


強い牌の周りが全然動いちょらん。


南場に入ってからもそう。仕掛ける絵が来ない。


特に、国士を狙う直前の1.2局は、シュンツ手を狙うことが難しいと、牌が教えてくれちょる。


じゃから、親番は、国士とチャンタとチートイ、そして国士の天秤。


何牌がツモッてみるんじゃが、強い数の周りが動かんので、


最終的には、国士無双のテンパイ。


配牌で、8種9牌じゃから、国士を狙う。


そんなのは麻雀じゃなかろう。


誰にでもできるポンジャンゲームじゃ。


そんな楽な麻雀はつまらん。 わしは、そう思う。


もっと、大きく大きく捉えなさい。


目の前にある物が全てじゃないじゃろ?


この国士も単なる結果にすぎん。


そこに至る過程を大事にしなさい。それが麻雀じゃ。


4枚目の東で、国士無双に放銃したどいん。


ドラといつのチートイも注意して受けていたが安牌がなくなり、


迷惑をかけまいと止めていた東を切る。  


今でこそ、「あの東はぬるい」と笑いながら話せるが、当時はたまったものではなかった。


ひろりんの思考を尋ねて、我々は恥ずかしくなる。


和了そのものよりも、その理由。1牌1牌が、とてつもなく重い。


ただ、牌を絞っていただけの「自分たちの努力不足を」心から恥ずかしく思った。


ひろりんが、なぜ、ノーレートで、そこまで魂を込めてくれるのか、今はとてもよく解る。


ひろりんは、我々に自分の大切な「麻雀への想い」を本気で伝えてくれようとしていたのだ。


信じられないくらいの勢いで麻雀に心酔していったあのころの私。



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タンピン国士無双 [麻雀]

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九①西9⑨五 タンピン系か、チートイ。 ドラの北を二枚持たれている可能性が高い。


我々は、必死で受ける。


ひろりんが、一発でツモらなかったということは、ロン和了狙いだ。


そして、終盤。窮して離したどいんの四枚目の東が、国士無双に突き刺さる。


48,000点。 なぜ?なぜ? この状況で国士狙いなどありえない。


我々は、狼狽え、ひろりんに問い詰める。


我々の、問いにひろりんは粛々と答える。


もう過ぎ去ったこの1局を完全に再現する。


我々の失策も露呈する。


とにかく、東場から、わしの形はよくない。牌が動いていない。


また、みんなの形もよくない。


全員の捨て牌が、そう教えてくれちょるじゃろ?


強い牌の周りが全然動いちょらん。


南場に入ってからもそう。仕掛ける絵が来ない。


特に、国士を狙う直前の1.2局は、シュンツ手を狙うことが難しいと、牌が教えてくれちょる。


じゃから、親番は、国士とチャンタとチートイ、そして国士の天秤。


何牌がツモッてみるんじゃが、強い数の周りが動かんので、


最終的には、国士無双のテンパイ。


配牌で、8種9牌じゃから、国士を狙う。


そんなのは麻雀じゃなかろう。


誰にでもできるポンジャンゲームじゃ。


そんな楽な麻雀はつまらん。 わしは、そう思う。


もっと、大きく大きく捉えなさい。


目の前にある物が全てじゃないじゃろ?


この国士も単なる結果にすぎん。


そこに至る過程を大事にしなさい。それが麻雀じゃ。


4枚目の東で、国士無双に放銃したどいん。


ドラといつのチートイも注意して受けていたが安牌がなくなり、


迷惑をかけまいと止めていた東を切る。  


今でこそ、「あの東はぬるい」と笑いながら話せるが、当時はたまったものではなかった。


ひろりんの思考を尋ねて、我々は恥ずかしくなる。


和了そのものよりも、その理由。1牌1牌が、とてつもなく重い。


ただ、牌を絞っていただけの「自分たちの努力不足を」心から恥ずかしく思った。


ひろりんが、なぜ、ノーレートで、そこまで魂を込めてくれるのか、今はとてもよく解る。


ひろりんは、我々に自分の大切な「麻雀への想い」を本気で伝えてくれようとしていたのだ。


信じられないくらいの勢いで麻雀に心酔していったあのころの私。



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ひとにやさしく [麻雀]

 人間だもの、好き嫌いはある。

あの人のここが嫌いだとか、言い出したならキリがない。

本当にキリがない。

そういう時、私はとある先輩の言葉を思い出す。

他人の嫌なところばかりが目に付いて厭世的になっていたときのことだ。 

「いいか、まあ、聞け!

人間なんていうものは、いいところもあれば、悪いところもある。

おれは、おまえの悪いところもたくさん知っているけれど、

おまえのいいところも、それに負けないくらい知っている。

いいところと、わるいところ、全てひっくるめて、おまえという

人間とつきあっている。 

人間っていうのは、そういうものなんじゃねえのか?」

・・・・・・・・・・

その通りだ、と思った。

今目の前にある自分にとって嫌なこと、は

その人のほんの一部分にしか過ぎない。

だけど、その相手のよくないところを強く憎んで

まるでそれがその人の全てであるかのように、思ってしまう、

ということの、度量のなさ、と心の狭さ。

自分に嫌気が差した。

それから、他人のいいところを大事にするように、心がけている。

こいつ、無礼で不愉快なやつだけれど、実はともだち思いだな、

とか、自分勝手だけれど、ちゃんと真剣に向き合っているな、とか。

そうすると、そういく考え方を持てると、自分の人生もほんの少し軽くなる。 

嫌いなところは、嫌いでいい。

でも、そのことと、その人の魅力を混ぜこぜにしてはいけない、と思うのだ。

それこそ、冒涜である。 

そして、本当に自分と合わないのであれば、口を閉ざしてもの言わぬことだ。 

麻雀は、そのひとの本質が出る。

自分の麻雀が正しいと信じる人のなかには、

他人の拙さを許せない人間もいる。

自分と違う麻雀を許せない人がいる。

イコールそのことが自分の麻雀が正しくないことの証明なのだけれど。 

麻雀が好きだから、あいつの麻雀は許せない、

なんて考えをもつのであれば、それは、麻雀が好きなのではなくて

麻雀を大事にしているのではなくて、

「自分の麻雀を大事にしている」ただ、それだけのハナシなのだ、と思う。

以前の自分がそうだったから。 よくわかる。

「どひっかけのリーチ」を打ちやがって!

せこい和了をしやがって!

毎回、打牌が遅い!各駅停車でイライラする!

だから、そういうお前が悪い!だから、そういうお前は嫌いだ!

ぜったい、トバシてやる! 

と。

そういう目先の感覚で相手を値踏みする人間は、

対局者のいいところ、を見つけ出すことはできない。

また、4人で打つ麻雀の魅力を知ることも困難だろう。 

返せば、自分の好みを正しいと思う麻雀を打つ限り、

麻雀では幸せになることはできない。 

同卓した以上、卓上での出来事は全て受け止める覚悟を持つべきだ。 

わたしだって、マナワルだったり、しゃみせんだったり、

私から見て、「麻雀を大切にしない人」 

そういうヤカラは好きではない。

けれど、だからといって、おろそかにしては、自分がおろそかになる。

本当に自分に合わないのであれば、同卓をしなければいいだけのはなしだ。

そして、そのひとに対して、決してものを言わぬことだ。 

人には人の都合がある。

付き合うなら、いいところも悪いところも全て含めて徹底的につきあう。

そうでないなら、口を開かない。

同卓しておいて、文句ばかり重なるなら、同卓をしなければよい。

麻雀は全て自己責任。

誰と打つのか?どういう内容となるのか?

すべて、自分の責任だ。

他人をどうこういう時間があるなら、自分の麻雀を磨くべきだ。

つかさ会のおかげで、他人の麻雀に干渉せざるを得ない時間が

本当に長く続いた。

大いなるおせっかい。大いなる勘違いの時間だった。

だけど、おかげで、他人の麻雀を以前より大切にできるようになった。

何が正解か、は分からない。

それを、同様に悩んでいる人間は、

麻雀を介して出会うことができた、大切な仲間である。

どんなに拙かろうが、「麻雀を大切にする気持ち」があれば

 必ず相通じるものはその根底にあるはずなのだ。 

 

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つきぬけ [麻雀]

なんとなく、次の日お休みだからと

調子にのると痛い目にあう。

けれど、私自身、ただプレイヤーとして

麻雀を打ちたかったのだから、まあ仕方がない。

つきあっていただいた3名には、感謝をしている。

え!ほんとに、やるの?

みたいなノリが大好きなこともあり、

なんだろう、打っている途中に幸福感に包まれた時間もあった。

自分が、自分の麻雀を楽しむために、打つ麻雀。

つかさ会よりも、すこしギアをあげて

攻め気味に打っているつもりだったけれど・・・

一二五八九①③⑧⑨⑨1234

ドラ五ワン

南家、こんな形から、浮かれて

ドラを確認せずに切り出す。

開局刹那から、こんなありさまで、結局点棒はチョーマイナス。

いつも、我慢している牌を、少し強めに押して

8000点を振り込んでも、12000点を取り返す!

という麻雀を打つつもりだったのだけれど、

まったくドニモナラズ。

ドラクエでいうところの「ガンガンいこうぜ!」な麻雀はつかさ会では打てないから。

そう思ってはいたのだけれど、

なんだか、予想していたそれとも違う違和感が、新鮮だった。

一枚抱える受けの牌を攻撃の牌に変える、そのことで

とんでもなく深いところまで落とされてしまうのだな、

という麻雀の「ままならない」おそろしさを思い出させてもらった。

ある意味、本当に突き抜けた。

DSC_1905.jpg

本編とは、まったく関係ありません。

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つかさ会。どようび。

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ひとにやさしく [麻雀]

麻雀の定石にのみ価値があるなんて思ったことはない。

基本的なことは、それが必要だ、と個人が望むのであれば学べばよい。

私は、「麻雀を勉強したい」と依頼されない限り、

他人の麻雀に口出しなどするつもりはないし、したことはない。

その打牌が、麻雀と対局者を大切にしているのだ、

と分かるものであれば、何の不満もない。

リーチに無スジを切っても構わない。

真剣な重い一打であれば、振り込んだって尊い。

逆に、本から拝借したような、浅知恵の一打は、胸糞が悪い。

麻雀の価値は、心に響くか、どうか。

それ以外にない。

よい麻雀は、凛凛しくて、粛々としていて、そしてやさしいのだ。

もう一度、あなたと、打ちたい。

そう思う人間がいること。そう思ってもらえる人間がいること。

それに勝るしあわせなど、ないだろう。

ちなみに、私は、賭けた麻雀は博打だと思っている。

私にとって賭けることの目的は、お金だからだ。

お金を持ってかえることが、至上の目的。

博打の麻雀には、博打の麻雀の理がある。

金がすべて。

それを間違っているなんて、全く思わないし、

むしろすがすがしい、とさえ思う。

私の師匠は、メンタマが飛び出るくらいのレートで打っていた、と訊くし、

私も、賭けたときのひりひり感は、大好きだ。

本当の大正義は、賭けようが賭けまいが、

よい麻雀を打てること、なのだろう、と思うけれど、

私にはきっとそれができない。

賭ければ、麻雀は間違いなく豹変する。

何が本物か、何が贋物か、わからなくなる。

つかさ会の連中は、「麻雀、賭ける必要はない」という。

「そうだね」

といいながら、なんとなく、心が申し訳ない気持ちになる。

私が、彼等に模範のつもりで打っている麻雀は、きっと、私の麻雀ではない。

だって、もう、長い間同じ相手と打っている。

打牌や癖、そういったものを熟知しているから、大名麻雀になる。

麻雀は不特定に人間と戦うもの。

再戦にのみ長けている麻雀に何に価値があるのか

と思わない日はない。

賭けたマージャンで、チャンタとか和了したことないし、

トップは、3900点や1300点を重ねて取ることが多かったから。

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パラロス本家↓

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つかさ会。どようび。

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