よいときも、わるいときも。

リーチ!
おれさまの25847ピンのスペシャルリーチが
ドラ表示牌4枚目のカン3ソウを掴んで沈む。
なんたる理不尽。
だが、よくあること。
こういうことは、よくあること。
みなも経験があるだろう出来事。
自分の待ちが良いのだから、
勝って当たり前だと思いあがっていただけ。
相手の和了牌が先に牌山にいた、それだけのこと。
時計の針を巻き重ねて、時間を早送りしたり
巻き戻したりできないことと同じように
こればかりは、運命。どうにもならぬ。
こういった様々な空模様を受け止めてこそ、
麻雀の深さを知りえることができる。
よいことばかりではない、よくないこともある。
よくないことを、どのように受け止めるか?
それで未来の姿が変わってくる。
理不尽な運命を呪うのか?
理不尽を受け止めて、そこまでの経緯を
振り返り、また当たり前の努力を積み重ねるのか?

30年も前。北九州にいた。
麻雀が面白くて仕方ない季節。
何が起こるか予測できないことが
堪らなく魅力的だった。
となりの県、下関市。
「おもろい、麻雀が打ちたい」
Mちゃんの要望により、麻雀のために、
真っ赤に燃える若戸大橋を往復、
そのまま関門橋を駆けぬける。
当時はクルマのことをよく知らない。
4人乗れたならそれで事足りる。
そういう理由で鹿児島から流れてきた
よく冷える謎の外車に乗っていた。
マッコウクジラのような風貌のアウディ号。
ドアが重くて潜水艦みたいだった。
頑丈なので事故にも強いだろう。
使い勝手がよいので、よく出撃していた。
若戸大橋を渡り、「一点に賭ける感じが好き」と
カンチャン待ちを愛するKくんを、
下関のパチンコ屋さんで、「花満開」を打っている純黒ピン雀メンバーのHくんを拾う。
メンツを揃えるのに、二時間。
すなわち対局後も、みなを送り届ける為に二時間。
けれど、そういうことは、全く苦ではなかった。
「自分と麻雀が打ちたい」
そう言ってもらえるだけで嬉しかった。
「ちゃんと麻雀を打ち続けていれば、
たくさんのひとに出会える」
そのことがとても楽しかったのだ。

下関の街に到着。
アウディ号をタワーなパーキングに止める。
狭くて、止めにくい構造。
下関は、やはり都会なのだ、きっと。
こういうところで気づかされる。
アーケード街のわきを抜け進む。
「東京リーチ麻雀」の旗がなびく。
細長い階段をヨタヨタと登る。

店内、アツシボで手を拭き、梅昆布茶を頼む。
Mちゃんが口を開く。
「赤なし、半荘6回の真剣勝負。
レートは、そうやねえ、
「50円じゃつまらんね?100円でやろうや!」
Mちゃんは、元気よく、いい放つ。
「イヤだよう。50円がいいよう!」
心のなかでそう思ったけれど、それは身勝手だ。
これまで、運良く勝っているときには
もらっているわけだから、レートを抑える
提言はあまりにも無粋だ。
まあ、よしんば負けて払うにしても、
仲間にご飯代や場代を渡す、と思えばよいだけだ。
「一時の娯楽に供するもの」を賭けている。
「価格の僅少性、費消の即時性」は満たしてる。
仲間同士の麻雀だから。
回数を重ねて、あまり大きく動くようなら
レートは、交渉すればいい。
「負けなきゃいい。」
そして、厚かましいことかも知れないけれど
「負かさなければいい
誰か一人が大枚を払うような結末は、
あんまり気持ちのよいものではない。
秋の気配のする9月の終わり。
その日は、ついていた。
カンチャンをイッパツでツモり、ウラウラ。
ペンチャン、カンチャンの待ちが何故かよく。
結果としてどの選択も強く実は最速で
ひたすら連帯を続ける。
仕掛ける前に面前で仕上がるので、
曲げてはツモ、曲げてはツモ、で
チップも猛烈な勢いで集まり塔を築く。
役牌のドラでさえ音速で暗刻となる。
約束の6回戦、全て連帯した。
いわゆる1人勝ち、というやつだ。
卓上に、精算された紙幣が舞う。
なんとも、具合か悪かった。
運が良すぎた。ひとり勝ちだ。
「いやあ、ひとり勝ちやね?」
Mちゃんがニコニコ笑顔で、財布をひらく。
他のふたりも、さらりと精算の儀式をこなす。
卓上で踊る紙幣に手を伸ばせないでいる私に
Mちゃんが、
「預けるだけやから、気にすることはない。
勝てばもらうつもりやし。」
と、笑った。
「勝負事は、勝っても負けても普通でいることが
一番大事。負けて悔しいのはみんな一緒よ。」
と続けた。
心遣いを感じた。
麻雀は、うまくいくこともあれば、うまくいかないこともある。
うまくいかない時には、「なんでこんなについてないの?」とか、まるで、「自分が世界で一番不幸なんじゃないか?」なんて思ってしまう。
うまくいかないことばかり続くと
打牌が荒くなったり、他人のアガリを妬んだり
とにかく人間の品質が著しく下がる危険がある。
やめたくなることもある。
「うまくいかないから、やめる」
気持ちは、わかるけれど、これは
「最低最悪な行為」だ。
自分の身勝手で卓を割る人間は、同卓拒否をされ、いずれ誰も一緒に麻雀を打ってくれなくなる。
これは、本当のことだ。
何の知らせもなく、ひとりぼっちになる。
知らぬは本人ばかりだ。
麻雀は、四人で打っている。
自分は、実は、ここが「一番大変な戦い」だと
思っている。
人間の品質を保つための訓練の機会だ。
自分がうまくいかないことはまずは自分の責任だ。
ひとつ残らす、自分の責任だ。
モーレツに振り返り、反省をする必要がある。
その痛みを刻んで、自分の成長に繋げる。
(ちなみに、苦手な人と同卓することも、成長の機会だ、と思っている。)
自分は、自分と麻雀を打ってくれる人が
居なくなった時が最後だ、と思っている。
誘われなくなれば、卓がたたなくなれば
そこで麻雀との人生は、幕引きとなる。

ドム!ドム!ドム!ドアの閉まる音。
対局が終わりアウディ号に乗り込み帰路につく。
本日の感想戦が始まる。
敗残の言葉を聞きながらも、次回の対局に向けて
車内の雰囲気は悪くはない。
「一人勝ちで、嫌われないかしら?」
そんな私の考えは杞憂だった。

「ドン!」
アウディ号の左前方から異音が聞こえた。
気持ちがゆるんでいたのか、
車両感覚がおかしくなっていたのか、
狭いタワーパーキング内をうまく切り返せずに
アウディ号の左前をぶつけてしまった。
みな、クルマを降りて破損箇所を確認する。
ウィンカーの欠片が飛び散っているが
被害額はそれほど大きくなさそうだ。
みな、
「オレたちの負け分で払ってくれ!」
「さっきの払いが役にたった。」
なとど、続けた。
本日みなさまから、ちょうだいした勝ち分が
一瞬で消し飛んだ。
「本当によくできてるなあ」と思った。

遠いあの頃の思い出は、つらい出来事も
何もかも、「よい思い出」になる。
どのような「偶然」も、結果「必然」だった
と、思えるくらいに。
30年以上たっても様々な局面を鮮明に覚えている。
「楽しかった」
そう思える理由は、やはり当時のみなの
心の有り様のおかげだ、と思うのだ。
出来事を他人のせいになんかしないで、
ツキのせいになんかしないで、
ちゃんと受け止めて消化をする。
そういう同卓者に恵まれていたからだ。

「あなたが一生懸命打ってれいれば
あなたの周りには、あなたと同じ想いの
人間が必ず集まる
師匠の言葉が峻烈にこだまする。

みな、元気にしているだろうか?
1日だけ、いや半荘一回だけでよいから、
あの頃のメンツであの場所で麻雀を打ちたい。

夏の終わり。
そんな風に思い出す日々もある。



nice!(0)  コメント(105) 

4倍速の食い仕掛け

自分のツモだけで組む。
配牌時にもらった牌姿から4つ進めば
どんな形からでもだいたいなんとかなる。
自分のツモ番が来るまでは、 
場の状況の精査を重ねる。
ひそやかに重ねていくイメージ。
なかなかに至難の技だ。
8899m34456p発発東東
地和ならイーシャンテンだが、テンパイの先の
待ちごろの牌がみつからない。
メンツ手ならリャンシャンテン。
高打点もみえるが、これらはツモ次第。
4pポンでもリャンシャンテン。
場には発が一枚。8mが1枚とんでいる。
最低5200。マックス12000の仕掛け。
4pポンのあと、発東89mのうちどれでも
河に落ちてくれさえすれば
確実に高打点を携えたテンパイに近づく。
トイトイ仕掛けの肝となる4p。
他家が必要としていそうな牌だから、
仕掛けるメリットも、大きい。
34456を444に交換するイメージだ。
4倍のスピードは、言い過ぎだけれど
仕掛けは、体感2倍くらいのスピードで、
手牌を進行させることができるイメージだ。
南場
2m11889p57s東東南西発
この配牌が4巡目まで動かない。
これ、仕掛けなくてなんとかなるだろうか?
なんとかなるなら、
もう少し有効牌引いてきているのでは、と、思う。
自分はポン材料が3つあれば、基本仕掛けてよし、と考えている。この配牌は
55南南 ポン888ポン111ポン東東東 5200に
なる。
仕掛ける時に大切なのは、
①安全牌の確保
②高い打点の確保。
仕掛けは、他家の力を借りて加速する戦術。
だから他家に追い付かれたなら、
よほど条件が整っていない限り押さない。
状況によっては、他の孤立牌の価値が高かったり
ドラのポジションによっては、たとえば
トイツ2つからでも仕掛ける。 
南1局12巡目
4556777899p46s.北
5pを仕掛ける。ポン!
クラッシュポンに見えるが、
ピンズは1p以外全て有効牌。
9pを仕掛けて
4467778pポン999pポン555p 
これは感覚の問題だけれど、ツモに委ねて
仕掛けないことを選択すると、
心持ちは平穏でその結果を受け入れやすい。
けれど、スピードが足りなくて
間に合っていないのに、自分のツモにのみ
未来をゆだねて他家の打牌の力を借りないことは、
やはり、「やるべきことをやってない」
怠慢だ、と思う。
運命を受け入れることは、できることを
全てやってからだ。
人事を尽くして天命を待つ.  
というやつだ。
私見だが
麻雀に仕掛けがあるのは、チーやポンがあるのは、
麻雀が自分ひとりで打つものではなく、
4人で打つものだ、ということの証左だ。
他人の打牌や、思考のかけらを拾いながら
自分の道を切り開いてゆく。
実に人間ならではのゲームだ、と思うのだ。

nice!(0)  コメント(106)