力強い振り込みを

ひとと同じことをやっていても、安心できない。


むしろ、「ひとと同じ」だと、不安になる。


ひとと同じことをしない「おれってスゲー」ではなく、


他人の判断を信じることが、不安なのだ。


「ひとと同じ」ことをやらなくてすむように、


「ひとがどうしているのか?」を知り、


「自分がどうするのか?」を決めたい。


場を支配するためには、他家を思考を「精緻に読み取る」ことが必要だ。


精緻に読み取れなくても、毎局それを重ねるだけで、見える景色は変わってくる。


例えば、親リーチやドラポンは怖い。嫌なこと。


果たしてそうだろうか?


親リーがかかれば、ドラポンが入ればみなが「振らないように打つ」だろう。


であれば、その河に照準を合わせて手を組めば、和了は容易だ。


リーチには、振り込んではいけない。


これも、どうだろうか?


リーチを恐れて、自分の和了を逃すほうが、罪ではないか?


振込みを恐れず、「振り込みを恐れている自分」を恐れるべきだ。


自分は、常にそう思って打っている。


「力強い振り込みを」


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マンガンツモ、2着目へ3900直撃で、2着に落ちるトップ目のオーラス。


北家 61000点くらい⇒私


南家 56000点くらい


45678m678p44678s


渾身の9mフリテンリーチが空振りに終わった次の局。


マンズが寒い。


特に、9mにアヤを感じる。


33456m34678s ポン南南南


自分の仕掛けは上の形。


とても、自信のあるテンパイだ。


8巡目に、2着目からリーチ。


和了ヤメのないルールなので、この1500を和了しても、焼き直しだ。


対面南家の河に、マンズの上は超危険。


リーチの声の感じからして、「自信のある待ち」だ。


マンズの上は、2着目のリーチに危険だけれど、


間違いなくそこが、相手の和了牌になっているとは、限らない。


リーチの発声に「ほんの少しでも逡巡があれば」別だけど。


この9mは切らない。


そもそも、オーラスにこんな1500を組んでいる地点で腰が抜けている。


「振り込みが怖い」のではなく、この手組からの振り込みでは


「力強い振り込み」ともならない。


前の局と繋がらないテンパイを、組んでいることが、よくない。


テンパイの形は強くても、和了して焼き直しとなる手組を選択したことが問題だ。


局面に対する選択が、あまりにも脆弱。


このオーラスは、同卓者の心をへし折る高打点の手組以外は、価値が低い。


リーチ者の河の4mが、マンズ待ちを示唆している。


9mを止め、リーチの4mのマタギ、3mを切る。


34569m34678s ポン南南南


7mを引き、3mを切る。


45679m34678s ポン南南南


ツモ8m 打3s


456789m4678s ポン南南南


受けているのではない、逃げ回っているだけだ。


流局したなら、ノーテン伏せをするのか?


逃げ回るオーラスのための、ここまでの道のりではなかったはず。


何のための点棒なのか?


リーチ者に、ペン7mをツモられる。


マンズの上、三色。


自信のある待ち、ではなく、自信のある形だった。


南の手なりの1500点で、立ち向かえる相手ではなかった。


場を制圧できるトップでなければ、トップではない。


麻雀は、過程が全てだ。


内容が悪くても、結果が出てしまうことがあるから、困りもの。


内容が良くて、結果が伴えば、それにこしたことはないけれど。












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ハダカ単騎の気持ち

これと、これは、仕掛けよう。


とか、あんまり考えたことがない。


考えるより先に、体が反応をしてしまう。


体が反応するってことは、7万回近い対局(東風戦、西風荘サンマ含む。)


の記憶がきっと導いてくれているからで、逆らうことはない。



88m56s ポン南南南 ポン888p ポン999p


56sのタテの引きで、トイトイホーの7700点を考えていた。


最後は、8mを取る、そういう感覚だ。


なのに先に8mが河に打たれた。


「ぽん!」勝手に声が出た。


まあよい、どのみち仕掛ける牌なのだから。


これをスルーして再び8mで和了することは、困難だ。


7700点確定の仕掛け。


ドラの3mをツモ切る。


場に一枚切れている西単騎に受ける。


7700を12000にするより、


何が当たるかわからないその不自由さを、同卓者に与えたい。


向かってくるひとがいるとしたなら、よっぽどの勝負手だ。


ドラアンコウ、とか。


下家がリーチ。


チートイには見えない。


43pとターツを払っている。


ホンイツ本線から、ドラターツがはいったのかな?


ぼんやり切った西がドラアンコウのシャボに刺さった。


最近、読みがずれていて、修正が効かない。


その形は、ある、よね。


自分の中で、読みにくい単騎待ちのトイトイはA級のトイトイだ。


4枚持ちのトイトイは、まさか単騎とは思わない、


との油断を誘うことができるけど


ハダカ単騎は、単騎であることがすでにバレテーラだから、


やっぱ押し返されるリスク、はんぱねえ。


場を制圧してしまえば、守備はいらない、が持論だけど


今回の7700では、場を制圧できなかった、ということだ。




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ぼくの卒業論文

「書き直してきなさい」


重い言葉が響く。


教授の何とも言えない残念そうな表情。


故郷「北九州市の都市計画」をテーマに、パンフレットを切り抜き


貼り合わせた「駄文」が、強烈なボツをくらう。


卒論の口述試験の1週間前、


わたしは、卒論を全て書き直すために


予想外な展開、神奈川から九州へ新幹線にゆられていた。


やばい、これはやばい。卒業がやばい。


PCなんて持っていない。


800字詰め原稿用紙。60枚。


もう、無理だろ。


留年すると、およそ、400万円くらいの損失。


終わった。・・・


終わった、よな、これ・・・。



どうせだめなら、気も楽だ。


でも、やれるところまで、やろう、と


とりあえず原稿を組みなおす。


2日かけて資料を集めて、隅から書き直そうとしていると、


帰省していることを知った友人やにょが、麻雀を打ちにやってきた。


「現在は麻雀どころではない」と事情をはなすと、


卒論の原稿を打ち込んでくれるという。


残り4日。


徹夜で、原稿を打ち込んでくれていたYにょも、バイトで離脱。


帰省していることを知った友人Hが、様子をみにやってきた。


工学系の学生のHに事情を話すと、ワープロの前に鎮座。


社会人1年生で、ままならぬ時間のなか、


「これを、打てばいいんやろ?」


の言葉の後、タイピングをはじめた。


私は、原稿を推敲しながら、もしかしたら、助かるかも、と


一縷の期待を覚える。


およそ、4日ほど完徹が続き、卒論は完成した。


神奈川にもどる前夜、4時間だけ。お待ちかねの麻雀だ。


やにょとHと、もうひとり呼ぶ。


23時に、クルマを出して、憩荘へむかう。


ぎょうざ定食と、やきそば、卵焼き定食。


疲れた体に、沁みる美味しさだ。


手伝ってくれた相手に感謝を込めて、今まで以上に


1000点で彼らの親を流し、スジひっかけリーチを乱発した。


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嬉しかった。


この先、この2人からの頼み事があれば、絶対に断らない。そう誓った。


一人では、できないことも、みなの力を借りればできることもある。


そのあとの時間で、あのとき、どうして手伝ってくれたのか?と訊ねる。


「逆の立場なら、おまえもおなじことしたやろ?」


そう返され、大きく納得をした。


「そうだ。ほおっておけない。」


そういう経験を経て、社会に出る。


頼まれたら、断らないように。


できることは全てやるように。


そうしたいと思う習慣は、


受けた恩をどこかに返したいからだ。


そう思えば、そんなに悪くない人生だったかな、と思う。


自分は、「人との巡りあわせの運」がべらぼーによい。


その証左として、30年を経た現在でも


一緒に麻雀を打ってくれるひとが周りにいる。





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同卓拒否

金曜日だから、いっちょまえに上品なカフィで食事を終えて、20時30分。


青信号に歓迎されながら、2速全開で、道場へ向かう。


師匠と打てるかな?


今日は、だれがいるのかな?


今日は、何を学べるのかな?


わくわくが加速する。


道場の前に、クルマを番長停めをして、


110円で缶コーヒーを買い、ドアを開ける。


師匠は、すでに卓入りしていて、待ち人がひとり、


手役の説明を受けている様子、ピンフの説明を受けている。


どう見ても、初心者のようだ。


「あなた、この方と同卓してもらえんじゃろうか?」


師匠がわたしにいう。


背後で、ご近所迷惑なターボータイマーが切れる音がする。


レベルの高い麻雀が打てると思って、全力で駆け付けた。


なのに、なぜ、手役すら自分で覚えてこない人間と同卓しなければならない?


冗談ではない。


師匠ととなりの卓で、ふてくされながら、師匠の卓を見つめるわたし。


わたしの対面ではモタモタと、初心者が牌と格闘している。


イライラがつもる。


どんな牌だって飛び出してくる。


こんなの麻雀じゃない。


こんな麻雀を打ちたくて、ここにいる訳じゃない。


イライラが募って、爆発しそうだ。


こころあらず、強打となった私の打牌音が道場内に響く。


なんで、ノーレートでこんなつまんない麻雀打たなきゃならんのよ。


「ちょっと、きなさい。」


師匠の卓が割れた後、背後から怒気のこもった声がする。


「今日は、もう帰りなさい。


あなたに、麻雀を打つ資格はない。」


師匠は、わたしの代わりに卓入りをして


わたしの非礼を初心者に詫びている。


なんともやりきれない気持ちでいる私は、帰宅命令を無視して


道場の隅で、師匠がはいっている初心者卓の様子を見ていた。


真剣な表情の初心者。


重なる師匠の笑顔。


場の空気が穏やかになってゆく。


道場全体で、麻雀を楽しんでいる。



23時。


師匠が、私に優しく告げる。


「あなたは、あなたの好きな麻雀しか、大事にしない。


 それでは、ダメじゃ。もったいない。


 あの初心者のひとが、どういう気持ちでいるか、考えなさい。


 いつも、いつも、相手の気持ちを考えなさい。


 麻雀は4人で打っている。」

 

 麻雀は、ひとと打ってこその麻雀だ。


 麻雀は「ひと」なのだ。


その初心者のひとが、麻雀に心酔してゆく場面に、居合わせることができたなら、


そこには、そのめぐりあわせには、きっと果てしなく大きな意味がある。


思い返してみるとわかる。


自分がどうだったか。


麻雀を打ってもらえることが、嬉しくて仕方なかったじゃないか?


同卓を拒否されないだけで、御の字じゃないか?


自分は、その日、麻雀について、何よりも大切なものを学んだ。


一期一会。


牌と人とのめぐりあわせの不思議に、今日もこころを奪われる。











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