ぼくの卒業論文

「書き直してきなさい」


重い言葉が響く。


教授の何とも言えない残念そうな表情。


故郷「北九州市の都市計画」をテーマに、パンフレットを切り抜き


貼り合わせた「駄文」が、強烈なボツをくらう。


卒論の口述試験の1週間前、


わたしは、卒論を全て書き直すために


予想外な展開、神奈川から九州へ新幹線にゆられていた。


やばい、これはやばい。卒業がやばい。


PCなんて持っていない。


800字詰め原稿用紙。60枚。


もう、無理だろ。


留年すると、およそ、400万円くらいの損失。


終わった。・・・


終わった、よな、これ・・・。



どうせだめなら、気も楽だ。


でも、やれるところまで、やろう、と


とりあえず原稿を組みなおす。


2日かけて資料を集めて、隅から書き直そうとしていると、


帰省していることを知った友人やにょが、麻雀を打ちにやってきた。


「現在は麻雀どころではない」と事情をはなすと、


卒論の原稿を打ち込んでくれるという。


残り4日。


徹夜で、原稿を打ち込んでくれていたYにょも、バイトで離脱。


帰省していることを知った友人Hが、様子をみにやってきた。


工学系の学生のHに事情を話すと、ワープロの前に鎮座。


社会人1年生で、ままならぬ時間のなか、


「これを、打てばいいんやろ?」


の言葉の後、タイピングをはじめた。


私は、原稿を推敲しながら、もしかしたら、助かるかも、と


一縷の期待を覚える。


およそ、4日ほど完徹が続き、卒論は完成した。


神奈川にもどる前夜、4時間だけ。お待ちかねの麻雀だ。


やにょとHと、もうひとり呼ぶ。


23時に、クルマを出して、憩荘へむかう。


ぎょうざ定食と、やきそば、卵焼き定食。


疲れた体に、沁みる美味しさだ。


手伝ってくれた相手に感謝を込めて、今まで以上に


1000点で彼らの親を流し、スジひっかけリーチを乱発した。


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嬉しかった。


この先、この2人からの頼み事があれば、絶対に断らない。そう誓った。


一人では、できないことも、みなの力を借りればできることもある。


そのあとの時間で、あのとき、どうして手伝ってくれたのか?と訊ねる。


「逆の立場なら、おまえもおなじことしたやろ?」


そう返され、大きく納得をした。


「そうだ。ほおっておけない。」


そういう経験を経て、社会に出る。


頼まれたら、断らないように。


できることは全てやるように。


そうしたいと思う習慣は、


受けた恩をどこかに返したいからだ。


そう思えば、そんなに悪くない人生だったかな、と思う。


自分は、「人との巡りあわせの運」がべらぼーによい。


その証左として、30年を経た現在でも


一緒に麻雀を打ってくれるひとが周りにいる。





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