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フリー対局にて [地獄麻雀]

とあるノーレートフリーで、数回卓入りをする。


ちゃんと打っているつもりでも


どうしても大味になる。


自分にとってのフリー麻雀は、その自分!の歴史から


勝てばいい、麻雀になりやすい。


麻雀は中身だ、といいながら、


気がつくと猛攻撃の麻雀になっている


そういう自分を俯瞰して、睥睨する。


 「やりすぎ」なのだ。


同卓者のなかにキズをみつけ、


そこに対して、牌の色と形をよせてゆく。


どんな牌でもでてくる、


という場の状況に対して、無意識のうちに


最善をつくしている。


当たり前のように、見逃し


当たり前ように差し込み、やりたい放題だ。


東1局


北とペン⑦を仕掛けている親番の私。


混一色以外にはみえない幼稚な仕掛け。


南家がリーチ。


北家が変わらず、ぶんぶん


どんな牌でも切り出してくる。


場に一枚も見えていない東を打たれて


①④④9東東中


ポン


①④④中


ここに、リーチを、打っている下家が


打④。


これをポン。


①単騎をツモる。


やりすぎだ。


けれど、ダブル東が打たれ


④が打たれて、12000のテンパイがとれて


しかも、まだ東一局だ、ということを


考えるならば、④を仕掛けないことも


また、緩手と言えなくもない。


けれど、理屈では許されても


自分はこういう麻雀を打つべきではない。


そうまでして、勝ちたいか?


と思う。


リスクのない、簡単な麻雀。


そこには、喜びも感動もない。


卓操作が上手くいけば、


勝ちやすくもなる。


けれど、そこには、その跡には、ペンペン草ひとつ


生えない荒野が広がるばかりだ。


麻雀を、楽しみにきている同卓者を


ただ、チカラでねじ伏せる雀ゴロのような麻雀。


同卓者のステージと思惟を、


自分が勝つため、その為に利用する麻雀。


誰かの麻雀を慈しむ優しさを、持たない麻雀。


そういうことが嫌で、自分は師匠のところて


麻雀を学んだのでは、なかったのか?


 「あんた、そんな麻雀打って楽しいかね?」


師匠の声が聞こえる。


麻雀を自己顕示欲の為に使わない。


卓を支配する、なんて、思い上がりもよいところだ。


そこにあるものを、蹂躙しては行けない。


麻雀は4人で打っている。


どんなステージの麻雀であっても、


対局者を考えることができないのであれば、 


打たないほうがいい。


東2局。


トビありのルールということもあり


「どうせ、下家が振り込んで終わりだ。」


と、下家に仕掛けさせての終局。


こういう安直な選択肢ではなく


下家を生かして、下家の点棒を守りながら


オーラスまでの対局を紡ぎあげる努力。 


それが、私の目指すべき麻雀だ。 


師匠なら、間違いなくそうしている。 


お金が、かかっていようが、


かかっていなかろうが、


師匠なら、同卓者を殺しはしない。


ともに、オーラスを目指すだろう。 


どんなにステージが違っていたとしても。 


はじめて、フリーで師匠と同卓した時、 


師匠はそういう問いかけるような麻雀を打って


くださった。だからこそ、


今日の私がある。


意味のない成績を持って、星空を仰ぎ


とてつもなく、虚しい気持ちに包まれる。


自分さえ良ければいい、勝てばよい、の


麻雀を、打ってしまうことは、とても、哀しいことだ。


途中でそのことに気づくこともできず、


重なる成績を面白がっていた。


質量としての重さではなく、形而上の概念としての重さ。


何も麻雀に限ったことではない。


価値を作ることができるか、どうかは、


結局のところ、その人の胸の内次第なのだから。


 


 


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ジュンチャンリャーペーコー [地獄麻雀]

場をみない麻雀は、好きじゃない。


場をみない麻雀を打つ人とは


麻雀について、うまくハナシ ができない。


それをいつも口にしていながら


前回に引き続き、とてもへっぽこな麻雀を打ってしまった。


東1局ドラは4ソウ西家


4巡目に


一一七七八八九九⑦⑦⑧⑨4


この形。


ここに8ソウを引いてきた。


 


一一七七八八九九⑦⑦⑧⑨48


親番が、白をアンカン。


北をポン


ピンズにむかってまっしぐら。


ピンズが高く


ドラ色である索子が安い。


迷わず⑦を切るべきなのだが、


リャーペーコーが頭をよぎる。


索子の受けは、8ソウにまかせて


ちょっと夢を追ってみてもいいかしら?


そんな浮ついた場を見ない思考に包まれた。


いや、よく考えていなかった、というべきか。


場よりも、手牌のことを、考えていたのだ、と思う。


索子に受ければ、和了の可能性が高い場の状況を


理解していながら、どうして、ジュンチャンリャーペーコーを・・・


4ソウを切った後、ドラの3ソウを引き、


5ソウをツモきって、河に「ひとメンツ」ならべたあと


6ソウを引き、もう巡目的に親番にピンズ⑦を切ることができなくて


6ソウをツモ切り、ようやく⑧を引いた。


「ときすでに遅し感」に包まれている。


リーチ!


リーチを打ちながらも、これは勝てないな、と感じている。


④⑦あたりで、親に振り込みそうだ。


 


一一七七八八九九⑦⑦⑧⑧⑨


見た目だけは美しいテンパイ。


でも、違和感しかない。


自分の手牌を通して、世界を除くと


とても、おさまりの悪い感覚に包まれる。


だって、場にあっていない。


特定な点数が必要な状況でもないのに


自己満足のこんな手牌をきっと


麻雀は許してくれない。


ピンズが高い場の状況でなければ


このリーチにも価値はあろう。


案の定、親に④で12000を振り込み


その次局、東のバックで12000を振り込む。


だれでも、


外の天気をみて、外出するでしょ?


場をみないってことは、天気をみない、っていうのと同じですよ。


なんて、いつも言っているくせに


とんでもなく、場をみない麻雀を打ってしまった。


救いがあったことは、これが東1局であった、ということ。


自分の心無い振込みが、ゲームの破壊にまではつながっていなかった、ことだ。


 


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最後の場面へ [地獄麻雀]

 


みんな、


大事な時間、持ち寄っているはずなのだ。 


だから、舐めた牌打ってはダメ。


だけど、もう、目を開けてられないくらいカラダがきついのだ。


半荘2回、これが限界。


これを超えると、頭がぼーっとしてくる。


抜け番をはさんだりして、なんとか複数回をこなすことはできる。


もう限界だな。


よく見えなくなってるし、今日はもうおしまい。


そう自分で勝手に思っていたところ


次がラス半、となり、


私が卓入りしなければ卓がたたない。


頭がぽわぽわしているので、


ちゃんと打てないなら断るべき。


でも、どうしてもそれができない。


4人揃っているのに、打たない、なんて


まず選択肢としてあり得ない。


できないんですよ。


最後の半荘。


北家スタート。


目がちかちかして、開けてられない。


前日から万全の体調を整えていても、ダメなのだ。


きつくて、倒れそうになる。


トビありのルールなので


ぼんやりしていたなら、


私のへんな打牌で終局してしまう、まである。


「こりゃむりだ」。麻雀にならない。


私は考える。


どうすれば、オーラスまで他家に迷惑をかけずに済むか?


東場を捨てよう。


本当、こんな選択肢しか持てなくてごめんなさい。


でも、オーラスまでに復調するから。


少しでも、復調するから。


迷惑をかけないように卓を回して


オーラスにすべてを賭けよう。


ずるいけれど、そうするしかない、その時はそう思った。


他家に不調を気とられぬよう、おかしな打牌にならないよう。


ツモ山に向かう手が重い。


南4局


顔を上げる。


ドリンクに手をやり、


目を見開く。


世界を確認する。


南家トップ目


西家2着目


北家 4000点くらい。


この麻雀はトビありだから


北家の点棒を守りながら組み立てないといけない。


北家の点棒も自分の点棒のようなものだ。


ここからは、全身全霊を注ぎ込む。


全ての情報を取りに行く。


一発裏赤ナシのルール


ドラ九ワンヘッドの②⑤ 11600を取りに行くも


トップ目にビタ止めされて流局。


オーラス3本場


供託2本


うまく重ねて


トップまで5200点くらい。


三四五②③④⑥⑦123367


ドラのないピンフのテンパイ


形を信じて、1ソウ2ソウを払うと


裏目の7ソウ。


そのあと、8ソウを引き、⑤⑧でリーチも


間に合わず。


他家もリーチを打って供託+2本で


オーラス4本場へ供託4本へ


中を仕掛けて、④⑦待ち。


流局。


下家は、②③④④④⑦⑦


の変則3面


対面は、


⑤⑥ターツ④⑦待ちのタンピン三色。


久しぶりの懐かしい感覚に包まれる。


体力の限界を超えて


なんだかもう、麻雀そのものに溶けていく感覚。


なんだろう、不思議な多幸感に包まれる。


オーラス5本場


14ソウをチー 中をポン


四六八②②④⑤⑥  ポン中中中 チー123


八を切る。


三ワン引きの変化があるからだ。


トップ目から、五ワンが打たれ


八ワンが2枚とんで、


もういちど、4枚目の八ワンがわたしのところへ来る。


そのまま五ワン待ちのほうがよいのか、


カン七ワンへ、受けを変化させたほうがよいのか、


わからない。


わからない、わたしは、八をひいた、という状況を


そのまま受け入れることにした。


4枚目の八は何を思って私のところへ来たのか?


七ワンで和了できるよ!


って、教えてくれている。


拙いわたしは、もう牌の動きに逆らう力はない。


自分の力では、戦えない。


対面からリーチ。


総合優勝を争っている対面からのリーチ。


ここは振込むわけにはいかない。


私の自分かわいいの牌での決着だけは、いただけない。


5本場になるまで、決めることができなかったのだ。


そんな無理なつっぱり、対面のリーチに届くはずはない。


しかも、オーラスまで流していた。


力を入れることができずに、流していた。


そんな自分が、オーラスだけ頑張って、


そんな自分に都合の良い決着を迎えることは


ちょっと、それは、虫が良すぎる。


でも。


それでも、自分は届きたい。


ふと思う。


このオーラスは、自分の麻雀のオーラスなのかも知れない。


思えば、時間を跨いだ未来の、後日の次の半荘の約束すら蒙昧だった。


本当に勝手だけれど、麻雀へのこれまでの想いが


こみ上げてくることを、感じる。


この半荘の東場でさえ、歯を食いしばって


全ての情報をくみ取るべく命を削るべきだった。


身体がどんなにきつくたって、横着をするべきではなかった。


落ち着け。


冷静に、もう一度、世界を見つめる。


緑色の生地に、美しい装飾の牌が並ぶ。


真剣な眼差しの同卓者たち。


何度も心躍るこの風景を、わたしは


やはり、たまらなく愛しく思う。


たまらなく好きなのだ。


麻雀が。


人生の斜陽の時節。


3月のとある日。


仲間と時間を持ち寄って卓を囲む。


その日の最後の対局。


私は、和了をかけて、


対面の懇親のリーチに立ち向かう。


そんな場面だ。


 


対面のリーチを受けてのツモ。


このツモが七ワンでなれば、受ける。


振り込まない牌を選ぶ。


対面はつもり三暗刻かも知れないが、


そんな読みも、無粋というものだ。


指に十字の閃光が走る。


七ワンだ。


先に居てくれたのか。


自分が自分ではないような感覚の中、牌を置き、


ああ、もうこれが人生最後の半荘であったとしても


それはそれで、構わないかも知れないな、とも思った。


結局自分は、卓についていたいのだ。


自分の納得できる麻雀を打っていたい。


それが、ちゃんとできないのであれば、


麻雀のそばにいるべきではないのではないか、と。


帰宅後、消えゆく意識のなかで、


大好きな仲間と卓を囲む夢に包まれる。


学生時代の仲間、フリー時代の仲間、


もう、相まみえることのない大切な人たち。


みんな、楽しそうに、真剣に牌を紡いでいる。


いつも、いつまでもこうしていたい。


でも、それは通らない道理だ。


そうか、永遠であるはずがない、


だからこそ価値があるのだな、と


改めて痛感する。


色々なことが、最終局面に向かってゆくなか、


大切なものが、その様相を明らかにしてゆく。


何が大切で、どうしたいのか?


輪郭が定まってくる。


そう、せめて


この人生で、間に合うものを


間に合わなくても重ねてゆきたい。


 DSC_0565.jpg


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都合がよいことばかり [地獄麻雀]

頑張れば、報われる。


謙虚であれば許される。


その考えこそが甘えではないか。


信じていれば、よい結果がでる、


信じているから。から。


なんて、見返りを求めている下衆な考えではないか?


時間制限なしの競技ルール。


何もかも裏目にでる対局


ドラは発。


東2局


場の平たい西場。


二二四④④⑤34589発発


7巡目という微妙な状況。


タンヤオとドラと、三色


あらゆる手役が、バラバラにとびこんでいる


そんな13枚の手牌。


ここに、上家から7ソウがでる。


この7ソウに反応ができない。


ドラの発バックなんて、出るわけない。


やりすぎだ。


そういう考えに支配される。


いい子でいたいのだ。


いい子でいることで、


見返りを求めている。


下家が、ドラの発をツモ切る。


映像が、スローモーションで映る。


7ソウを引いて


ペン7ソウを引いて


ドラ発ヘッドのリーチを打つ。


ドラ発を抱えて先制リーチを打つ。


それが優等生な麻雀だ。


そういう麻雀を「ちゃんと」打つから


どうか、ひどいことになりませんように。。


具合が悪くて、理不尽な境遇である自分に


どうか、慈悲を。


弱る心のなかで、私は多分そんなふうに


どこまでも、自分に都合よく夢見ている。


理不尽が続けば、いつか、よいことがある。


善行を重ねていれば。よいことがある。


我慢をしていれば、花開く。


信じて、重ねれば・・・


全て、ずるい。


見返りを求めてはだめだ。


だめだ。


自分に都合の良いきれいな景色のなかで、


溶けて消えてしまうのではなく、


あらゆる理不尽と自分が感じているものを、受け入れて


その景色となること、そうでなければだめだ。


でたらめな成績も、自分の理不尽な境遇も


その与えられたすべての苦難を


苦難ではなく、自分の景色として受け入れること。


それが、できないのであれば、この先人生を続けていても


ここで終わってしまっても、大差ない。


オーラス


2000点の和了で浮き2着。


2000.3900


のツモ和了でトップ


ドラは7ソウ 西家


三四四四五⑥⑦⑧34468


7巡目


親番がカン5ソウをチー


ここに上家から2ソウがでる。


 


 


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理不尽 [地獄麻雀]

 


 


麻雀続けてきて、よかった、と思う。


よかった、と思いたい。


麻雀を信じてる。


信じてる。


おもえば、この「信じる」という思考がよくなかった。


::::::::::::::::


配牌は、ひどい。


形も悪く、希望もみえない。


我慢を重ねて、チャンスを待つ。


麻雀は、我慢の勝負、という。


我慢の効かない私は、


我慢を我慢と感じないことで


結果として、我慢できていた。


どんなひどい状況でも


必ず光が差す、って「信じて」いたから。


「信じて」いた。


・・・・・・・


ここのところ、というか、体調を壊してから


麻雀の状況もひどい。


展開や、手牌の状況を、悲しむことなど


これまではなかった。


いつか、光が射す、と「信じて」いたからだ。


どんな理不尽な展開であっても、


これまで受け止めてこれたことの理由は、


理不尽であればあるほど、その苦難の先に見える


世界が心地よいからだ。


けれど本当に、麻雀の展開も「これでもか」というほど理不尽だ。


よくゆう麻雀のレアケースな展開が続く。


失敗ではなくても、結果としてどんどん選択肢が減ってゆく。


そうして、そういう展開がずいぶんと続いて限界がくる。


私の中の「信じる気持ち」を疑わざるを得ない、長いトンネル。


;;;;;;;;;;;;;;;;;;;


月に2回ほど、ガチ系の対局に参加している。


長時間の対局が厳しい自分にとっては


この短い回数の対局は死力戦だ。


長考、見せ牌、はすべてペナルティ。


時間制限なしの競技ルール。


何もかも裏目にでる対局


ドラは発。


東2局


場の平たい西場。


二二四④④⑤34589発発


7巡目という微妙な状況。


タンヤオとドラと、三色


あらゆる手役が、バラバラにとびこんでいる


そんな13枚の手牌。


ここに、上家から7ソウがでる。


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麻雀って、楽しい? [地獄麻雀]

 若かりし頃。


それぞれ違う大学へ進路を取った仲間たちと、


その夏、御酒をいただく。


私の大学合格を祝っての遅い飲み会。


嬉しくて、くすぐったくて、心躍る。


永遠に続くだろうと勘違いしていた


実は2度とない夏。


あの空気の色。音。


仲間の服の模様まで覚えている。


お酒とか、タバコとか、麻雀とか、そんな大人の世界の入り口。


俺たちは、何でもできる。何にでもなれる。


そんな錯覚がまぶしい若い頃。


お酒の飲めない同級生が、ウーロン茶を口にしながら


「大学生になったら、男の子ってみんな麻雀とかパチンコやりだすよねえ。」


「どっちもダメだよねえ。学生の本分は勉強なんやけ。」


とつぶやく。


パチンコ好きの友人が、反論する。


「机についてやることだけが勉強やないぞ。


どっちかっちゅーと、社会勉強、のほうが大事。」


そんな会話の流れで


どちらか、そうだな、強いて麻雀とパチンコ、


どちらか、許す、としたなら、どっちやろか?」


という他愛のない質問へ。


同級生は、眉根をひそめて考え込む。


「んーどっちかひとつなん?」


そして、屈託のない笑顔を添えて


「麻雀やろ?


麻雀はさ、ほら、大学生の間しかできないし、


友達とするものやけ、なんか楽しそうやん。


麻雀にしなさい?」


ポニーテールに白いリボンが揺れる。


「でも、友達同士で、お金のとりあいは


せんがいいね。友達なんやけ。」


と続けて、優しく微笑む。


・・・・・・・・・・・・・・・・・


皆より遅れて、大学生となった私は


ほうほう、と聞き入る。


心の中で、「わかりました!」と答える。


そうか、大学の時しかできないのか・・・?


お金は賭けないほうがいいんだな。


賭けないようにしよう。


よし!麻雀打とう。


麻雀大好きだし。


麻雀は、学生の間しか打てない。


そうだよな。現在しか打てない。


それから、学生時代4年間


麻雀を打たない日はなかった。


麻雀は学生時代しか打てない?


ところが、どっこい、ぎっちょんちょん。


あれから、30年。


まだ、麻雀うってるんですけど。


倒れるまで麻雀のそばにいるつもりなんですけど。


ふと、思い返す。


あの夏の飲み会がなければ、


私の現在の麻雀との関係は存在しなかったのでは、と。


あの時、同級生が「パチンコ」と答えていたなら


パチプロになっていたかもしれない。


麻雀でよかったわ。


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地獄麻雀 [地獄麻雀]

 この記事は、完全フィクションです。

いつか、遠い時代に、どこかで夢見たなにか。

現実であろうはずはない。

このシニアは魔人なのだ。

発声しない、そして、ゼンツ。まさに魔人。

最初の2回。

覚悟はしていたけれど、想像を絶するマナーだった。

某シミケンの記事「イライラ麻雀」クラスのイライラ麻雀である。

:ブログ下のニャンコから、アクセスできますにゃ。

シミケン氏は、紳士なので、対局者に苦言は伝えないだろうけれど

私は、そういう度量は持ち合わせていない。

意思の表示は、責任だ、と勘違いしている私は

言わなければ、符合しないことは言葉にしたい、と思っている。

 ツモ和了すれば、牌を叩きつける。

なんでそんな大きな音を立てる必要があるのか?

理由は簡単。

自分が気持ちいいから、だ。

でも、そのおかげでこちらは気持ち悪い。

もちろん発声なんてしない。

和了したときの王様感ときたら、もうハンパない。

数年前に同卓したときにも、発声なしで牌を叩きつけていたので

発声を懇願いたしましたら、めくじらをたてて

「発声しました!」

とまるで「わたしがいいがかりをつけているか」のように

烈火のごとくキレられたので、ああこのひとは、

「いつも発声したと勘違いして生きている人なのだなあ」

と静かに諦めた、そんな時代があった。

 点棒は、相変わらず投げつけてくる。

点棒って、卓のクッションに着地したあとも

ああこんなにも、すべるんだなあ、と思った。

アタマにきたので私も投げ返してみたけれど

なんだか、モーレツに沈んだ気持ちになって

やんなきゃよかった、と後悔した。

危険牌を切るたびに「これはあたるだろ?」

「これはあたっても仕方ない」

などと、鬱陶しいことこの上なかったので、

私は丁寧に進言させていただいた。

「いちいち余計なこと口にしないでいただけますか?

和了されるときには、和了されるのだから。鬱陶しい。」

もちろん、がん無視である。

都合の良い耳をお持ちである。

わかっていた。

こうなることも、わかっていた。

いらない牌を全て切ってくるので、麻雀にならない。

④⑦待ちでリーチを打ったときも、

全ての牌を押された。

もちろん、そのゼンツっぱの牌で和了できることもあるけれど、

そんな和了嬉しくもなんともないわ。

いや、それも麻雀なのだろうけれど、私はいやだ、そんな麻雀。

毎回いらない牌を切るだけなんて、つまんないものに

時間もお金も、私は使いたくない。

8000点を直撃して、点棒を投げつけられた3回目の南場。

我慢が限界に達した。

三三七九②②②③④⑤⑥56

シニアのリーチの巡目に、この形八ワンを引く。

三三七八九②②②③④⑤⑥56

七八九は、シニアリーチの現物。

九ワンを外そうとして、馬鹿馬鹿しくなる。

⑥とか、6ソウとか単騎待ちでもリーチを打ってくる相手の

私は何を考えているのだろう?

意志なき麻雀を考えてもそれは虚しいだけだ。

本当に、私はだめだなあ。

ひろりん師匠みたいに、「どんな相手とも真剣に戦う」なんで、絶対にできない。

だって、これは私の求める本物ではない。

何が本物か、なんて自分はよくわかっていないのだけれど、これは違う。

この⑥を切ってこの半荘でラス半。

そう心に決めたとき、なかにゃんが店のカウベルを鳴らす。

ああ、これは帰るわけにはいかない。

なかにゃんが来ると、

「ラスはんで!」

という、なんちゃってラスはんコールの意地悪をデフォと

してきた平素がある私。

もし、ここでラス半コールをしたなら

「なかにゃんと打ちたくないから、帰るよん!」

みたいな誤解を招く可能性も無きにしも非ず。

③をシニア魔人に振り込んで、

おつりの点棒を投げ返された後、

試練の最終半荘がはじまった。カエリタイ・・・

最期の半荘は、カエリタイ気持ちしかなかった。

人間の価値は、年齢や財産では決まらない。

心の底からそれを痛感する。

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たそがれのとき [地獄麻雀]

「ああ、本当につまらない麻雀だったな。」

「時間とお金が勿体無い。」

そう思うくらいなら打たないほうがいい。

そんなことは分かっている。

麻雀は、「誰と打つか?」これに尽きる。

大切なのは、麻雀に対する意識をどのように持っているか?

どのような意識を持った人と打つのか?

これに尽きる、と私は思うのだ。

麻雀を始めて間もない時分、メンツを求めて

たくさんの人を麻雀に誘った。

1番論外なのは、他人が和了すると怒り出す人。

「いい手だったのに、なんで邪魔するんだ!」

みたいなことを口にする、これは論外。

また、遅すぎる人も論外だ。

友達の会社の上司との対局にお邪魔したときは、本当に最悪だった。

まあ、このあたりのことはいつか、どこかで機会があれば掲載する、として

ともあれ、たくさんの人と同卓させていただきた結果、

結局、麻雀は打てれば相手は誰でも良い、というわけではないのだな、

と私が気づくまでにそんなに時間は必要としなかった。

麻雀は、その人の人間性がそのまま現われる。

年齢とか、性別とか、社会的地位とか、そういうものを

麻雀に持ち込もうとする人間は、実社会でも、

そのように振舞っているのだろう、と容易に想像がつく。

そして、それは死ぬまで治らない宿痾のようなものなのだから。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

しっかりと打てていてば、成績は安定しなければ、おかしい。

そのことが、それほど大変ではない、ということを実証する意味もあって

今月、あと4回、半荘を重ねる必要があった。

当たり前に当たり前の打牌を怠けずに積み重ねてゆくこと、

これだけで、成績のぶれはなくなる。

大きなマイナスが続く、ということは、牌勢以外にも理由がある可能性があるのではないか?

書店で、本を物色したあと、例のカフェのカウベルを鳴らす。

この店のマドンナやさださんとのファミリー麻雀ならば、それもまたよい。

そう思っていたところ、私の得意としないシニアの姿を店内に見つけた。

理由は簡単で、

「発声しない。」

「点棒を投げつける。」

「身勝手にも程がある。」

この3拍子。

絶対に同卓したくない相手である。

もちろん、本人は自分の所作を顧みることなど

1ミリもないものだから、平気の平左。

もちろん、よい、わるい、の問題ではない。

私が、「イヤ」なのだ。

帰ろう!。ムリデス!

そう思ったけれど、私には今月時間が無い。

この日を除いて半荘4回を重ねる時間など存在しない。

でも、帰ろう・・・

帰るべきだ、と何かが私に知らせている。

猛烈に迷っているそんなときに

マドンナが、

「コーヒーでいいですか?」

と声をかけてくださった。

よし、打とう。

これも修行だ。

お金と時間を使って、理不尽を消化する修行。

そんな風に自分に言い聞かせながら、

でもそれは「自己欺瞞」だ、と強く感じていた。

おそらく、最初の直感が正しい。

190パーセント不快な気分になることは分かっている。

同卓者に迷惑がかからないように、

我慢の限界が来たなら、退出できるように

スマホのアラームを設定する。

半荘が始まった。

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