読み

河読み 

 麻雀は相手の手牌を推察することも楽しさのひとつです。

七対子
麻雀の河は、そのひとの手牌構成の余剰牌です。
七対子は全ての牌を等価値で扱える特殊役です。
そのため、河に無作為に数が落ちる傾向があります。
中張牌が多めにバラバラにとんでいるときには、七対子を疑うこともありです。
最終手出しの牌が違和感アリアリの場合は、七対子?

七対子待ち読み
もしかしたら七対子かな?と感じたら
『自分が七対子なら、待ちに取る牌は、危ないかな』で、危険牌を選定しましょう。

一通
一気通貫は、1と9の数牌が手牌構成に必要な9枚役です。 その為、捨て牌に1や9の変わりに押し出される4や6が落ちやすくなります。4や6が不自然に河に落ちてる場合は、一気通貫を疑いましょう。

三色
三色同順は、同じ数の並びを環帯とした見落としてはいけない9枚役です。そのため、完成メンツからの手出し、三色を追うために『345に6を引いて3を切る』など、数牌の手出しが多くなり、ターツ選択の残滓が河を落ちる傾向があります。

四暗刻
四暗刻は、形に価値がある13枚役です。両面ターツが河に落ちやすい傾向があります。

役牌とのシャボ待ち
これも、役牌のために数牌が押し出されるので、数牌多めの河になる傾向があります。

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ダブル役満への手順




ダブル役満への手順。赤あり
配牌で白發1枚、ドラの北二枚。カン6mのターツを払ってうまいこと、24000のテンパイに。
34s發發中中中に3sを引いて、安めトリプル36000、高め48000のテンパイに思わず取ってしまったけれど、これは、緩手だったかな?と。
ここは、3s を切っておいて、34s發發中中中のまま押して、發を引いたら、(發を鳴けたら)3sを切って4s単騎。4s發發發中中中。
 まだ、豊潤に牌山にいる字牌単騎のダブル役満を、狙うべきだった。
34s發發中中中で、あがりやすい24000を。さらに、字牌?發發發中中中で、96000の打点とあがりやすさを確定する。
 一度大三元を見送るけど、さらに、おおきくなる。
大切なのは、『あがりやすさ』
 ただ、この役満、『あがれる感覚』が全然なかった。絵に描いたもちっくす。
 このあと、刺さり続けてラスひきましたー
IMG02343.jpg
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祈り

「あなたが、麻雀を大切にしていたなら、あなたの周りには、


 あなたと同じ気持ちのひとが、必ず集まる。」


25年前にそう言われて、その言葉を信じて、自分なりに重ねてきた。


いつか、自分が麻雀を続けてきてよかった、と思える、そういう麻雀を打てる。


自分より遥かに温度のある、そういう仲間が集まるのだろう、と。




場に発しか落ちていない7巡目に、西が切られる。


大三元と、四喜役に気づいていない打牌だ。


それでも、「場への字牌の高さを意識できてしまっている自分」は字牌に敬意を払う。


三元役を軸に組んでいる自分の手牌にある、東、と南。


南が重なったので、東を放つ。


四喜役を軸に組んでいる相手には、単騎でない限りこの東は通る。


ゲームが壊れないことを、「字牌がこれ以上安易に切り出されないことを祈る。」




国士テンパイ。


このままでは、ダマでこぼれてしまう。


国士に気づいてもらう必要がある。


リーチを打つ。


「頼むからでないでくれ、と祈る。」




マンズでのぴくつき。リーチが入る。


「マンズ待ち以外であってほしい、と祈る。」



自分は、いつもいつも祈ってばかりだ。


そして、ついに現在は自分の麻雀への情熱が消えてしまわないことを、


「祈っている。」


こんな気持ちで、卓につくことは同卓者に対して失礼だ。


みな、それぞれの精一杯を持ち寄ってくれているはずなのに、


自分の納得のいくステージであることを、勝手に祈っている自分に絶望する。


それぞれにそれぞれの麻雀があるはずなのに、


自分はもう、それを大切にできなくなってきている。


「もう、打ちたくない。」


こういう気持ちでいること。


他人に勝手に期待して、勝手に絶望していること。


25年を費やしたこと。


きっとこの先も絶望しかないこと。



全身全霊をかけて挑めない対局なら、卓についてはいけない。


同卓者に敬意を払えないのであれば、卓についてはいけない。


それは、麻雀に対する最大の冒涜だから。



麻雀は好きだ。


誰と打っていても、そこに牌はあるから、牌の理に身をゆだねることは、嫌じゃない。


だけど、他人に期待している身勝手な自分が嫌だ。


ステージが違うと、心のどこかで見限っている自分も嫌だ。


そういう自分の麻雀が嫌だ。




麻雀が好きだ。


だから、もう現在、自分は麻雀は打ちたくない。



麻雀の素晴らしさを共有すること。


その目的のために、麻雀は打ちたくないけれど、それでも麻雀のほとりにはいる。


自分が身勝手に望んでいるものは、そこには存在しないけれど、


楽しそうに麻雀を打っている景色は、嫌いではない。


よい麻雀を打つために、集まってくれたひとのために、


「よい麻雀が打てる可能性がある場所」を残したい。





目を閉じて、いつも脳内で麻雀を打つ。


4人とも自分なのだけど、自分の知りうる最高のメンツを想定して、脳内で卓を組む。


ドラ2mが2枚ある手組。


「字牌の対子を離して、タンヤオに向かう」


この選択ができない。


手牌が短くなること。


受けの字牌を2枚離してしまうこと。


怖くて、仕掛けられない。


誰もリーチを打たず、逡巡のない打牌が続く。


打牌のリズムに情報は落ちない。




そういう対局を望み続けている。



そして、今回の人生では間に合わなかった可能性が高いけれど、


自分と同じくらいの温度を持ったひとと出会えることを、


まだ、それでも諦めきれずに期待している。






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