赤アリ東風。加速+打点

自分は、実は、東風戦が大好きだ。


ストーリーの組立の負担が半分くらいで済むので、サクサク打ててよい。


その昔、バブルの頃、地元北九州では、東風戦の店が乱立していた。


「すぐ、打てます!」


これが、やはり最大の魅力だったのだ、と思う。


30分もあれば、(調子がよければ)そのあとの飲み代を浮かせることができる。


また、飲んだ後、東風1回だけ、運試し。


勝てば、飲み代が返ってくる、というのも、なんだか、遊楽感があり、楽しい。


そのころ、自分がセットで使っていた雀荘。


きらびやかな、内装。


威圧感のある黒服。


客の出入りもめちゃめちゃ激しかった東風200円の


その店には、VIPルームらしきものもあった。


一度は、覘いてみたいみたい世界ではある。


東風戦は、1時間で3回は楽に打てる。


金持ちの道楽だ。


レート高すぎ。


このバブルの時期に、飲みに連れて行ってもらったことがある。


7軒はしご。


どの店も15分もいない。


そうして、10万くらい使って、散財が気持ちいい、という、


なんだか、きっとそういう狂気じみた時代だったのかも知れない。


親番の価値、打点の価値、あがり回数の価値が、


東南戦にくらべて、めちゃ濃厚になるため、微差のエラーは命取り。


自分の和了は、常に他家のチャンスを潰している。


もちろん、自分のチャンスを潰しているケースもあるけれど、


自分のチャンスは他人に潰される可能性もあるので、そこの判断は難しい。


自分は、麻雀で一番大切な要素は、「間に合っているかどうか?」だ、と思っている。


なので、手牌は常に、「スピードを落とさないこと」が最優先される。


スピードを殺さず、「打点の種」を取りこぼさないこと。


この思考の習慣を持つことが何よりも大切だ、と思っている。


東1局 西家 ドラ3m


4m5689p35789S西西白


たくさんの可能性が見える、が、追えば遠いものもある。


東風戦であれば、おそらく切る牌は1枚なのかな。


安手でも和了できたなら、残り3局で、トップ目にたてるから。


自分が、こういう配牌をもらい、まず思うことは


「加速と打点の種」が欲しい、ということだ。


赤があるから、全ての5の数の受けは残したい。シャンテン数を落とさずに。


となると、白もしくは、89Pどちらを払うかな、という話になる。


ここでの1000点にも価値があるから、白を素直に切って


ダイレクト7p引き、89p引きの、雀頭複合ターツ狙い、


56889P、56899Pなども、西を仕掛けてゆくことを


考えるのであれば、大切な形だ。


和了の最短距離に赤やドラが重なれば、御の字。


白一枚のために、ピンズ複合ターツの未来を放棄することはやりすぎかな。


白は、打点とスピードの力を持つ牌。


この手牌がホンイツ仕掛けとなった場合、白を場に打ち出さないことで、


けん制の意味合いも持つことができる。


でも、自分は、そのことを踏まえたうえで、ここからは、9Pを切る。


7pを引いたなら5678pで赤ドラ受けの保険ターツとする。


4mは、ドラ受け。マンズエリアの受牌の柱として重宝する。


4m568p35789s西西白


西は、ポン


7sはチー


ピンズも4pはチー(将来456の三色もあるから)


ピンズが埋まる前に、ソーズが伸びたなら、7sを789sで仕掛ける。


789sと西を晒して、


4m56p357s白 


この7枚から、白をひけば、ホンイツもみる。


先にピンズが埋まれば、1000点でよし。


ドラを引き込めば、打点も高くなる。


ただ、振り込んでしまっては、身もふたもないので、


この中張牌だらけの7枚から、


他家に「振り込まない牌」を選定しておくことが大切。


絶対に振り込んではいけない。


追いつかれても、振り込まないその準備が大切だ。


自分は、この安全地帯にいなくて、


自分で道を切り開いてゆく感じが、大好きだ。


例えば、こういう7枚から、振り込みのリスクを抱え


自分の読みを信じて、前にむかってゆく。


受けることがあっても、決して降りない。


なので、加速できても、守備牌候補が手牌にないときには、


形式テンパイを想定した打ちまわしにならざるをえない。


そうならないために、先んじて仕掛けて、


他家の打牌に少しでも制約をあたえる感覚が必要なのだ、と思う。


基本は、最速のテンパイではなく、最速の和了を目指して打つ。


スピードというものは、相対的なものなので、


相手に不自由な選択肢を与えて、相手のスピードを落とすこともまた、


自分の加速につながってゆくのだ、と思う。







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わしが、じじいになったころ

じじいの気持ち。


お迎えが来るまで、ゆっくりと「牌と、雀荘の喧噪の中」で過ごしたい。


牌との邂逅に、既視感を覚えながら、「麻雀」を楽しみたい。


だから、


「発声をしてくれ。」とか、


「6枚切りでお願いします。」とか、


わしゃ、そんな窮屈なのは、嫌なんじゃ。


けれど、わしのともだち・・・


窮屈ではない気心知れた、雀友はすでにみな、いなくなっている。


あっちの世界に行ってしまった。


ここでしか牌を触れない、「麻雀が好きだから」お迎えが来るまでの暇つぶし。


贅沢な暇つぶし。勝ち負けなど、そういったものに、魅力は感じない。



若者は、真剣に麻雀を学びたいと思う。


ルールを守り、俊敏な思考で、1打1打に合理的な価値を重ねる。


発声しないやつ、信じられない。


符の計算できないのに、雀荘に来るんじゃねえよ!


じじい、切るの遅いんだよ!



こういう、じじいと、若者が同卓することは、不幸だ。


なぜなら、目的が違うから。


若者


高いステージを目指して、精緻な打牌を求めることも、「麻雀」。


じじい


その人生の友人として、「ゆりかご」のような安息を与えてくれるものも、また「麻雀」。


麻雀は棲み分けが大切だ。


どちらのニーズも大切に。


それができないなら、同卓しないことだ。


相手の麻雀を許容できないのであれば、同卓するな。


同卓したなら、相手の麻雀をちゃんと大事に、自分の麻雀を打つことだ。


これは、じつは、とてつもなく難しい。


ノーレートであれば、なおのことだ。



自分は、じじいになっても、精緻な打牌を目指したい。


ただ、麻雀を打っているという「温かさ」、も常に大切にしたい。


常に現役でいるためには、(これは麻雀だけのはなしではないけれど)


①弛緩しない。(舐めない)


②これが最後だ、とおもって打つ。


③緊張感を忘れない(しらけない)



この3つをおろそかにせず、素直に、誠実に謙虚に、重ねることだ。


最近、「感覚」で打つことが多い。


間に合っているか、どうか、その感覚がまずあって、


これまでは、「間に合わそう」としていたけれど、


最近は、「間に合わないから」


「安くあがってもらおう」「差し込もう」「形式テンパイを狙おう」


と、別の選択肢が生まれることが多い。


感覚に頼って打つ、というよりは、感覚で打つ、というイメージ。


あとで、打牌を精査しても、それほどおかしくない、から、


経験則による進化なのかな、とか、軽く考えている。



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