つまんない。でも。

「おもしろきこともなき世を面白く すみなしものは心なりけり」


気の持ちようで、楽しくもなるし、不愉快にもなる。


だから、楽しい気持ちでいるように頑張ったほうが良い。


これは、大嘘だ。オオウソ。


楽しい気持ちでいるために、嫌なものを好きでいようとしたり、


我慢をしていると、とんでもないしっぺ返しをくらう。


リアリティーのない鈍色の世界に感性が沈んでしまう。


つまんない、は、つまんない、でよい。


つまんないからこそ、生まれる喜びこそが、本物だ。


つまんないからこそ、おろそかにしないことだ。


おろそかにするなら、もう、かかわらないことだ。


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「麻雀は、もうやりつくした感があって、おなかいっぱいですね。」


そんな会話をぼんやり受け取りながら、


麻雀は、打てば打つほど作業になるわけだから、


長い季節麻雀を打っていれば、つまらなくなることは当たり前。


それは、麻雀に限らず何だっておんなじことだ。


だから、極端な話だけれど「生きている」ことだってそう。


おんなじことの繰り返しだ。


賢い人間は、それを知っていて、世に拗ねる。


自分は、賢くないので、世を拗ねるほど、生きることに誠実さはない。


世の中はモーレツにつまらないということを知っているけれど、


つまらないからこそ、感じることができる喜びがある、って信じている。


それは、本当に取るに足らない些細なこと。


誰かの笑顔だったり、思いがけない言葉だったり、


そう、魂が震えるような「ツモ」だったり、だ。


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そのオーラス。


マンガンを和了すれば、トップになる3着目。


北家 ドラ4s


88m356p13556677sに 7pを引いてのテンパイ。


88m3567p13556677s


どうしよう。


3pを切りリーチを打って、和了できれば2着。


ツモって裏1でトップ。


2sがものすごくいそう。


何よりも先に、2sをつもってきそうだ。


「一発でツモりそうだ。」


ソーズばかりに未来を感じている。


条件を満たすツモは4pと4sのみ。


今回ピンズは場に高いので、つもるなら、ソーズだろう。


2sをツモるよりも先にピンポイントで4sを引いてくれるだろうか?


そんなムシのよいことってあるだろうか?


ツモってくる牌の順番まで条件づけられている。


ツモ和了に賭けたい。


場にソーズが安い。


ツモ8sはツモ切り、ツモ5sならリーチ。


ツモ2sならフリテンリーチ。


ツモ2458pでもリーチ。


リーチを打てないテンパイは組まない。


1sを切る。


次の巡目ドラ4sをツモる。


自分の選択に牌が答えてくれた気がして、嬉しい。


平素のつまらなさは、この喜びの為にあるのだな、と思う。


この喜びがあるから、結局はつまらなくはない、のだ。


88m567p34556677s


ツモれば条件クリアだ。


このツモなら2sをツモる、その感覚を確信するよりも早く


2sを手牌のとなりに置く。


3000,6000。


こういう4sツモの突き抜ける喜びは、


バスケで、リバウンドが取れたり、とか、


ビリヤードでブレイクランナウトをしたり、とか


そういう類のピュアな喜びだ。


そうして、結果的な所感としては、


やっぱり、「麻雀は面白い」となる訳である。










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