感性の麻雀。勉強会③階段を踏み外さない
自分の信じるところとしての「麻雀」は、ある程度完成している、と思っている。
理由は、ちゃんと結果がでているから。そんな薄氷のうえのもの。
それは、本当に価値ある内容の対局の結果なのか?
「必要な作業に緩急をつけているだけの麻雀」の結果のスコアがよかっただけ、ではないのか?
重ねた時間によって「固くなった感性」のせいで、そう思っているのかもしれない。
勉強会では、そこの部分の精査も目的だ。
思考が、固くならないように、感性に水を。
勉強会、だからといって、平素と違うことをやってはいけない。
ただ、自分の思う平素ということが、他の人の平素とは異なっていることが問題。
麻雀は、「基本的な事柄」が大切。ここでいう自分のおもうところの「基本的な事柄」とは
合理的な判断の実践。リスクとリターンが見合っているか、どうか?
自分は、そのくらいのことは、できていて当たり前。
「基本的な事柄を一度考えてみること」は当たり前、だと思っていた。
そのうえで、そのことを踏まえたうえで、さらにどうするか?が大切。
そこからが、麻雀の本当の闘いだ、と。
「基本的な事柄」だけを重ねて打つ麻雀は、目に見えない損得勘定に支配されているようで、
打たされているようで、作業のようで、自分はそのことが辛い。
場の状況判断を迅速に。その判断に全てを賭す。
目先の損得勘定を踏まえた上で、壊して組みなおしてゆく。
最近、特に勉強会では、そういう麻雀ではなくて、
「基本的な事柄」に重きをおいて打ってみている。
ただ、現在、結果として後悔している、ということは、
勉強会、という名のもとに「自分の麻雀」に誠実ではなかった、ということ。
「基本的な事柄」を意識して、自分の感覚をおろそかにしていた、ということだ。
そのことがわかっただけでも、勉強会には価値があった。
「自分の感覚」は、とても大切。
「基本的な事柄」も大切にしながら、「自分の感覚」に従って打つ。
おそれずに、可能性を信じて力を尽くせば、未来は開ける。
感覚>基本的な事柄ではなく、感覚=基本的な事柄。
基本的な事柄を考えながら、感性に従う麻雀がよい、と、確信できた一日だった。
東2局。
親番。
形から入る手牌。端の牌と、偶数。
469m1899p1888s東北北。
ドラの周囲は不安定だけれど、東が重なったなら仕掛けても打点は充分だ。
尖牌が一枚もない。
これは、形を大切にする。
何よりも形が大切で、形を大切にしつつ、13枚役を重ねてゆく。
麻雀は、色と形と数のゲーム。
今回の手牌は、形>数>色で組む。
形→七対子、三暗刻、四暗刻、トイトイ
数→奇数のない上記形に適した13枚。ドラも1pヤオチュウ牌。
色→8sが暗刻。なので、七対子は保険。
1打目は、9m。
第1ツモが、9p。8pを切る。
暗刻が2つできて、仕掛けたくはない手組になる。
46m1999p1888s東北北。
ツモ5s→打1s
ツモ東→打5s
46m1999p888s東東北北。
ツモ2p→打6m
下家がドラ①を切る。
この巡目でのドラ①が打たれるということは、打点とスピードの主張。
自分のこの手牌。他家の捨て牌にも「全て素直に対応」する。
暗刻が完成して、面前がうれしい13枚。
東から仕掛けることができたなら、7700.
ほどなく、下家からリーチが打たれて、同巡に北が打たれた。
一発を消すこともできる北。
東より先に北が打たれた。
平素の自分なら、下家のドラの早い捨て牌とリーチを受けて、
自分自身の麻雀を間に合っていない、と思い、北から必ず仕掛ける。
瞬間、役なし、になるけれど、まったく逡巡しない。
ダブ東を持ってきた後、北が打たれる、という筋書きは
自分にとって都合のよい未来予想図。
そういう展開が望ましいだけであって、そうはならないことも多い。
思い通りにならないことへの、対応こそが麻雀の力だ。
けれど、今回は、自分の感覚よりも、理屈を優先してみた。
北を仕掛けるべき、と全身で感じているのに、その衝動を押さえつける。
瞬間和了できない下記のテンパイを踏まない、というマジョリティの結果を見てみたい。
12999p888s東東 ポン北北北。
魅力のある動きのあるイーシャンテン。
だが、目の前にあるのは、行儀のよい13枚↓
4m12999p888s東東北北。
とてつもない違和感に耐えながら、自分の麻雀を精査する。
なにか、大切なものが壊れている、そんな予感を感じながら、
リーチ者のツモ切った東を仕掛ける。
上家がドラをツモ切る。
自分は、さらに東をツモってくる。
・・・・・・・・・・・・・
結果論だけれど、北から仕掛けておけば
11999p888s東東 ポン北北北。
の18000だった。
ここで、考えることは、もし、北から仕掛けずに
都合よく、東から仕掛けてうまく和了できたときに
やはり、オタ風北から仕掛けなくてよかった、と思うかどうかだ。
きっと、北から仕掛けた結果が気になって仕方ないはずだ。
「形を信じて誠実に牌を寄せなかったこと」について、
結果うまく和了できていても、もやもやしていた、と思う。
この日の麻雀は、「基本的な事柄の遂行」のせいにして、
牌のお告げを、全てを裏切っていた所感。
つまらない麻雀を打ってしまい、やはり気分が優れない。
オタ風からの仕掛けは、階段を踏み外しているように見えて、
実は、しっかりとした足どりだ、ということ。
階段なんて、1段飛ばし、とかで登ってもよい訳だから。