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舐めプの一打 [九州麻雀ほうろうき]

 そこは、よく麻雀を学んでいた場所。

懐かしい気持ちが大きくて、

なんとなく、粛粛とした気持ちではなく

ただ、うれしく感じていたのだと思う。

事前の連絡もなく足を運んだ自分のために

同卓をしてくださるF岡先生との麻雀がうれしい。

懐かしいこの場所でF岡先生と打てることがうれしい。

そのあと、S藤くんとも20年ぶりに同卓できて

本当にたのしい時間だった。

東1局、2本場

よく見ていなかった。

けれど、5巡目の4ソウは、

手出しじゃなかったかな?

結局、南家のF岡先生から、リーチがかかる。

チンイツチックだった私はその数巡あと、以下の形

1122355667899

4ソウは場に3枚。

5ソウ6ソウは仕掛ける予定。

5ソウが打たれる。

1122355667899

ぽーん!

11223667899  ポン555

ここで逡巡。

369ソウは、安全ではないスジ。

36ソウはまあ、可能性としてはありそう。

でも、ソーズより他の色のほうがありそうなんだよね・・。

4ソウが場に3枚。5ソウも3枚。1ソウは自分の手の内をあわせると4枚。

9ソウに手を掛けようといて、

「スジを追って3ソウをひろえるんじゃない?」

「なんとか、強気に出て選択肢を持ったほうがよいんじゃない?」

との思考が脳裏をよぎる。そのまま、打牌を6ソウへスイッチ

何を血迷ったか6ソウを切る。

二ワンを雀頭とする8000点にぶちささった。

これ、やっちまったなー。

チンイツやってて、その色で振り込むなんて・・・

4ソウの手出しツモ切りを見ていないことと合わせて

6ソウ9ソウで切るのであれば、1ソウが4枚見えているのだから、

9ソウを切るべきだ。

ふだんなら、そうできている。

F岡先生にちょっと、いいとこ見せたかったことと、

いつもより、すこし攻撃よりではないと、

と、焦る気持ちがなかった、とは言えない。

ドラに不自由をと思い仕掛けた親番でドラの中単騎をツモリ負けたり、

当然F岡先生にそのまま押し切られて、そのオーラス

F岡先生は、家が買えるくらいの点棒を持っているオーラス。

ドラポンの仕掛けが入ったので、

これならどうみても、最大3900点だよーと思える

おなさけの、③③④④のシャボ待ちのトイトイ

に③を振り込んでいただき、その最初の半荘は終了をした。

「も、もうひと半荘お願いします・・・」

私は、泣きのもうひと半荘をお願い申し上げる。

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パラロス本家↓安保改正ちょっとマジ

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てなり32000。 [九州麻雀ほうろうき]

 今年の麻雀は、泰然自若。

そういうお年頃。

だから、というわけではないけれど、たまたま功をそくして

初打ちから、お年玉をもらう感じとなった。

一八九九九②⑤⑥⑥⑧⑧南北

ドラ北。

西家東2局。

対々和軸と行きたいところだけれど、

ドラの北が非常に「おれおれ、おれだよー!」

と自己主張が激しい。

チートイツ。ああ、チートイ軸で組むべきなんだよね。

うんうんわかってます、ええ。

⑥をツモッた。一番むつかしいところをツモッた。一を切る。

八九九九②⑤⑥⑥⑥⑧⑧南北

南重なる。打⑤

八九九九②⑥⑥⑥⑧⑧南南北

南が下家から打ち出されるけれどスルー。

数巡後、ツモ② 打八

九九九②②⑥⑥⑥⑧⑧南南北

このあとは、②も⑧も南もすべて仕掛ける。

ツモ2000、4000

ロン2600

悪くない。

もしも、もしも、北を引いたなら、⑧をハズす。

②とか、南とかは、アンコウになりやすいし、ミンコウでも取りやすいはずだ。

せっかくアンコウになってくれている牌を、トイツに戻して

チートイドラドラというのは、いやだ。

⑧を引く。北切りリーチ。

②も南も、配牌では一枚しかなかった牌。

重なって重なってアンコウになりたがっている。

ツモ山に手を伸ばして、牌に触れたとき

抜け番の仙人さんに見られてる感じがした。

②をツモる。

振り返ると、

「その四暗刻は和了できそうだね」

と、仙人さん(西風荘のますたぴょん)が笑顔で答える。

ツモレそうだから、邪魔をされたくなくて

 (一発 裏ドラなしのルール)

リーチを打ったのだけれど、リーチを打つと、

私の捨て牌の⑤スジ牌である②は出やすいし、

場に1枚切れの南も出やすい。

チートイを警戒してくれていれば、②も南も打ち出されにくいのだけれど

手出しのドラ北切りリーチだと、アンコウのドラ北から、

一枚外してチートイテンパイでリーチを打った、というケース以外は

チートイ!とは読まれない、のではないか?

チートイ?かなあ?くらいな感じ。

リーチは必要なかった。やっちまった。

スーアンコウテンパイで、ほんのちょっぴり、いい気になっていた。

結果、②をつもったのだけれど、場の空気は、最高に

「ふ~ん?」

みたいにしらけ切っていて、ああ本当リーチすんません、な和了となった。

最終形で最高形なのだから、リーチで、基本的には問題ない、とは思ったのだけど

振り返って現在、リーチはない、と感じている地点で、リーチはない、のだろう。

麻雀、むつかしい。

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打牌の理由 [九州麻雀ほうろうき]

人間は、考える葦である。

自分が無知であることを自覚してしっかり考えること。

と、歴史上の哲学者は問う。

そのことには、等しく価値がある。それは間違いのないこと。

けれど、考えること、そのことが打算にならないようにしなければならない。

こうすれば、自分は損はしない、でも・・・

こうすれば、自分は得をする。でも・・・

この損得をしっかり勘定したうえで、どれだけ他人のことまで考えることができるか?

いや、他人のことをしっかり考えたうえで、

他人に納得していただくことを、自分の嬉しいこと、とすることができるかどうか?

これが、一番大切なことではないだろうか?

私の今回の打牌の理由は、あまりにも自分本位だし、届いていない。

③④⑤⑦に⑥を引いた。

尖牌である⑦を繋いでの3面待ち。③④⑤⑥⑦

この牌の変化をどう感じるか?

①②③③④⑤⑥⑦⑦⑧⑨南白白 ツモ⑥ 打南

まず、藤岡先生は、この半荘は攻めている。

そして、白をポンしての3900点を見送っている。

それらのことが、矛盾なく今回のリーチに繋がる。

以下の私の理由。これらは、損得勘定でしかない。

一発裏がないので、リーチには以下の効果しかない。

・他家を押さえつける。

・7700点が8000点のツモ和了になる。

・6400点が8000点のロン和了となる。

これらと引き換えに、捌かれるリスクを負う。

リーチを打った藤岡先生の捨て牌には、上家である親番の欲しそうな牌がいっぱい。

リーチを打って、親番の上家であるところの対面がおりて

リーチ者の現物である牌を抜き打つことで、親番が1500か、2900点で和了する。

そのリスクが生じる。リーチを打てばさらに1000点を供託するわけだから、

もし、リーチを打って最悪親に振り込めば、リーチ棒を含んで、

2500、3900点の失点となり非常にリスキー。

いずれにせよ、リスクが高い。

本来であれば、打ち出されない牌がリーチによって、ほりだされてしまい

勝負手をつぶされてしまうことは、なんとも切ない。

だから、リーチは打たない。

これらのことをしっかり理解したうえで、なおも

自分の打牌への姿勢への整合性と、牌の変化を信じて

「和了を拾いたい」という我欲を捨てて、リーチなのだ。

リーチを打つことの理由が、これらの打牌の優位性を理解したうえで、なお

・手牌を信じて組んできたこの半荘での戦う姿勢。

・白を仕掛けずに、③④⑤⑦への⑥引き。

脇からのダマのロン和了ではなく、正々堂々ツモ和了にかける。

充分形としての最終形だからだ。

これは、我々が当たり前としてきた「感性の麻雀」である。

いつしか、わたしは、考えていること、それのみを理由にして

怠けることをおぼえてしまっていた。

考えることは、当たり前。誰だってできる。

そんな当たり前のことだけを理由に打牌を紡いで、

それが誰かの心に残るだろうか?

「リーチはありえない。」

だが・・・これは敢えてリーチだ。⑥引きにそれを感じたから。

点ではない、線の麻雀。

⑥を引いたことと、和了とは関係ない。

白を仕掛けなかったことと、リーチを打つことは関係がない。

麻雀の事象は、言語化できる部分は点の部分。

それ以外の事象は確かに、言語化困難ではある。

では、逆に、これらが関係ない、といえる理由も存在しないではないか?

流れとか、ツキとか、そういうものも、存在していないということが証明できない以上

それは存在していないこととはなり得ない、のではないか?

以前の私なら、このリーチに「なぜ?」などとは思わない。

「当たり前のことを考えた上で、なお、」

のリーチであることは言われるまでもない、からである。

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つかさ会。どようび。1月10日。

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リーチか否か? [九州麻雀ほうろうき]

 あの積雪が嘘のように、青空が微笑みかける。

懐かしい顔に会えることが、ただ嬉しくて、その場所にいる。

初打ちとなるのだけれど、どのような牌をいただくか?よりも

どのような方と同卓できるか?のほうがはるかに大事。

そういう意味でも、よい対局だった。

抜け番の私は、藤岡先生の麻雀を観戦させていただいていた。

「あれ?こんなに攻撃的だったっけ?」

そう感じている自分がいた。

全局参加されている。

もちろん、とめるべき牌はしっかりとめて、

1牌の後先で、和了には結びつかずに局が進む。

まあ、麻雀とは総じてそういうものであるから、

その結果はその結果として、未来を紡がなければならない。

ピンズの形が

①②③③④⑤⑦⑦⑧⑨白白南

東3局だったかしら、藤岡先生は南家。

点棒は2万点弱だったか、と記憶している。

一発裏なしのルール。

ホンイツの手組。

①②③③④⑤⑦⑦⑧⑨南白白

この形から、河に打ち出された白をスルー。

仕掛けた瞬間に、イッツーは迷子になり3900点の手組となる。

①②③③④⑤⑦⑦⑧⑨南白白

この形は、①②③⑦⑧⑨白白の形に

③④⑤⑦が重なっている。

ここの③④⑤⑦の部分が④⑤⑥に変化をしたのであれば、

面前で3000、6000までが射程範囲になる。

でもそれは、手組としてフリテンを覚悟しない限り成しえない。

①②③③④⑤この数の並びがイッツーを全力で否定している。

なのでここからの高得点は、⑧や⑨を引いた以下の形。

①②③③④⑤⑦⑦⑧⑧⑨白白

①②③③④⑤⑦⑦⑧⑨⑨白白

このテンパイになれば、リーチを打ってハネマンも見える。

そんな風に考えていると、⑥を引いた。

①②③③④⑤⑥⑦⑦⑧⑨南白白 ツモ⑥ 打南

一発裏がないので、リーチには以下の効果しかない。

・他家を押さえつける。

・7700点が8000点のツモ和了になる。

・6400点が8000点のロン和了となる。

これらと引き換えに、捌かれるリスクを負う。

リーチを打った藤岡先生の捨て牌には、上家である親番の欲しそうな牌がいっぱい。

リーチを打って、親番の上家であるところの対面がおりて

リーチ者の現物である牌を抜き打つことで、親番が1500か、2900点で和了する。

そのリスクが生じる。リーチを打てばさらに1000点を供託するわけだから、

もし、リーチを打って最悪親に振り込めば、リーチ棒を含んで、

2500、3900点の失点となり非常にリスキー。

いずれにせよ、リスクが高い。

本来であれば、打ち出されない牌がリーチによって、ほりだされてしまい

勝負手をつぶされてしまうことは、なんとも切ない。

だから、リーチは打たない。

そんな私が考えていることくらい、藤岡先生は絶対わかっている。

けれど、藤岡先生はリーチをノータイムで打つ。

??????

頭がはてな群がよぎる。

その理由を後でおうかがいして、自分がうしなってしまっているモノにきづかされる。

長い理詰めの麻雀の日々が、自分の視野を狭くしていた。

一番大事なことは、点棒や結果じゃない。損とか得とかじゃない。

牌と、対局者だ、といつも繰りごとのようにつぶやいていたではないか?

そう倣い、それに憧れ、それを愛して、歩んできていたはずなのに。

世界中の全ての人が、リーチはない、と言ったとしても、

自分の中に信じるものあれば、決してその決意を譲ってはいけない。

自分の打牌の理由は、「当たり前といえば当たり前すぎる」こと。

ひろりん師匠が、教えてくださったことは何だったのか?

歳月が経つほどに、みなから

「どんどん弱くなっていくねえ。」

「へたくそになったねえ。」

と言われる理由がほんのすこし理解できた気がした。

現在の私の麻雀には魂がないのだ。

「リーチはありえない。」

その解が真っ先に揺るぎなくでてくる地点で、私は終わっている。

つづく

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つかさ会。どようび。1月10日。

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うっかりミス [九州麻雀ほうろうき]

 傘を忘れる。

1日に4回も。

ローソン、バス停、バス停、ローソン。

ローソンにおいては、アイスカフエラテ登場時

バス停においては、バス到着時。

雨が降っていないからだ。

そして、傘が必要ないからだ。

意識していない、だから、忘れる。

これって、ドラを忘れちゃう感じによく似ている。

意識を欠片もそばにおいていないものだから、

平気で何度も何度も忘れる。

ドラ、持ってないから、ドラに備えることができない。

「あ、いけねっ、傘っ。」

「あ、いけねっ、ドラだった。」

という感覚は本当によく似ている。

忘れた傘は取りに戻ることができるけれど

ドラのほうはそうはいかない。

忘れたことに気づかない場合もある。

特にドラが1ソウとかで、自分の手牌にドラが絡まない場合。

清一色とかそういう手役。

あとで、そういえば、ドラなんだっけ?となることが多い。

ドラを意識はしているけれど、所詮ドラだ、

麻雀はドラを集めるゲームではないもの・・・

と思っている私はいつもドラに対してぞんざいだ。

だから、ドラ単騎とか、ものすごく苦手だ。

他人が、ドラ麻雀だと、なおのことドラの価値が希薄となる。

ドラはあくまで添え物。

ドラが絡めば高得点になることは、アリだけれど

ドラを使わなければ、まったく得点にならない、なんてゆうのは

まったくもっていただけない。と、思っている。

②がドラだとすれば、②単騎よりも、①②とか、②④とか

そういう形のほうが好きだし、

そういう形に意味を持たせることができれば、なおのこと、だ、と思う。

けれど、この感覚もまた一時的なもので時代が違えば

ドラ軸の麻雀を好みだすのかも知れない。

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つかさ会。どようび。1月10日。

きっと、大天使の生誕祭でもあるんじゃないかしら。

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取り返しのつかないカンの咎 [九州麻雀ほうろうき]

 1がつ2ひ きんようび

せいふうそうというところの、せんにんさんと、ふじおかせんせいと、

れんめいのぷろのひとと、どいんちゃんと、

さーくるぱいのいろのひとたちと、ことしさいしょのまーじゃん。

さあ、どんな「ぱい」たちにであえるのかしら。

ことしは、「りーち」、と「くいしかけ」はぎりぎりまで

つかわないで、「まーじゃん」をべんきょうするぞ。

そんなふうにゆうちょうにかまえていたのに

せんにんさんは、「きじん」のようにあがりつづけます。

「ほえほえ、こんなはずじゃなかったのに。」

きがつくと、じょうたいてきにも、てんぼうてきにも、

なんかぜんぜんたちうちできないくらいふるぼっこです。

ぼくは、ほんのすこし、「そうはいかないぞ」と

まるで、「しょうがくせい」のように「とうし」をもやしていました。

 ::::::::::::::::::::::::::::

仙人さんのノーレート麻雀サークルでことし最初の麻雀。

西風荘のますたぴょんであったところの仙人さんは、ひさしぶりなのに、

いっぱいあがって、ぼくは本当のことをいうと、具合が悪くなった。

「こりゃ、あかん。やばいやつだ。」

あいさつがわりというには、あまりにも強烈な和了の連続。

場に一枚もとんでいないチートイの七ワンをリーチでツモラレタときには

ああ、このひと牌山の牌全部知ってるよね?

と、確信してしまいそうになった。

場に高いマンズで、なおかつ尖牌を

「あらーおくさま、おひさしぶり」

と、買い物にでかける途中で和了牌をツモっちゃいました。

みたいな感覚でひょいとツモ和了する。

わたしも、全身全霊をかけてすべての半荘をプラス域にもっていこうとするけれど

どうにも、ちょっと格が違うよね?

内容が全然かなわない。

「こういう状態になったら、なんでも和了できるよ」

みたいなことを言われて

「ええ、私もそう思います。」

などと答えたくはないそんな謹賀新年2015.

⑨を仕掛けていた南1局最後の親番

点棒も10,000点くらいしかない。

最後の親番なのだからすべて仕掛けても構わないとか、

そんなことを、実はほんの少し考えていた。

ここが死に場所だ。ここで戦わずしていつ戦うのだ!

みたいなことを勝手に考えていた。ドラは②

②②③④④⑤⑤⑥⑦北 ツモ⑨  ポン⑨⑨⑨

⑨をツモってきて、カン。

理由は、嶺上からうれしい牌をツモってきたい、とおもったから。

②②③④④⑤⑤⑥⑦の形でよいわ、と勝手に思って、

ああ。自分をポカポカ殴ってあげたい。

なんかこう、「えーいカンじゃーい!」

みたいな得も知れぬ衝動がこみあげてしまった。

⑨をこんだけ使用していて⑧の受けをみずから拒否するなんて

本当にどうかしている。

この⑨はカン⑧を受けるための最強の牌だったのに。

当然⑨をカンしたあとに⑧をつもり

②②③④④⑤⑤⑥⑦⑧北

ここから、打北。

メンチンドラドラの和了のがしです。

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優しさの降る夜 [九州麻雀ほうろうき]

旧交を深める。そういう目的での忘年会。

懐かしい顔が並ぶ。

麻雀のはなしになる。

「そういえば、あの頃、麻雀ばっかりだったな。」

「憩荘のかつ丼うまかったなあ。」

「おれ、相当払ったぞ!こんちくしょう!」

なんだか、雲行きが怪しくなっていた。

30年来の友人である彼らと私は麻雀のハナシはしない。

なぜなら、友人だからだ。

自分のことを、わかってもらおうとする、そういう必要などない絆がある。

みな麻雀に夢中になっていたそういう時代もあって、そして

それぞれが、それぞれの道を歩みだしたとき、私は牌のそばを離れなかった。

これは私だけの物語だからだ。

かれらの麻雀談義に、和了や場の局面のはなしはでてこなかった。

すーかんつ。天和。字一色七対子。

あいつが嶺上からほりおこして振り込んでくれたカン二ワンのいっつーまで

わたしは昨日のことのように覚えているというのに。

最後の半荘の東一局はおれの親番で、

ドラは八ワン。ペン七ワンを一発ツモ。

赤と裏ドラ八ワンの6000オールだった。

「おまえに相当払ったぞ!」

わたしは、ただ笑っている。

知ってるよ。収支つけてて俺はただの一度も負けてないもの。

あなたがたの打ち筋まで研究していたんだから、負けるはずがない。

「麻雀ばかり、時間を空費したなあ。」

「仕方ないよ、楽しかったんだから。」

会話が続く。

そう、楽しかった。

だから、俺は麻雀が好きになったんだ。と、心でつぶやく。

「俺は、むしるつもりはなかったぞ。レートをあげなかっただろ?」

まったく飲めないけれど、くろうとぶって頼んだ熱燗をぐびり、とやる。

そう返すと

「そうだな」

と優しい声音が返ってきた。

同じ時代に、牌を握った仲間はもう私の記憶の中にしかいない。

「今度、ひさしぶりにやろうか?」

なんてハナシはでてこなかった。

もう、麻雀は昔の物語なのだ。

自分の選択が、どうなのか、そんなのわからないけれど、

まだもう少しだけ、麻雀のそばにいたい。

そして、そういう自分をちょっと誇らしく思った。

麻雀といっしょで、俺の人生よかったんじゃない?

不思議と心からそう思った。

2次会にむかう彼らと別れ、透明な空気に吐息を曇らせ帰路につく。

ふとどこかで、あの頃のまま、あの頃の我々が卓を囲んでいる気がした。

そういう情景もすべて愛してやまない、そういう優しさの降る夜だった。

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つかさ会。どようび。1月3日も開催。よつば会にて。

きっと、大天使の生誕祭はなく、麻雀を打つそうです。

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ジュンチャン三色(赤あり麻雀3) [九州麻雀ほうろうき]

次の半荘もひどいものだった。

南場三局で、19000点。

押され続けて、この形。

12巡目

一二三赤五①⑦⑧⑨122399

ドラ⑧

ここで、掴んだ赤五。

さすがにこれはやりすぎかな、と逡巡する。

トップ目争い参加の権利は、3900点以上。

無理に高くする必要もない。

四や六引きで、マンガンが見える赤五ワンを切り飛ばすことは、やりすぎではないだろうか?

最高形を目指していた過程での充分形だ。

この局まで、形を追い続けてきた。

ドラが123789、字牌の場合、チャンタばかり考えていた。

ここまで精一杯組んできたけれど、今一歩、他家に遅れている。

「他人の力が必要なのか。」

どうする?赤五はいかにも、親番の下家が欲しそうな牌。

鳴かせて、ツモを変えてもらう、という選択肢もある。

2ソウであっても、親番の下家は仕掛けてくるかも知れない。

親があがればもう一局。

マンガンを親にツモられたとしても、次局マンガンを和了すればよい。

3900点のハードルが、8000点に修正されるだけだ。

ここが、分岐点だ。

今回の正念場。

2ソウか、五ワンか?

考える。

2ソウをチーされて、

一二三①②⑦⑧⑨12399

のテンパイが入ったとして、赤五ワンは押せるだろうか?

2ソウも五ワンも危険なのに・・・

どちらも押して、自分があがれるというのは、ムシがよすぎる気もする。

決断する。2ソウを切る。

理由は、親番の鳴きの選択の条件に

「赤なら、鳴く」

という意志決定が準備されている可能性もある。

二,五ワンや、2、5ソウを受けるターツがあるとして、

揺るぎなく仕掛ける選択ができるのは、赤五、5だ。

2ソウなら、仕掛けてこないかもしれない。

自分のテンパイ前に、自分が闘える形ではないのに、相手に意志決定をさらに促す牌を切り飛ばして、

そのあと、自分にどんなテンパイが入ったとしても、そのテンパイは間に合わないだろう。

だって今回はずっと、間に合っていないのだから。

それに、もし、この五が赤でなかったとしても、やはり2ソウを切るだろうから。

ここで、赤を切り飛ばすことはやりすぎ。

だって、他の人間には、赤ドラなのだから。

もし2ソウを下家に仕掛けられたならば、赤五を軸に組む。①を払う。

チャンタ同様美しい、ピンフでいこう。

2ソウを切る。

下家動かず。

ツモ②

一二三赤五①②⑦⑧⑨12399

ツモ16000点

赤五を切って、ノータイムリーチ。

下家の親が仕掛ける。

その仕掛けで、トイメン(南家)にもテンパイが入り、追っかけリーチ。

赤五から切っていれば、親に仕掛けられ、このテンパイにたどりつけていない可能性が高い。

おそらく、あと1枚あるか、どうかの、ペン③。

これをあがれたなら、あとは、もう闘えるだろう。

下家が四をツモ切り。

トイメンが三をツモ切り。

一二三四赤五⑦⑧⑨12399

下家が仕掛けなければ、すなわち2ソウから切り出していれば、

このテンパイが取れて3000、6000をあがっていたのか・・・

けれど、どの選択でも和了できていた可能性もある。

結果どうあれ、精一杯考えた結果だ。

もう、タラレバはよそう。

これは、厳しいな。やってしまったかな。

自信はない。

③が来る。

僥倖。

嬉しかった。

リーチ後、とてつもない危険牌をツモ切るも刺さらず、私は③をツモあがる。

裏ドラなどいらない16000点。

これが功を奏し、この半荘はトップとなる。



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:クローバーについて

クローバーは、今週も金曜日。

↓その様子は、下記アドレスより、

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赤ドラの所在(赤あり麻雀) [九州麻雀ほうろうき]

ダブルロン  

ドラは⑥

1つ目の西家は、 三三七八九⑤⑥⑦123東東  

2600点

2つ目の親

四五(赤)七八九⑥⑦⑧⑨⑨234

リーチピンフドラドラ

12000点(切り上げ)

私の点棒は底をつき、払いたくても払えない、そういう状況。すなわち、ハコテンである。

トビのチップを払い、思い出す。

四四五(赤)などというターツは、四引きで五(赤)が打ち出されることを嫌って、みな早めに四を切る。

手組の都合上、赤が打ち出されないようにする準備。定石中の定石である。

そうだった。

赤を受けるターツ。赤を使用するターツは予め固定されやすい。

そこをそうする必要がある、ということだ。

ということは、だ。

四五五(赤)などのからの場合は、四が打たれたなら、五は通りやすい。五五五(赤)への変化。

四六のターツはそのままリーチを打つことも多い。

のかな?

六七の変化や、三四への変化を待つメリットが少ない為だ。

そういう意味でも、四を引っ張っていれば、五はとおりやすい。のではないか?

そして、早い巡目の手出しの四の場合、三は、モーレツに危険な牌になる可能性がある。

そして、早い巡目の手出しの六の場合は、四は、モーレツに危険な牌となる。五(赤)六六

のでは、ないか?

巡目を問わず・・・・。

けれど、他にもたくさんの牌の形が存在するので、なんとも判断しがたいのだけれど、

ただいえることは、巡目を問わず、四手出しに対して、三切りは、危険だ、ということ。

赤の場所。

これで、全然相手の手牌の形が見えなくなる。いや、みえにくくなる。

五(赤)七八からの八切りや

二三五(赤)からの二切りも存在する為、絞込みのカン四やカン六もケアが必要になる。

形より、赤。

その構想で牌を組む相手と戦うには、

「相手が赤をどのように意識しているか?」をはかる必要がある。

ただ、赤ドラのありかを知らせるような逡巡をみせるようなぬるい連中ではない。

ひとついえることは、彼らは、形より赤、だということ。

私は、どんな条件であっても麻雀は、形が大切だとおもう。

赤アリ麻雀は、赤を軸に動く、ということは知っている。

15年前ならば、そのように倣い牌を組んだだろう。

例えば

一二三四五六七八⑤⑤⑤345

ツモ3ソウ。

ここから、何を切りますか?

これは、赤ありならば、一ワン切りリーチだ。

赤⑤のカン。

赤五のツモに備えることができる。

けれど、私は、もしもリーチにゆくなら、⑤を切る。

尖牌3ソウのツモ。

そこにシュンツの最高形を望む。九だ。

それ以外の三ワン、六ワンツモでも、ピンフという形が残る。

充分意味がある。

二三四五六七八⑤⑤⑤345

の3面待ちよりも、意味が大きいと感じるのだ。

しかもそもそもこの形で、リーチを打つのならば、④を引きたい。

全ての4の環帯を擁したタンヤオピンフ

三四五六七八④⑤⑤⑤345

イッツーや三色。

その形よりも、赤牌への期待値のほうが高い赤アリ麻雀。

作為的に組まれた赤ドラにより、麻雀はさらに形を失う。

裏ドラ、赤ドラ。

推測不可で予測不可な紛れを放り込むことで、形を追うことができなくなる。

とにかく、この振込みで点数はなくなった。

勝つために赤に屈することはまっぴらごめんだ。

赤を粗末にするということではない。

平等な牌として扱うということだ。あくまで、赤の付加価値はおまけ。

赤があるということは、紛れもない事実なので大切にしなければならないけれど、固執しては見失う。

本来のドラとは、存在も意味も全く異なる。

本来のドラは、その局の一番最初の牌。

みなが、その存在を認知して、それを軸に組む。

それにくらべて、赤ドラはゲリラ的な要素がやはり強い。

いつ、どこに、潜んでいるのか、分からない。

どのような展開になるのか、予測がつかない。

形を追い丁寧に打つこと。

それを繰り返していれば、形に赤ドラが重なる時が来る。

そうなった場合の破壊力は絶大だ。

ハコテンになり、スコアに大きなマイナスの数字を記入して、次の局へさいころを振る。

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:クローバーについて

クローバーは、今週も金曜日。

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ダブルロン(赤あり麻雀) [九州麻雀ほうろうき]


やっはろー!!

いやあ、久しぶりのブログの更新です。

つかさ会は、28日 土曜日午前11時から開催です。

クローバーは、27日 金曜日 午後4時半から開催。

会場は、よつば会様。

15年ぶりに、学生時代の友人と卓を囲む。

25000点持ちの、30,000点返し。赤は5環帯。チップ有り。

みな、フリーのメンバー経験者ばかりなので、とにかく一秒も止まらない。

半荘6回を、3時間弱でこなした。

とにかく、みな局をすすめることに特化した麻雀が染み付いているからだ。

これは、フリー雀荘の目的が「ゲーム代を稼ぐこと」も目的としているから。

点棒がなくなってしまえば、終了。

まず、箱とび。(点棒がなくなると終了)

たとえば東一局で、リーチをかけ、親の24000点に刺さるとする。

当然ゲームは終了。

それだけで、ゲーム代金を支払わなければならない。

赤アリ、のルールも同じ目的。

赤があれば、毎和了時の得点が高くなり、箱とびとなる可能性があがる。

赤チップ、裏ドラ祝儀もそう。

祝儀があれば、その祝儀狙いで「着順の変わらない和了」が出やすくなる。

一発、ツモ裏3、赤3.

チップ7枚オールなんて、トップ一回分以上の価値はある。

また、赤が2枚あれば、仕掛けて3900点でも、全然OK.

というか、むしろ仕掛けなければならない。

以上の理由から、赤あり麻雀だと、「チップ狙い」を目的とした

「着順の変わらない和了」は全然問題なく、むしろ励行すべき。

それが、そのルール下の正しい対応方法だろう。

ただ、そのことと、麻雀に対する想いは別である。

ルールによって打ち方は変わる、というけれど、麻雀であることには変わりはない。

同様に、牌を大切にできるか?である。

私は、赤牌も、普通の牌も等価値で接する。

赤五ワン?

ただ、赤く塗られて、一役、扱いで、ご祝儀ももらえる、それだけのこと。

普通の五ワンの3倍近い性能を持っているが、数としては、等しくマンズの奇数牌、である。

わたしも、ずいぶん長くこの赤アリチップ麻雀に慣れ親しんでいたため、少し打てば、すぐに感覚が戻る。

赤アリ麻雀は、手数。

自分が和了することで、他家に和了させない、それが、鉄則である。

だが、15年ぶりのメンツとの麻雀で、どうしてそのような真似をしなければならない?

勝つことよりも、その模打に意味をもたせることができるかどうか?が大切。

同じ、麻雀である。

私の心かけることは、

①赤に翻弄されない。赤を期待しない。

②3900点以下は組まない。

③ツモ和了と形重視。

④そして、トップ以外は狙わない。どんな着順からでも、組む。その半荘は落としても構わない。

⑤赤だから、仕掛けるとか、そんな真似をしない。

である。そのうえで、全力で打つ。

もちろん、これがとてもおおきな間違いであることは、知っている。

けれど、私は、私の麻雀を打てなければ、私ではなくなる。

みな、メンバー経験者、だといっても、もう15年ちかくほとんど、麻雀を打っていない。

私は、週に一回は牌に触っている。

15年前の私の麻雀ではなく、現在の私の麻雀で全力を尽くしたい。

いつもと変わらず、赤に引っ張られることなく牌のとおりにチャンタを組む。

牌効率よりも、くっつきテンパイ。

一回戦は、親リーチに打てない牌を受けて、2着。

2回戦。

南場。13000点くらいしかなくて、牌がこない。

赤を拒むチャンタ手組みの為、とうとう赤牌は全くよってこなくなった。

親リーチ。と西家のリーチ。2軒リーチ。

私は三ワンを押せば、良形のテンパイ。

親リーチは、2巡目に四ワンツモ切り。三ワンは押せる。

そのあとの手出しを考えても、三シャンテンのくらいできりだした四ワンの可能性が高い。

この打ち手は、カラ切りなんて無駄なことはしない。

三ワンは押せる。

西家リーチは初巡に六ワンを切っていて、さらに、場にマンズの下がとんでいないのに、

早い巡目に一ワンを手出し。

一三四 からの変化だろう。マンズがあるなら、二、五ワン。

234の三色があるけれど。そう考えると、一二から、二四への変化。

この西家はこのルール下で、ペン三ワンを即リーチに行かないほど、ぬるくはない。

三ワンは押せる。

そうして、切った三ワンに「ロン!」の声が重複してかかる。

同時当選。やっほーい。

ダブルロンである。

通る、と信じた牌が刺さる。

ささった瞬間に、赤牌の存在がよぎる。瞬時に理解した。

慢心。

「そうか。それが本線になるのか・・・」

他人と自分は、違う。そのことを思い知らされることとなる。
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:クローバーについて

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