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ひどくなったね。 [九州麻雀ほうろうき]

つかさ会、土曜日午前11時より。

「かえってくるたびに、ひどくなるねえ。」

旧知の友人が、微笑みながら私の麻雀を評価する。

自分でもよく理解できている。

小さな局面での正解ばかりを集めた麻雀。

「説明する」目的の為に、磨耗していく、感覚。

大局的な感覚が、どんどん失われてゆく。

例えば
2004_1_130915_014254.jpg2003_1_130915_014115.jpg
において、

この半荘は、東場で、ドラ南単騎のチートイが現出。

少し違和感のあるあがり。

その南であがった相手が南家という状況で安易に

南を、きりとばす無神経さ。

そのあと、続けて、東。

東場の東。

風牌は、場を動かす牌。

なのに、続けて切り出す、理由が幼稚だ。

「相手が重ねる前にきる」

エスパー?

それを理由とするならば、役牌風牌はいつでも切り出せるじゃないか?

大局的感覚でいえば、理由にすらなっていない。


さらに、2ソウを鳴かれて、五ワンがでても仕掛けないし、

そのくせ、ヤクマン警報で切らない予定の中をきりとばす。

77⑦⑦と横に使うべき牌を二枚といつにして、

打ちにくい風牌や役牌を抱えて、さらに、南まで一枚。

二枚ではなく、一枚の南。

ここまで条件がそろっていて、

南単騎のチートイドラドラを想像出来ない、愚鈍さ。

大局的感覚のないその場しのぎの理由。

大局的には、

「といつを大切に」

「メンゼンで」

「ダマで」

「他家をうごかさす」(動かす牌は切らず)

南場の自分の親へ繋げる、である。

それほどまでに、南単騎に違和感のあるあがりを

感じていながら、打牌選択の理由にそれを全く加味できない

感覚。それを厚かましくも感性と呼ばせてもらえるのならぱ、

感性を殺した屁理屈麻雀が、現在の私の麻雀だ。

バランスが、悪い。

考えて、考え抜いた理由をも、凌駕する大局的感覚。

思考を凌駕する感覚だからこそ、その大局的感覚には価値がある。

小さいことももちろん大切だ。けど


全てその理由を汲み取ると、ややこしくなる。

たくさんの小さな意味が、あつまり

結果、何の意味も持たなくなる。

小さくとも大切な事由のみを大局的に精査する作業が必要な

局面もある。

オカルトかも知れない。

けれど、そういう言葉にできない感覚だからこそ、また

ときとして意味や価値がある、のではないか?

たくさんの小さな正解を集めて、弱い意味しか持たせられないのならば、

その状況の大きな意味を考え感じとらなければならないのではないか?。

何よりも、ショックだったことは、牌譜を取り、尚且つヤクマンが現出しなければ、

そのことに気づくことができなかった、という事実である。

自分で気づけなかったということ。

本当に、狭く、小賢しくなった、と感じる。

とにかく、スマホからだとブログの更新が困難でストレスぱないっす。

更新ぴんぐも送信できませんし。

申し訳ありませんが、しばらくブログ休止とさせていただきます。


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精一杯?どういうこと? [九州麻雀ほうろうき]

精一杯とは、どういうことなのか?

我慢することが精一杯な場合もあれば、

戦わばならないことが、精一杯な場合もある。

ただ、形や点数を理由に身勝手なこととならないように、何度も何度も自分に問いかける。

17巡目、トップ目は2000点差の争いのオーラス。

五六七八①②③④⑤⑥789 ツモ五。

ツモドラ1。

このあがりは、問題ないとおもうのだ。

麻雀で、起こりうる「誰かにとってよいことは、

「他の誰かにとっては、悪いこと」となる。

このあがりがなければ、得をする人間もいれば、

損をする人間もいる、ということ。

さて、その後の私の対局のオーラス。

前回のミスが響いて嫌なオーラス。

16000点ツモ逆転、12000点ツモで、30000点以上。

という状況に。

9巡目に、リーチドラ1をテンパイ。ドラ9

六七八⑥⑥⑥⑦⑧⑧⑧6689

から、6ソウを切る。

前前回のドラの仕掛けのミスから陥ったこの状況。

サンアンコーの変化や三色への変化が臨めるとしても

それは、自分勝手だ。

サンアンコーにしろ、三色にしろ、ドラはまだ力を持っている。

そして、4ソウをツモ切り。

⑤をツモ。

打ドラ9ソウ。

もう完全にタンヤオのみのテンパイである。

六七八⑤⑥⑥⑥⑦⑧⑧⑧68

このまま、ツモればあがる。

それは、やりすぎだ、と感じるからだ。

もし、奇跡の四枚目の⑧をツモれば、即リーチ。

2巡後、本当に⑧を持ってきて、即リーチ。

7をロン!

8000点、着順の変わらないあがり。

けれど、しっかりと、理由がある。

また、別の対局のオーラス。15巡目

三四五七八②③④⑨⑨345

ドラ⑨

ハネツモ条件でトップ。

どいんの対局。

ノータイムでリーチ。

なぜ、⑤を待たないか?と訊ねると

「この⑤は引けない、と思った。

配牌からこのかたち。」

ダマで3900点。5200点。

けれど、高め三色の⑤での変化を感じず、

(三色ならば、234)

先に六九をツモる、と感じているならば、リーチだ。

麻雀はトップを取ることを目指すゲームだけれど、

それだけが全てではない。

麻雀に意味を持たせることができるのは、

その打手の思いにかかっている。
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1打目に字牌を切らない。 [九州麻雀ほうろうき]

注:当ブログにおいては、記事の内容とは全く一ミリも関係のない画像が掲載されることがあります。

これは、ともすれば殺風景な麻雀記事に華やかな彩りを添えたい、いや添えるべきではないか、

という管理人のささやかな配慮のつもりでした。

だがしかし、同年代の友人から

「おい、おまえ、だいじょうぶか?(色々な意味で)」

「ブログ雑じゃねえ?」

「フィギュア買いすぎじゃねえか?」

「ちゃんと、会社行ってるのか?」

「真面目に生きろ!」


(ちなみにフィギュアなどの画像はネットでの拾物です。)

など、の貴重な意見をたくさんいただきまして、

少しづつではありますが、掲載画像には留意し改善するように務めたいとおもいます。

サーセンでした。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

どいんは、どんな時でも、どのような状況でも、

第一打目に字牌を切らない。

ここ10数年、1度も見たことはない。

チートイの北待ちを配牌でテンパイしたときも

「ああ、どいんからの人和はねえな。」

と瞬時に諦めがつくほど。

理由は、

「楽をしない為に、そうすると决めた。」とのこと。

それが、彼の納得できる麻雀だからだ。

一打目に切った九ワンを、リーチで一発でツモリ、

「リーチツモ、ピンフ、イッツー」(競技ルール)などどいう技を何度も食らったことがある。

私も、どいんとは同意見。

けれど、私は一打目に字牌を切ることがある。

一時期は、私もどいんと同じように、一打目には字牌を絶対に切らないようにしていた。

けれど、いつしか、それも違うな、と感じるようになった。

私の一打目の判断の理由の八割は、第一ツモに拠る。

第一ツモが字牌ならば、字牌は切らない。

チャンタ、ホンイツ、イッツー、チートイ、これらの役が見えるときも、字牌は切らない。

字牌はできるだけ離したくない。

特に役牌など、離せば相手に楽をさせるし、自分の麻雀も軽くなる。

楽な麻雀はエラーを呼ぶ。

私が、一打目に字牌を切る場合の、理由の多くは食い仕掛けである。

役牌からの切り出しで、他家に、他の字牌を打ち出しやすい場を作る為だ。

例えば、発を切り飛ばせば、中や白は比較的に拾いやすくなるし、

南場に南を切り飛ばせば、オタ風である東は比較的拾いやすくなる。

「一打目には一番不要な牌を切る」という鉄則を逆手に取った戦略のつもりなのだが。

けれど、どいんのかたくなな足枷とも思える「一打目に字牌を切らない」には尊敬の念を感じる。

自分の満足のゆく麻雀の為の我慢。

どいんは、そのことを局面の言い訳に使ったことはただの一度もない。

一打目に字牌を切らないことに、私が気づいただけである。

麻雀は我慢。自分の納得のいく我慢の繰り返しである。

そしてたどり着く自分だけの揺るぎない麻雀。

ちなみに、今回の対局でも、「ここはない」と信じて切った牌がどいんにささりまくった。

一打目の字牌切りにとどまらず

テンパイの組み方も楽をしていないので、正攻法の読みは通じない。

こちらも、かなり、心が折れそうになる。

100人いれば、100人の揺るぎない麻雀がある。いや、あるべきだ。

その全力でのぶつかり合いは、やはり最高に楽しいのだ。

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画像、どうしたらいいのか、わかんないよおお。


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トップ争い。 [九州麻雀ほうろうき]

心地よい対局。
反省させられる、一打がある。
オーラス
点数状況はおよそ
仙人
26000
わたくし
34000
しょうた
31000
どいん
19000
誰にでもチャンスあり。
だが、この前局は、私のドン引きの
リーチ一発ツモ。25ソウ。
なんか、まさにオーラス捲られる為のアガリみたいになる。
私も、こりゃいかん、工夫が足らんばい。
そう思っていたし、対局者の皆様も
私のトップはないな、と感じている様子。
そんな状況でのオーラス。
仙人が、私の風牌である南切りリーチ。
私の手牌
四四五⑤⑥⑥34南南ポン⑧⑧⑧
南のバックは、かっちょ悪いし、
最後のアガリのターツは25ソウにしたかったので、
上家から切られる25ソウは全てスルー。
(前局のアガリ牌だし、オカルトだけど)
それに、横の仕掛けは、ロクなことにならないから。
そこに、ダブル南が打たれたので、ポン。打⑤
そのあと、しょうたがツモ切りリーチ。
リーチ棒が出たから、リーチ。
すなわち、先制リーチである、仙人さんの河に切られている牌は安全である可能性が高い。リーチ棒で条件が整ってさらに、親の現物待ちならば、リーチはないだろう。
四四五⑥⑥34ポン南南南ポン⑧⑧⑧
ここに、⑥が打ち出される。
逡巡する。
だが、以上の理屈に沿い仙人さんの現物である五ワンを切る。
仕掛けは、全て縦。
待ちは、理想の25ソウ。
だが、
この五ワンがしょうたにささる。
二三四六七八八⑤⑥⑦567
場が、ドン引きになる。
しょうたは、小細工なしに、牌を組み
ツモりにいった。親が、もう一度五を切ればロン。
親が、リーチならば、捲りあいだ。
私からの、こぼれ牌などでアガリたくはなかっただろう。
仙人さんも、最終形を組み、ツモりに行く。
そういう決着のオーラスであるべきだったはずなのだ。
私は、安全である34のターツを外しで、マンズで追いつき
四四五五ポン⑥⑥⑥ポン南南南ポン⑧⑧⑧
あたりのダブル南トイトイで戦うべきだった。
大切な対局の大切なオーラスにドン引きな牌を切ってしまった。
納得のいく対局を目指している人間に、目先の利益にとらわれた牌を切った自分を情けなく思う。
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今年最初の配牌 [九州麻雀ほうろうき]

最初の配牌
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第一ツモ、3ソウ。今年もチャンタで攻めます。よろしくお願いいたします。

仙人さんのお宅で、麻雀。どいん、しょうた、いせぽん。
全く逡巡ない打牌。内容。リズム。最高に楽しかった。
静寂の中、心地よい牌の音だけが均等なリズムで響く。
全員でよい空間を作ろうとする。遅延行為や腰、見せ牌など存在しない。(私がポロポロこぼしていたけど)
半荘10回が一瞬だった気がする。逡巡は、私が5回、しょうたくんが2回。いかに、準備が出来ていないか、を、反省させられる。
とにかく楽しかったの一言につきる。
みんな、場をよく見ているし、点棒申告もスムーズ。発声も心地よい。打牌も信頼出来るし、対局について不安を感じることも不愉快な思いをすることもない。
こういう当たり前のことを、目指している。逡巡は、他人の時間を奪う恥ずべき行為。発声は相手への意志表示と礼節。>
工夫のない自分本位な無意味なアガリは、牌と対局者への侮辱だ。これらを踏まえた上で、トップを競う。私は、それが麻雀だとおもう。信じるものは、牌の意志と対局者の思い。
その意識を持たぬものとの間に共有出来る喜びなど生まれえない。。楽しかった。本当に楽しかった。もう、これで麻雀最後でもいいや、と思うほど。
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快音。牌の残響 [九州麻雀ほうろうき]


牌を切る。心地よい打牌音が響く。その快音を出す為に何度も何度も練習をした。牌を6枚ポケットに忍ばせ、いつもいつも触る。現在私が対局中に打牌音を出さないのは、それを不快に感じる人がいるから。これについては、納得出来ている。
現在、世の中の麻雀店は、例外なく牌の打音については、厳しい。
これは、「強打励行のマナー悪さん」たちのせいだ。
何でもかんでも叩きつけ、それを強さだと誇示する。
魂のこもった打牌は美しい。流れるような動作。リズムのよい牌の音。その牌の音色でその打ち手の心中まで、察することができるほど。だが、時代がもう違う。
そうして、私は、不快な音をこぼさないよう、静かにタテ切りをする。牌への思いは、やはり卓上に広がっているようには、どうしても思えない。音を立てずに、柔らかく牌をいたわりながら、魂のこもった打牌をすることを、今年の麻雀のテーマにしよう、そう思った。
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牌の打音 [九州麻雀ほうろうき]

ノーレート麻雀サークル「牌の色」での対局。どいんと、仙人さん。あとひとりは、会場としていた雀荘の常連さんIさんを無理やり同卓させる。なかなか良さげな面子。自ずと気合いもはいる。

牌を切る。心地よい打牌音が響く。私が対局中に打牌音を出さないのは、それを不快に感じる人がいるから。私個人としては、牌は音の出るものであり、むしろその音に魂がこもるものだと思う。けれど、心地よい牌音と、強打は紙一重。だから日頃は音を立てないように心掛けているのだ。
だが、このメンツならば問題ないだろう。心地よい快音が響く。
なかなかに、気合いもはいる。すると、Iさんが口を開く。
「雀鬼会の方ですか?」確かに、奇しくも私は、雀鬼会のシャツを着ていたけれど、あのレベルの快音は出せません。私は、基本動作もまだまだ全然出来ていませんから。兎にも角にも、このご指摘をいただき、どいんも仙人さんも、しおしおになった。テンションがモウレツにさがる。
次回は仙人さんのところで、対局する約束をした。心地よい牌音を出せる人間にとってはどの麻雀荘にも、もはや居場所はないのだ、て知りふと寂しくなる。

NEC_0220.JPG
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2012ファイナルチャンタ [九州麻雀ほうろうき]

パソコンがないと、ブログの更新は難しいたろう、と半ばあきらめていた。一か八かで管理ページをクリック。あれ、何とかなるんじゃない?面倒くさいけど。
20120316220121261.jpg
汎用決戦手役であるところの、チャンタ。みなさんもこの一年、ずいぶんとチャンタばかりの素晴らしい一年だったと思う。私もチャンタに始まったこの一年皆さんと同じようにチャンタで締めくくりたい、そんな思いしかなかった。
南国九州、ノーレート麻雀サークル「牌の色」のみなさんと、牡蛎パーティー。私の同級生の経営するお店だ。NEC_0470.JPGここで、山盛り牡蛎を堪能して(死ぬほど食べて2000円だった)その後ラメーンを食べ、対局開始。
チャンタ愛している。ドラが123789字ならば、チャンタロードへまっしぐら!やってやるんだってば!
そんな無理目な思いが届あいてか、わたしとしては、珍しいチャンタを和了する。しかもチャンタの上位種ジュンチャンだ。ドラ④ピン。ドラ④なのに?という感じたが。南二局、親番。
一二三七八①③④11789のシャンテン。④を残しているのは、六を引けば、①を、切り②⑤ピン待ち。リーピンドラ1。直前に九が切らしますれる。鳴けば2900。鳴かなくても5800あり、さらに18000がのぞめるこの手を仕掛けるハズがない。②ピンツモ。迷わず④ピンドラ切りリーチ。13枚役であるジュンチャンを大切にしたい。今年一年の総括。チャンタに届け!確かに六ワンを一発でツモったときのダメージは計り知れない。ドラ切らなけば、4000オールなのだから。でも、いるよ。九ちゃん。きっといる。もし、居てくれたら来年もチャンタを大切にします。くまんぱち、カモーン!
で、
九ワンツモの、6000オール。来年も、チャンタでいきます。

つかさ会の次回開催は、1月17日です。

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