オーラスを制するであろう和了。 [感性の麻雀]

 忘れられない対局がある。

それは、「自分の判断について納得できていない」そういう対局が多い。

そもそも私は「自分の判断が、正しかった、」と思うことがほとんどない。

優柔不断で決断力が乏しいのだ。

対局中は、他家へ迷惑をかけたくはない、という一心から

「わが生涯に悔いなし」チックな雰囲気を醸し出してはいるのだけれど、

内心夢工場ドキドキパニックである。

けれど、対局中だけは「迷ってはいけない」。

他人の時間を奪うこと。

そして、「迷っている」という不確定で

受け手によってはいかようにも解釈できる情報を与えてしまうこと。

このことだけは、絶対によろしくない、と思うのだ。

その一打を切り出す瞬間に感じた瑣末な迷いは、必ず自宅に持ち帰る。

そうして、そこで徹底的に考えるのだ。

また、リーチを打った後なども、自分の手牌と捨て牌を重ねて考え

「ああ、こういう手組になる可能性もあったのか?」

と、常に自分の手牌のもう一つの未来も、手繰る。

:::::::::::::::::::::::::::::::

その南2局は、親番の手麻雀で、積棒が重なっていた。

下家は、必死で親を落とそうとしてくださるのだけれど、

勢いがなくリズムを失っている、ということもあってままならない。

ドラの⑤を仕掛ける北家の私。

親番も猛攻をかける。

そして、南家も親を落とすためにダブル南を仕掛ける。

この局を制したものが、この半荘を制するだろう。

と、感じていた。

そして、親番の切り出した7枚目の⑤⑧であるところの⑧

これに西家のY氏がロンの声をかけた。

678のタンピン三色である。

全く、気配がなかった。

私はY氏が攻めているのかどうか、も考えてはいなかった。

攻めているのか、おりているのか、もわからない、

そういうつかみどころもない、そんな感覚。

ドラも使わず、仕掛けもなく、リーチもなく、

ただただ、純然たるタンピン三色。

まるで、それがその半荘の答えであるかのように、ただただ美しい。

ソフトな打牌。柔らかく紡がれる一打一打が織り成す麻雀の織り成す姿。

食い仕掛けや、牌効率、そういうもののメリットばかりが囁かれる昨今。

それらのメリットを理解していながら、敢えてご自分の麻雀を貫かれるY氏。

ダマのマンガン級の手役は、Y氏の麻雀の真骨頂である。

魂に刺さる和了だ。

食い仕掛けて、さらにドラの力を借りて場を抑え込もうとしていた

北家の私のがさつな麻雀に比べてなんと、峻烈な和了だろうか?

その次局、私は5200点を和了。

オーラスのY氏の親番では、

「4000オール」で捲られてしまう、そういう展開になった。

「ああ、この半荘はY氏のものだ。

 これは捲られる展開だ。

それくらい、南2局のタンピン三色は素晴らしかった。

私がトップを取れるのであれば、面前でタンピン三色を組むことだ。

そう感じていた。

同じ形で、場を押し返すのだ。

私にできる精一杯で、この半荘を締め括ろうではないか。

戦う。このオーラスだけは、前に出なければ、150パーセント捲られてしまう。

怯めば、6000オール級をツモラレてしまうだろう。

そして中盤に

二三②③④⑤⑥⑦34666 ドラ北

このイーシャンテンになる。

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7月26日、午前11時から

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牌を動かす。 [感性の麻雀]

感覚というものは、目に見えないし言語化もできない。

けれど、それは間違いなく存在している。

麻雀は、当たり前のことが当たり前にできるようになるまでは、考えるべきだ。

考えなくても、その当たり前のことができるようになったならば、感覚に沿うべきだ。

頭がひっくり返るくらい考えるのは、帰宅後だ。

対局中に「時間を使わずにその一打に辿り着けるように」

帰宅後自分の時間を使って、麻雀を成長させるのだ。

::::::::::::::::::::::::::::::

その最初のファーストテンパイは、親番で7巡目

二三四六七八⑤⑦⑧⑨1388

のカン3ソウ。ドラは北で触っていない。迷わず1ソウを切る。

この13のターツは、配牌から動いていない。

2ソウをどこかに固められているから、このターツをはずす、というそういうことではなく

ただ、この13の形に違和感を感じていて、

なおかつ、もっと牌山にある牌でテンパイを組むべきだ、とそう沿うべきだ、と。

全く迷いなく1ソウを抜き、シャンテンに戻す。

次巡、2ソウを持ってくる。ツモ和了ができていた。

「いわゆる裏目」というヤツだ。

和了を逃すと、次は振り込む番だ。

チャンスの次には、ピンチがおとずれる。

次巡に③をツモる。これもツモ切る。

「やりすぎ」とかそういう問題ではない。

オカルトだろうがなんだろうが、東一局は手牌の伸びを測る。

とにかく、牌山から引っ張ってきた牌が、自分の手牌と

どのように符合するか、そのことだけを測る。

他家の動きも考えるのではなく、「感じる」ようにする。

ああ、イーシャンテンだな、とか、ああもうすぐテンパイだな?とか。

他家のシャンテン数があがったのち、立て続けに⑥を2枚引いた。

二三四六七八⑤⑥⑦⑧⑨88

一度このテンパイを経て、ピンズに力を感じた。

だから、もう一枚待ってた。

他家のシャンテン数があがっている。テンパイかも知れない。

二三四六七八⑤⑥⑥⑦⑧88

もう一枚⑤引きを待つか否か、の問題だけれど、

これ以上引っ張ることは、やりすぎで、リーチで抑え付けたほうが、得なんじゃないかしら?

と、ふと考えた。

考えてリーチを打ったならば、追いかけリーチをくらって、

⑤を掴み、ささってしまう。

感覚では、「まだ、ピンズが動く」と感じていながら、

「リーチを打ったほうが得だ。」と突然考えて、リーチをしてしまう。

2度のテンパイを蹴って、牌が最高形に成長しようとしている、

にも関わらず、打算でふたをしてしまった。

勝手に充分形だと考えてしまったのだ。

⑤を引けば、リーチ。

その前に④⑦が打ち出されたのであれば、2000点の和了。

それでいいではないか?

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まったく考えない麻雀 [感性の麻雀]

 考えて打つことは等しく価値がある。

けれど、考えて打つことばかりを盲信して、

考えること、に逃げてしまうことも、よくない。

考えていたから、よい。がもっとも危険。

考えている、ことを免罪符にしてはいけない。

考えなくてもよいことを、考えなければいけないのであれば、

そのことは恥じなければならない。

私は、考える、ということ、そのことを、取ってみても、

大きく2つの種類に分けられる、と思う。

1つは、打算。

損をしたくないから、考える。

もう一つは、愛。

なんとか、誰かの役に立てないだろうか?と考えること。

麻雀の「考える理由」は前者となる可能性が高い。

すなわち、打算である。

もし、あなたの最愛の人が、あなたの生涯賃金を代償にその命が助かる、

と言われて、考えてしまうのであれば、それは、なんとも残念な打算である。

こういう質問には、考えずに答えることができなければおかしい。

考えることが、損をしない為の確認であってはいけない。

人の思考(考えること)は、常に、「誰かの為」であるべきだ。

考える必要にないことは、考えずに瞬間的に「判断」する。

その感覚を、私は久しく失っていた。

牌のあるがまま、望むがままに、寄り添ってゆく感覚。

 もう考えることは、やめだ。

考えることは、自宅に帰ってから。

対局はもっと粛々と行われるべきだ。

瞬間的に判断をして、一切後悔はしない。

同卓者と、牌の理のみに、身を任せる感覚。

意志の力、が存在するのだとすれば、

そうしたい、ではなく、自然とそうなっている、という感覚。

その最初のファーストテンパイは、親番で7巡目

二三四六七八⑤⑦⑧⑨1388

のカン3ソウ。ドラは北で触っていない。

迷わず1ソウを切る。

この13のターツは、配牌から動いていない。

2ソウをどこかに固められているから、このターツをはずす、というそういうことではなく

ただ、この13の形に違和感を感じていて、

なおかつ、もっと牌山にある牌でテンパイを組むべきだ、とそう沿うべきだ、と。

全く迷いなく1ソウを抜き、シャンテンに戻す。

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ボコラレるチャンタ [感性の麻雀]

二三①④⑤⑦⑨1189北北

開局早々、親の一打目が一ワンだったので、喜んで仕掛けた。

チーでござる。

そして、時は流れ、

①③111北北  チー⑧⑦⑨ チー一二三

ここで、親リーチ。

四枚目の1ソウを持ってくる。

1ソウはド本命。

カンはしたくなかった。

けれど、シャンテンに戻すことが、嫌だった。

東一局ということで、気持ち的には攻めやすい。

親のリーチが、もし、ソーズの下をもし持っているのだとしたならば、

14ソウは、待ちとして充分にあり得る。

けれど、違うかもしれない。

リーチの時に、親が待ちを確認していたことが気になる。

14ソウ待ちなら、もっと迷わないはずなのだけれど。

4ソウ以外はすべて押す。

そうやって押しまくっていたなら、発は親リーチ3900点にぶち刺さった。

勝手に14ソウだと思い込んで振り込んだ感がハンパない。

いや、14ソウであってほしいという願望だ。

1ソウのドラは、カンをして、8000点。

アンコウのままで、7700点だから、カンをすることの加点的な意味合いは少ない。

しかも、「振り込みたくない、助かりたい。」

という思いからのカンである。

助かりたいのなら、北を抜けばよい。

けれど、1ソウをアンカンして、リーチ者に裏ドラを乗せるリスクを不可して、

(他家にも迷惑をかけて)

あわよくば、②で和了したいという心根がさもしい。

1ソウカンは、不本意。

けれど、この牌切れないでしょ?しょうがないよね?

みんな許してくれるよね?という甘えの打牌だ。

③①を外して、3ソウや2ソウをくっつけて、

11112北北  チー⑧⑦⑨  チー一二三

 11113北北  チー⑧⑦⑨ チー一二三

これで、いいではないか?

受けるつもりで残していた、①③も活用できる。

この1ソウカンは、自分勝手だった。

親リーチが入っているのに、加カンなど。

和了してしまえば、許されてうやむやにできるだろうと、心の中で少し思っていた。

最悪な決断。

楽をしている。

麻雀は4人で打つもの。

私だけが、その立場や熟練度をカサに許されるなんてことはあってはならない。

アンカンしてごめんなさい。

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間に合わない3ソウ [感性の麻雀]

その3ソウをチーしないと間に合わないと思った。

点棒は、45000点くらいあるから、もう和了はいらない南3局の親。

けれど、持っている点棒に関わらず、

「仕掛けなければ間に合わない」と感じていた。

また、仕掛けないことこそ、点棒に胡坐を掻いていることになるのではないか?と。

仕掛けることで、2900点。守備も全くないドラ六ワンの29000点。

二四五六②②④⑤⑦2488

カン3ソウをチーして、打二ワン ③を引いて

四五六②③④⑤⑦88 チー324

⑥をツモ和了。

貧乏くさい、守備の全くない手麻雀。

だけど、もーれつに手ごたえを感じる。

この3ソウを考えるよりも先に仕掛けることができた、ということ。

牌がひとつに集まってくるイメージ。

仕掛けさえすれば、「和了は盤石で、守備を考えなくていい、」

と感じていたそのことに即応できたこと。

返せば、理屈でこの形を面前で!と考えてしかけなかったとすれば、きっと間に合わない。

麻雀は、ぎりぎり間に合う、ではだめだ。

少し、先回りしすぎかな、?ぐらいが余裕があっていい。

しっかりと打てているという感覚を持てるということ。

それが一番だ。

メンタル的なものもプラスしたのか、70000点のトップに繋がる。

オカルトだけれど、形が流れ込む前兆として

こういう「スイッチを押す」ような場面がある。

言語化できないけれど、「無双化」する前兆のようなもの。

感覚が思考を凌駕する瞬間。

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終着駅 [感性の麻雀]

 注意!

この「感性の麻雀」のカテゴリーは、いわゆる論理的な麻雀論ではありません。

平面上のことが当たり前にこなせるようになったうえで、なおかつ

ああ、こういう、考え方もあるんだなあ、というくらいの感覚で読んでいただければ幸いです。

例えば、核兵器。

核というのは、どういうものなのか、それがよく理解できたうえで

それをはじめて安全に運用することができる。

これと、同じことだと思います。

フケイサンや、テンパイチャンス、牌の平面瞬間効率、

そういうことをしっかりと理解できていないのに、

やれ、流れだ、ツキだ、振り込んでも先がある、

なんて言い出すと、もうどこにもたどり着けなくなります。

当たり前のことを当たり前にやってたどり着けないから、感性の力も借りてみよう。

そういうコンテンツです。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::

いつだっただろうか?

Y氏に、「振り込まない麻雀ですね。」

とお言葉を頂戴したことがある。

とても、寂しい気持ちになったことを覚えている。

わたしは、かつて自分の武器として、「力強い振込み」というものを持っていた。

器用に立ち回り点棒を集め、でも、振り込みたくはない、

などという麻雀をもっとも苦手としていた。

懸命に組んで、8000点を振り込んだなら、12000点を取り返す。

そういう格闘技のような麻雀を好む。

謙虚に、それでもひたすら、おおきく見据えて手を組む。

そして、ぎりぎりの牌を全て通してきた。

そういうぎりぎりの牌を通すために、大局観を私なりに養ってきた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ひろりん師匠は、牌の効率とか、手組については、何も仰らない。

ただ、「牌とその対局そのものを感謝しなさい。」これのみである。

理由をしっかりと考えているのであれば、何を切ってもよい。

返せば、理由をしっかりと考えている牌は、暴牌とはなりえず、価値のあるものだ、という意味。

対局そのものに敬意を払うこと。

このことが、何よりも重い課題だった私は、逡巡することを恐れた。

ただひたすら恐れた。

自分の力のなさ、至らなさの為に、同卓者に迷惑をかけてはいけない、と考えたからだ。

なので、一打の理由は、いつも帰宅後懸命に勉強した。

ひろりん師匠は、仕事終わりの自分の時間を全て割いて、私の麻雀を鍛えてくださった。

いや、正しくは麻雀ではない。

麻雀を通して、「慈しむこころ」を教えていただいた。

それを受ける自分の力のなさと、不勉強さが、本当に申し訳なくて

惨めで、それを噛み締める日々。

そうしてすこしづつ、すこしづつ、対局そのものに溶け込むことができるようになった。

2年が過ぎて、

頭がひっくり返るくらい考えて導き出した一打の理由を

頭がひっくり返るくらい考えなくても、導き出せるようになった頃。

ひろりん師匠が

「やっと、本当の麻雀を教えてあげられる。」

とおっしゃった。

けれど、その機会は私にはおとずれず、私の麻雀はそこで、決着した。

もう、牌を通して真理を探究するつもりもなかった。

けれど、「麻雀を勉強したい」という人達との邂逅があった。

その想いは、自分のものと比べるとやや違和感を覚えざるをえないものではあったのだけれど、

それは、人それぞれ。

ホンモノではないだろうけれど、ウソでもない。そう自分と同じだ。

そういうことは、共に歩きながら見つけていけばよい。

だから、もう一度、麻雀と向き合うことになった。

けれど、手牌を中心に全てを叩き切る麻雀に辟易とする。

 私は、そういう軽い麻雀と運命を共にするつもりはない。

だから、

「理由のない牌は切らないように」

と、みなに告げる。祈りにも似た願い。

これで、みな十字架を背負うことになる。

自由に牌を組みたい自分の想いを逐一精査しなければならない、という十字架。

けれど、自分本位で勘違いとなりやすい麻雀を、そうでなく、

牌と同卓者を大切にする感覚を身につけるためにはこれに賭けるしかなかった。

本来であれば、最初は自由に組んで、勝てなくて悔しくて、考える。

これが、大筋だろう。

けれど、私は、麻雀を上から目線で教えさせていただくのではなく、

共に、麻雀を学ぶ、同志を求めている。

麻雀は、ひとりでは打てない。ひとりで真実にたどり着けるほど、簡単ではない。

自分本位で、勝てばいい、そんなくだらない麻雀を打つ人間になってもらうことが

目的ではない。そんな麻雀虚しいし、哀しいし、悲しいではないか?

そんなもの人生の彩とはなり得ない。

だから、私は、どんな初級者でも、対等に向かい合い一切手を抜くことなく接してきた。

どんなに痛みを伴う言葉でも、口にしてきた。

それは、これが遊びではなく真剣勝負だからである。

一打の理由を考える。

どこまでが、仕事で、どこからが、思い上がりなのか?

けれど、これは、同時に自分にも課される条件となる。

「にんじんとか、大嫌い、俺イラネー。」

と言っている人間に、

「にんじん食べなさい。」

と言われて、誰がこころよく思うだろうか?

他の人間に、その理由を課すのであれば、私も「説明のつかない牌」は切らない。

本来の自分の麻雀など捨て去っても構わない、と思った。

自分も一からやり直すつもりで真摯にのぞむ。

麻雀を通して何かを伝える、ということは、並大抵のことではない。

覚悟が必要だ、と思った。

未来、共に麻雀を共有してゆくであろう仲間の為であれば、

私の感性など、捨て去っても構わない。そう思って自己陶酔していた。

正しくは、そうすることが、自己欺瞞であることがわかっていながら、

無理やり封殺した形となる。

その理由は、「自分が感覚で持っているものを言語化できない」からだ。

「責任が取れないから、割愛した。」

言語化できていることすら、不十分な段階で、言語化できないことを

理解していただくことは困難だと考えた。

けれど、これは、間違っていた。

言語化できる部分と、言語化できない部分が「同時に存在すること」が麻雀である。

そして、自分の麻雀は、この言語化できない「感性」によって構成されている、ということ。

そもそも、こういう自己欺瞞な麻雀で接することは、みなの為になるのだろうか?

そして、何よりも、牌に対して失礼ではないだろうか?ということ。

最近、もう自分の手組に申し訳がなくって、通る、と感じる牌を、

理屈で止めてしまうことにとんでもなく抵抗がある。

2年、闇雲に止め続けて、どんどん委縮していく私の感性が、

麻雀を受け付けなくなってきている。

間違った路線の汽車に乗ってしまい、なんとなく違和感を感じながらも

そのまま、乗り続け、全く望まない終着駅に辿り着いて

もう気力も萎えてしまい途方に暮れている、そんな感覚。

これじゃない。どうして、こうなったのだ、と。

四七八八②③⑤⑦467東中白

東一局、親番。ドラ3

以前なら、どんなに誹りを受けようが、牌効率がどうだろうが、

私は②をノータイムで切る。

①の受けを嫌うという意思表示。

②③のターツがA級両面であること、など、私にとって何の理由にもならない。

戦う姿勢。④や⑥は、③と⑤がいるので、こんなのは、メンツになっているのと同じ感覚だ。

タンヤオ軸で測る。

だが、もう、現在の私は昔と同じ牌は切れない。

絶対に切れない。

現在の私は、中を切る。

「なんだ、これ?これは、誰の麻雀だよ?」という感じである。

そのことが、自分で許せなくもあり、また、堪らない寂寥感に包まれる。

自分で決めて自分で頑張っていただけに、より一層許せない。

:::::::::::::::::::::::::

大きく、大きく、手を組んで、おおいに楽しんで、力を尽くして、競いたい。

卑しくなく、欲もなく正々堂々と。

そして、

「ああ、よい麻雀だった。」

そう同卓者に、思っていただきたい。

そう思っていただければ、私もそう思っているわけで、それが私の望む麻雀である。

いつか、私の想いが少しでも、どこかで、誰かに伝わっていたとして、

その誰か打牌に臨む真摯な姿をみて、他の誰かがわずかでも、感動を覚えてくれれば、

きっと、私のしていることに、ほんの少しでも意味があったのだ、ということになるのだろう。

:::::::::::::::::::

Y氏の言葉は、

「もっと、いい麻雀を魅せてください。」

とのメッセージを少なからず含んでいて、

そういう意図がなかったとしても、私にとっては、ありがたいご指摘だ。

自分でわかっていても、自分で決めたのだから、軌道修正できない不器用さが私にはある。

間違った終着駅に着いてしまった私は、それでも、ここから軌道修正を図らねばならない。

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ロン和了軸の手組 [感性の麻雀]

「ツモ和了が困難だ」と感じる。

ツモ和了が困難だ、と感じるのに、何故テンパイまで牌を組むことができているのか?

テンパイの一つとなりに和了はあるのに、何故かそのツモ和了だけ困難に感じることがある。

うまく言語化できないけれど、

「ああ、これは、テンパイどまりだな。」

とか、

「食い仕掛けがあれば、ツモの順番が変化してツモ和了することができるかも?」

などど、感じることは実戦でも本当に多い。

もちろん顕在化されない意識の中に埋没している「経験則」のかけらが、

私にそのように囁きかけているだけなのだろうけれど、それに賭けたいと思うことがある。

今回も、「テンパイどまり」の展開が多かった。

そのテンパイが和了に繋がらない最大の理由は、和了牌を抑えられていること、これに尽きる。

配牌から動かないターツはツモ和了が困難。

これは、その周辺の牌が、牌山に少なく他家の手の中に組み込まれているし

その結果、そのターツは動いていない、そういう解釈も少なからず存在する訳だから、 

やはり動かないターツは、牌山からたくさん持ってくることのできたターツよりも

ツモ和了は困難である可能性が僅かだが高い、といえるのではないか?ということ。 

牌山に少なく、他家の手の内に組まれた牌での和了はロン和了しかない。

であれば、リーチはよろしくない。

リーチはテンパイをお知らせして、和了牌を抑えさせてしまうし

将来ツモ切られる可能性のある牌までも完全に抑えられてしまう可能性まである。。

ツモ和了が困難だ、と感じているターツで、リーチを打つことは

私にとって、「リーチを打って楽をしている」だけなのだ。 

3回目の半荘。東一局の2本場

配牌 

①②③④⑥七九68西北発発発

ドラは、四ワン

チャンタとホンイツ、そしてドラ軸の手組をみて、打6ソウ。

7ソウを引いても北や西を引くほどは嬉しくない。

ドラが四ワンなので、ドラの周辺のマンズをツモってきたのであれば、ドラ軸でもよい。

ツモ⑧打8ソウ

①②③④⑥⑧七九西北発発発

ツモ北で、打西

①②③④⑥⑧七九北北発発発 

次のツモが八ワンであれば打④で

①②③⑥⑧七八九北北発発発

に受けて、⑨引きを待つ。

2巡後、ツモ③

①②③③④⑥⑧七九北北発発発

ここから、打九ワン

ホンイツルートだ。

そののち、ツモ⑦で

①②③③④⑥⑦⑧北北発発発

ずいぶん早くメンホンのテンパイが入った。

けれど、ここまでずっと、テンパイから先の一枚が引けない。

⑨を引いても、打③のイッツーは考えないのだから、

①②③④⑥⑦⑧⑨北北発発発

もう、この

①②③③④⑥⑦⑧北北発発発

が最終形のようなものなのだけれど、

やはりツモ和了が叶わない気がする。

けれど、そんな根拠のない思慮のみを打牌選択の理由にはできない。

この形、リーチでもよいし、ダマでもよい。

後者を選択することにする。

ただ、他家からリーチが刺さったのであれば、追っかけリーチを打つ。

本来の正着と全く逆の戦法である。 

わざわざ、他家がテンパイするまで待って、自分の振り込みのリスクを整えて

そのあとリーチを打つなんて、リスキーすぎる。

だが、しかし、他家からのロン和了しか望めない、のであれば、

「他家がツモ切り以外選択できない状態になること 」を待つというのもアリではないか?

まだ、東場である。 

ずっと、ツモ切りを続ける。

下家から、リーチが入る。

まだだ。まだ我慢だ。

トイメンからリーチが入る。

その巡目にリーチ。

もちろん振り込む可能性も高い。

けれど、振り込みために、ダマで我慢していたわけではない。

細い和了への道を辿るための選択肢として、他家のツモ切り牌を狙っているだけだ。

もちろん、南場ならこんなことはしない。

結果、トイメンから、8枚目(後で訊ねたならラス牌だった)の⑤で和了となった。 

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ツモ和了への架け橋 [感性の麻雀]

 ツモ和了は無双である。

牌山に和了牌が存在する、という未来を、何人たりとも邪魔をすることはできない。

よく

「あ~もう、そんな牌をツモるなんて!」

とか、他家の和了をディスる発言をよく耳にするけれど、それはいかがなものだろうか?

私は、ツモ和了は、必然である、と考えている。

ツモ和了には、ツモ和了たる理由が存在する。

結果論では、片づけられがたい大いなる因果がそこには存在するのだ。

ツモ和了とは、

自分の手組の成果として、自分の牌山から和了牌を引き寄せて和了する強い和了である。

ロン和了とは、

他家の打牌を和了牌とする和了。

これはどちらも、広義な意味では等しく「和了」、なのだけれど、

ツモ和了は自力。

ロン和了は他力。

というイメージがある。 

ロン和了は相手が振り込んでくれなければそれまでだ、ということ。

ツモ和了は、和了牌が牌山に寝ていてくれさえすればよい。

このことから、私は、リーチ者からのロン和了も、

「和了牌が牌山に寝ていてくれさえすればよい、」という観点から、

ツモ和了に近いものだと、考えている。

もっとも、ツモ和了に近いロン和了、それがリーチ者からのロン和了だ。

リーチ者はツモ切りしかできない。

すなわち、無作為な牌での和了確率は数倍(リーチ者の数だけ)に跳ね上がることになる。 

だから、私はどうしてもツモ和了がかなわない状態のときには、

相手からの先制リーチを待って、「リーチ者からのロン和了」を狙うことが多い。

これは、オカルトだけれど、「ツモることができない」ということは、

「ツモることができるようになる」努力で改善しなければならない。

もちろん、正着打を打ち続けることは大前提だけれど、それでも間に合わない時に、どうするか?

何ができるのか?ということ。

:::::::::::::::::::::::::::::::::: 

この日も、間に合っていなかった。 

 いわゆる正着打で間に合わない状態。

先制リーチも追いかけられ、掴まされ裏ドラを乗せられる、というよくない展開。

もちろん、正着打を打ち続けていれば、いずれ潜り抜けることはできるだろうけれど、

たとえば雨の日に、雨が止むことを待つのではなく、

雨と対峙してそれを乗り越えたいと願う、私はそういう麻雀を好む。

リーチをかけると自分が振り込んでしまう、のであれば、

リーチをかけさせて相手に振り込ませてしまうように組むことで、

この状況は打破できる。 

いずれ自分がツモ和了できる状態にもってゆくために、

リーチ者からのロン和了を心がけるのだ。

そう考えていた3回目の半荘。東一局の2本場

配牌 

①②③④⑥七九68西北発発発

ドラは、四ワン

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つかさ会は、6月28日、午前11時から

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楽をした結果 [感性の麻雀]

東場の親番 

トイメンからリーチがささった。

24456北北西   ポン東東東 ポン南南南

ドラは③

リーチの現物に2ソウ4ソウ

12000点で充分な東場のテンパイ

トイメンのリーチは、チートイ含み。

場に一枚も見えていない北や西が絡んでいないと考えるほうが不自然だ。

小四喜含みの私の仕掛けに、危険な西や北を止めたものかも知れない。

であれば、西は危険。北も危険。

ここは2ソウ4ソウと落として、厚く受ける局面だ。

もちろん西を通せる理由が存在していれば問題ない。

押せる牌を抑えて、役満を狙うなど愚の骨頂だ。

けれど、今回は西を押せない、と判断していた。

西が危険だ、と感じていながら、受けるべきだ、と分かっていながら、

目先のテンパイを欲しがること、そのことが、もう「死んでよし」なのだ。

だが、このときの自分は「世を拗ねていて」もうそういう風に受けることが面倒くさいと感じていた。

厭世的を通り越して、正直「魂」が、腐っていた。

もういいやめんどくさい、と、初牌の西を切り出してしまった。

そのあとのツモは、北、西。

本当に北、西、とツモってきた。

結局、このホンイツは、この5ソウを引いて、

カン3ソウから36ソウに変化したのだけれど、和了叶わず。

切れない西を切り飛ばして、48000点をどぶに捨てるという意味不明な麻雀。

楽をしていること、そのことを麻雀に咎められている。そう感じざるを得ない局面だった。

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トビ有りルールなので。 [感性の麻雀]

見逃しは、和了という最大のメリットを放棄する行為。

特定条件下ではない限り選択するべきではない。

そもそも、トビ有りというルールの為に、和了できる牌を見逃すなんてこと、おかしい。

麻雀は和了を目指すもの。

それと、見逃しの選択肢を容認することで、甘えが生まれることも大嫌い。

「見逃したから、トップとれなかった。」

「見逃すおれって格好よい。」

こういう「勘違いした思考」が横行する可能性を孕んでいることが嫌い。

見逃しは、正しいことではない。

オーラスに特定状況に陥っていること、そのことのほうが問題で

安易に、

「見逃せばよい」

などという思考に陥ることはよろしくない。

私は、基本、オーラス、3900点の和了でトップに届くことをひとつの目安にしている。

12000点や、16000点が必要になるオーラスというのは、

そこに至る過程にエラーを重ねている可能性が高いので、

ひとつ上の着順を目指すことをまず念頭に置く。

今回の記事のようなトビ有りでトップ取りでオーラス決着なんて麻雀は、本当に歪な麻雀で

やはり好んで打つべきではない。

オーラス、見逃してツモ和了逆転。

 これはドラマティックで快感だろうけれど、

そういう状況でオーラスを迎えている、という現状のほうが問題だと私は思う。

見逃しは、よほどの想いと覚悟がない限り、思い上がりに直結する。

その見逃しが、どれほどの意味を持つのか、精査して行うべきだ。

今回の私の見逃しは、「Nにゃん(仮)」の発のトイツ落としに対する敬意だ。

その結果、トップを取れなくても、目先の点棒を拾うべきではない、と判断した。

この状況を導き出している理由のひとつに、「私のNにゃんからの2000点の和了」がある。

少しでも、みなに可能性のあるオーラスを迎えたい。

トップ目に楽な思いはさせない。

それが、正しくはないことも理解できているし、

もし、Nにゃんが、自分の親番で我慢せず親番であることを理由に全ツッパしていたのなら、

迷わず九ワンで和了していた、と思う。裏ドラも迷わずめくる。

そんな身勝手な麻雀を打つ人間は、飛んでいいよ。と判断していた、と思うのだ。

だから、私の判断は間違っているのだけれど、私の思うところとは符合している。

ただ、和了すればよい、だけの麻雀を打つために使う時間など、私にはもう存在しないのだから。

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