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強烈なカウンター [感性の麻雀]

注:見逃しは、和了という最大のメリットを放棄する行為です。

特定条件下ではない限り、選択するべきことではありません。

今回の麻雀のは、トビがあり、 ここでの麻雀の(わたしの)目的が、

①トップを取ること。

②オーラスまで、まわすこと。

③極力全員にチャンスのあるオーラスにすること。

であることが、局面における打牌選択の理由になっています。 

 マネしちゃ本当に、だめなんだからね!

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

2000、4000を和了しなければならないわたくし。

ドラは①

トップ目は、タンヤオチュウで躱すべく仕掛けている。

ドラの①はどこに固まっているのだろうか?

親が使っていないというだけで充分にありがたい。

10巡目に、待望のテンパイ。

四五③④⑤⑦⑧⑨11345

三ワンをツモればよい。

即リーチを打つ。

親番のトップ目も、おりていては捲られるとの判断から、突っ張ってくる。

格好の展開だ。

自分にドラがないのに突っ張ってくるとは、このトップ目も怖いもの知らずだ。

リーチ。

わたしのリーチにも、親の仕掛けにもきつい牌をきって、3着目がリーチを打つ。

「ドラはそこか!」

そう思いながらも、三ワン引きを望む。

やがて場に2枚とんでいる2ソウを掴む。

「あ、この2ソウ、はあの2ソウかな?」

数時間前の、

二三四②③④⑥⑥13456

の自分の手牌を思い出していた。

2ソウを河に置くと、3着目からロンの声。

一二三①①①②③13発発発

裏ドラも①で、24000点だ。

峻烈なしっぺ返しだ。

3着目がトップとなる。 

これは、あの九ワンの見逃しがやりすぎだ、という、そういうことなのだろうか? 

あの見逃しと、このオーラスでの振り込みとの間に顕在している因果関係はない。

それぞれが独立した事象なのだが・・・。

三ワンはあと2枚いた。

けれど、後一枚しか牌山に存在していないはずの2ソウのほうが先にいた。 

三色の同時性。

私の678の三色と同じような形。

七八⑥⑦⑧22678中中中

一二三①①①②③13発発発

なんだか、牌に九ワンの見逃しを咎められているような気がするのだ。 

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つかさ会は、6月7日、午前11時から

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見逃した先の未来 [感性の麻雀]

 あらすじ

平穏な卓上に、嵐が吹き荒れる。

18000点を和了したトップ目は

およそ 43000点くらい

わたくしは、26000点くらい

3着目は、23000点くらい

Nにゃん(仮)7900点

25000点持ち、トビありルール。

ここでの麻雀の(わたしの)目的は、

①トップを取ること。

②オーラスまで、まわすこと。

③極力全員にチャンスのあるオーラスにすること。

*このコンテンツは、オカルト的な要素で成り立っています。

 マネしちゃだめなんだからね!

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

Nにゃん(仮)の持点は、7900点

この点数にしてしまったのは、わたしの2000点は2300点の直撃が原因。

この局の直前、すなわちNにゃんの南場の最後の親番で、

Nにゃんは、他家のリーチに対して、手の内から発を2枚手出しして受けている。

すなわち、

自分が振り込んでしまい飛ぶことで、点棒がなくなってしまったそのことで、他家に迷惑をかけられない。

と、考え至った可能性がある。

親番だから、最後の親番だから、全ツッパしても構わない、とは考えなかった、ということ。

すなわち、前局に、18000点をリーチ後であれ振り込んで、

さらに親番で全ツッパで飛んでしまう、ということは、あまりにも自分勝手だと、そう考えた可能性がある。

そして、さらに、私以外の2人は、Nにゃんの点棒など大切にはしてくれない。

見逃してもらえることもあり得ない、と、考えたのではないだろうか?

すなわち、この親番のNにゃん(仮)の発のトイツ落としは、

「麻雀は、4人で打つもの。私はそれを慮ります。」

とのメッセージではないだろうか?

そのことが、あまりにも印象的だった南3局の私の手牌。 

八⑥⑦⑧⑨226789中中中

ドラ⑥のこの形から、9ソウを切る。

親の三色崩れの18000点が、頭の中のイメージとして残っていたからだ。

その三色。すなわち678である。

七ワンを引き

七八⑥⑦⑧22678中中中  ドラ⑥

即リーチ。

この私のリーチにNにゃん(仮)は、無スジの7ソウを切る。

どうやら、

私のリーチをツモって12000点。

ロン和了8000点。

もしくは、ツモって1000点、2000点。

ロン和了2600点。

だと読んでいる可能性がある。

すなわち、振り込んでも飛ばない。

そういう手組だと、信頼されているのではないだろうか?

それは、わたしの平素のここでの麻雀が揺るぎなくそうだからだ。

誰かを飛ばして終局なんて、品のない麻雀はここでは打たない。 

麻雀は4人で打つもの。4人で等しく価値のある対局を、オーラスを目指すものだ。 

そうして、やがてNにゃん(仮)から九ワンが打たれた。

5200点。 

この店には、裏ドラをみなくてもよいルールがある。

リーチをかけて裏ドラを覗き、誰かを飛ばして終局となる。

そのことを避けるための新設ルールだ。

だから、今回、 このNにゃん(仮)の九ワンを和了して裏ドラ拒否、という選択もアリだった。

けれど。 

トップ目がオリている。この九ワンを見逃して流局となっても、

供託のリーチ棒2本と積み棒で、オーラス2000,4000で捲ることができる。

この条件がほぼ確定している状態で、わざわざ3000,6000の可能性を放棄して

目先の点棒を拾う麻雀など打ちたくはない。

また、和了されて、持ち点棒が少ない相手からの和了だからといって

裏ドラを拒否することも如何なものか?

これも、不遜な感じがする。失礼ではないだろうか?

ただ、裏ドラ拒否のルール化で、飛ばないほうの九ワンが打たれた理由を考えると、

やはり和了するほうがよいのかも知れない。

損か、得かでいえば、目先の点棒を拾うほうが得である。

けれど、私は、その目先の得を追った先に、果たして何があるのか?と問いたい。

「ああ、また、打ちたいね。」

「よい麻雀だった。」

との感想に至るだろうか?

麻雀は、4人で打つもの。4人で謙虚に思いやり可能性を紡ぐもの。 

この九ワンをNにゃん(仮)から和了しなくても、未来はある。

例えこの見逃しが、大いなるアヤとなって、やがてこの身を切ることになろうと構わない。 

そういう未来も総じて全て受け止める覚悟を持って見逃す。 

より、ドラマティックにオーラスに向けて、試合を作ってゆく感覚。

自分がヒーローにならなくてもよい。

この対局の中に生まれた、「牌とそして人との一期一会」に価値を感じることができればそれでよいのだ。 

結局、流局。

私の一人テンパイ。

2000、4000、で捲れる。

このオーラスは、かましてやる。

これで、捲れなければ、私の九ワンの見逃しが、あまりにも滑稽ではないか?。 

 

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18000点は、かすり傷。 [感性の麻雀]

 となりの卓に、ヤツがいることは、気づいていた。

そのイカスめがねを見間違えることなど、ない。

私は、おそろしかったので、極力気づかれぬように、やりすごすつもりだった。

だが、21;50に隣の卓が割れた。

となりの卓から、イカスめがねのあんちくしょうが乱入してきた。

そのイカスめがねを、ここでは、仮にNにゃんと呼ぶことにしよう。

Nにゃん(仮)は、私の上家に舞い降りると、大暴れ。

私の12000点とか、なんだか、高い手組を全て捌き、東場を制圧。

そして東4局に、とどめとばかりに、リーチを打ってきた。

私は、あまりのおそろしさに、ぶるぶる震えるばかりである。

その南家のNにゃん(仮)のリーチを躱して、親リーが刺さる。⑧切りリーチ。

ドラ二ワン。

Nにゃんが、ふわりと切った牌に声がかかる。

二二六七八⑤⑥345678

18000点だ。

⑥切りリーチでも、18000点。

678の三色が強い余韻を残すそんな和了。

Nにゃんは、18000点をくらっても、

「こんなのは、参加費だぜ!」

とばかりに平然としている。さすがである。

リーチ後の振りこみから、学ばなければならないことも多いのだけれど、

メンタル的には、気にしても仕方がない。

手組の反省は、帰宅後に自分ひとりでやるべきことで、

卓上では、後悔とか反省とかしている暇はない。

私は、持ち点の半分を失ったNにゃんに親番を回すべく、2000点の手組を和了。

そのあと、

八⑥⑦⑧⑨226789中中中

ドラ⑥のこの形から、9ソウを切る。

親の三色崩れの18000点が、頭の中のイメージとして残っていたからだ。

その三色。すなわち678である。

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お出かけロックカフェ [感性の麻雀]

注意!↓

このコーナーは、オカルト的な打牌選択をふんだんに含んでいる危険なカテゴリーです。

くれぐれも、参考にしないように注意してくださいね。

:::::::::::::::::::::::::

 中学生のとき、2000円を握りしめて旅に出ていた。

2000円でどこまでいけるか?

帰りのバス代金など考慮して上手に旅をする。

これがたまらなく楽しかった。そういうことを、思い出しながら、家のドアを開ける。

夕刻、風が涼しい。

 ちょうど財布に2000円ある。

ひさしぶりに、2000円がなくなるまで旅に出よう。

そう思い小田急線に乗り、フォーンアツギへ。

おもちゃ屋に立ち寄るも2000円で買えるものなどない。

本屋に立ち寄るも、これといって欲しい本もない。

中学生の頃は、2000円って大金だったけれど、

実際、そうでもないのかな?何もできないよね。

そう思い、ファンタオレンジをゴクリ。

130円。たけええ。昔は70円だったのに。

暑いなー。でアイスをペロリ。

180円。たけええ、昔は30円だったのに。

おなかすいたなー、で生姜焼き定食をペロリ。

720円。これは、そんな、値上がりしてないかも・・・

案の定、飲み食いに散財。

帰りの切符のこととか考えると、もう600円くらいしかない。

1時間、玉でも突こうかな?

そうおもい時間を確認。

午後20時。

ふと気が付くと、私はロックカフェの前に立っていた。

このロックカフェの15分無料券を持っていたことを同時に思い出す。

私は、恐る恐る店にドアを開け、店内に。

そして、その店のマスターさださんに、

「15分、この無料券の分だけお邪魔します。」

と、断りをいれ、卓についた。

15分打って、そのあと、玉突きの練習に行くつもりでいた。

:::::::::::::::::

スタッフの代わりに卓につく。

親から、強烈なリーチが入る。

18000点クラスだ。

これを和了されてしまうと、かなり展開的にきつい。

私の親番が残っているにしろ、これ以上の加点はノーサンキューだ。

二三四②③④⑥⑥113456

二ワン②とツモって、このテンパイ。

本来であれば1ソウを切っておいて、3456のターツをのばす。

そうするべきだろう。

けれど、二、②と続けてツモって来ている。

この親を止めるために、これをダマにして、振り替わりを待つ、なんて

悠長なことをしていられるだろうか?

間に合わないよね?

それでは、間に合わない、と感じる。

言語化?できません。

けれど、ダマにするべきだ、というそのことのメリットをしっかり理解したうえでなお、

「値段は必要ない。2の数の偏りに乗れ。ファーストテンパイで親リーチを落とせ!」

と、そういう想念を抑えつけることができない。

「間に合わないんだ!このままじゃ!」

リーチ!

私は、カン2ソウでリーチを打つ。

先リーチの親から、2ソウが飛び出た。

ナデコダヨー、コヨミオニイチャンー

ロン!

だが、場の空気は、タンヤオ三色を完全に拒否した私の和了を容認してはいなかった。

無言の圧力

「なんすか?そのリーチ?」

との心の声が、聞こえるわ。

親リーチを捨て身で捌いた英雄のつもりが、あまりにも手恰好が無様だったので避難の的に。

とても、15分で帰ります!

などど言える空気ではない。

私は、残りの600円分もこのカフェで使うことを、心に決め

マドンナに、極上のカフィを発注した。

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ツモ和了への架け橋 [感性の麻雀]

 ツモ和了は無双である。

牌山に和了牌が存在する、という未来を、何人たりとも邪魔をすることはできない。

よく

「あ~もう、そんな牌をツモるなんて!」

とか、他家の和了をディスる発言をよく耳にするけれど、それはいかがなものだろうか?

私は、ツモ和了は、必然である、と考えている。

ツモ和了には、ツモ和了たる理由が存在する。

結果論では、片づけられがたい大いなる因果がそこには存在するのだ。

ツモ和了とは、

自分の手組の成果として、自分の牌山から和了牌を引き寄せて和了する強い和了である。

ロン和了とは、

他家の打牌を和了牌とする和了。

これはどちらも、広義な意味では等しく「和了」、なのだけれど、

ツモ和了は自力。

ロン和了は他力。

というイメージがある。 

ロン和了は相手が振り込んでくれなければそれまでだ、ということ。

ツモ和了は、和了牌が牌山に寝ていてくれさえすればよい。

このことから、私は、リーチ者からのロン和了も、

「和了牌が牌山に寝ていてくれさえすればよい、」という観点から、

ツモ和了に近いものだと、考えている。

もっとも、ツモ和了に近いロン和了、それがリーチ者からのロン和了だ。

リーチ者はツモ切りしかできない。

すなわち、無作為な牌での和了確率は数倍(リーチ者の数だけ)に跳ね上がることになる。 

だから、私はどうしてもツモ和了がかなわない状態のときには、

相手からの先制リーチを待って、「リーチ者からのロン和了」を狙うことが多い。

これは、オカルトだけれど、「ツモることができない」ということは、

「ツモることができるようになる」努力で改善しなければならない。

もちろん、正着打を打ち続けることは大前提だけれど、それでも間に合わない時に、どうするか?

何ができるのか?ということ。

:::::::::::::::::::::::::::::::::: 

この日も、間に合っていなかった。 

 いわゆる正着打で間に合わない状態。

先制リーチも追いかけられ、掴まされ裏ドラを乗せられる、というよくない展開。

もちろん、正着打を打ち続けていれば、いずれ潜り抜けることはできるだろうけれど、

たとえば雨の日に、雨が止むことを待つのではなく、

雨と対峙してそれを乗り越えたいと願う、私はそういう麻雀を好む。

リーチをかけると自分が振り込んでしまう、のであれば、

リーチをかけさせて相手に振り込ませてしまうように組むことで、

この状況は打破できる。 

いずれ自分がツモ和了できる状態にもってゆくために、

リーチ者からのロン和了を心がけるのだ。

そう考えていた3回目の半荘。東一局の2本場

配牌 

①②③④⑥七九68西北発発発

ドラは、四ワン

 

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振込みの先にあるもの [感性の麻雀]

「どうしても、わからないので教えてもらえますか?」

電話の向こうの声は、人事を尽くした感があり,いっそ清々しい。

Aさんの質問内容は、以下の通りだ。

東場。

自分の手が、ものすごい勢いで成長している。

三暗刻を越え、四暗刻までを見据えることができる手組。

けれど、その手を成就させるには、一枚だけポツンと残った白が邪魔。

トイトイ仕掛けで、3つ晒して手の内4枚、な他家がいて、

どうにもこうにも、この白は切れない。

切るに足る理由がない。

と、思った。

だから、我慢をした。

すると、後ろから観戦をしていた雀士から、

「私なら、白は切ります。白は切ってもよい。」

と、意見をいただいた。

自分には、どうしてもこの白を切ることが、できない。

何故、白を切ることができる,というハナシになるのですか?

 と、いう質問。

これは、いわゆる感性と大局観の問題だ。

この問いに私は、

「私も、つかさ会などの勉強対局ではない限り、

和了される可能性のある白を切ることは、あります。

けれど、まだ、Aさんは、そういう理由のない牌は切らないほうがよい、と思います。」

と答えた。

手出し、手組、場の状況の精査、そういうことが淀みなくこなせるようになった

そのあとでなければ、価値のある振り込みなど生まれない。

ただ、点棒と手組の精度の軸を失うだけである。

私は、自分の手牌を自分の子供のようにとらえている節がある。

自分の子供が、高く強く成長しようとしているのに、

それを、「振り込みたくない」という私のエゴで封じ込めてしまうことは

いかがなものか?と思うのだ。

8000を振らずに、3900を和了する麻雀よりも、

8000を振って、12000を和了する麻雀がよい。

もちろん、これは私の勝手な感覚であり、それが正しいとか間違っているとか

そういうことではない。生き方の問題だ。

だから、他人に教養するつもりなど全くないし、

「むしろ、絶対にマネをしないでほしい」と思っているし、

麻雀の勉強の場で、和了される牌を切ることはない。

何故なら、数字と確率の競技であるはずの、麻雀では、あるまじき考えだからだ。

私は、振り込みだけを避け続けて麻雀は成り立たない、と考えている。

損することだけを避けて、得だけを取るという生き方は、

私は、(あくまで私見です。誤解なきよう)寝覚めが悪いので好まない。

考えが足りないために振り込むことは、絶対避けなければならないけれど、

考えた末、手牌の成長を抑えつけているような、牌は切り飛ばしてもよい。

その牌を打たせない理由というものは、

概ね「目先の損をしたくない」といった小さいものだからだ。

もちろん、振り込みは基本忌むべきものなのだから、

その責任は全て自分で受け止めなければならない。

そして、そういう風に振り込んでもよい、と決断できる状況など

半荘3回のうちに一回、存在するかどうかだ。

そして、そういう麻雀を打てるのは、自分が教材となっていない時だけである。

つかさ会では、できないこと。

私は、次回、Aさんとつかさ会以外の場所で対局することがあれば、

その時は、必要な状況では振り込み.

そしてそれを越えてなお余りある結果を出してやろう、と密かに決意をした。

それもまた、Aさんに対する私の想いの実証であり、誠意だと思った。

そして、その機会は割と簡単におとずれたのである。

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感性の麻雀(はじめに) [感性の麻雀]

 はじめに。

このカテゴリー「感性の麻雀」は、「あくまでそういう麻雀もあるんだな」くらいで、読んで欲しい。

もちろんオカルト的な要素もふんだんに含まれているし、

根拠がない、打牌も混在さざるを得ない理屈を超えた打牌も多い。

ツキとかアヤとか、流れとか、本来形而下の存在することのできないものを扱ってゆく。

その打牌について「ありえない」という感想はご遠慮いただきたい。

何故なら、「ありえない」ことは、本人100も承知である。

その上で、切り出している打牌だ。

麻雀は、エラーの少ない人間が結果を出せるものだ。

正着打をうちつづけていれば、必ず結果は残せる。

ただ、そのこともとてつもなく険しい道である。

けれど、そういう「堅実で誠実な打牌の結果」を遥かに凌駕した情念が沸き起こることが、

やはり麻雀には存在するのだ。私はそういうものも大切にしたい。

信じて貰えないかも知れないけれど、私がこの「感性による麻雀」で、

この20数年間、それなりの結果を残せていることも事実だ。

というか、結果を残せないのであれば、それは勘違いであり、思い上がりだ、ということだ。

考えて、考えて、そのうえで、それを凌駕する感覚が生まれたとき、私は「それ」に従う。

ただ、だからこそ、その場合絶対に強固な「結果」を残す必要がある。

結果が残せないのであれば、これに限っては、何の価値もない。

「理屈の麻雀」の囲いのなかから、絶対に飛び出してはいけない。

麻雀は、無作為な選択を、必然と思い込む行為を嫌う。

それは、思い上がり、と呼ばれるものだ。

つかさ会の運営をはじめて、「感覚で牌を切ること」をやめた。

説明のつかない牌を切ることをやめた。

何故なら、そういう習慣がついてしまうと、全て「感性」で片付いてしまうからだ。

ろくに思考を重ねもせずに、「この手は勝負だと思った」とか、

「この牌はとおると思った」なんてことを言い出すと、あまりにも麻雀そのものが簡単になりすぎて

それは、ある意味もう、麻雀ではなくなる。

だから、つかさ会では、どんなに、手牌が伸びたがっていても、「説明がつかない牌」は切らない。

つかさ会は、「麻雀を勉強する場所」だからだ。

考え、準備すること。

まず、これが当たり前にできるようになって、できることは全て実施して、

それでも光がみえない、どうしていいのか、分からない。

その行き止まりのその先に「感性」の麻雀がある。

私は、めいっぱい考えてその先の未来を感じることができるのであれば、

感覚で牌を切ることも厭わない。

つかさ会では、「振込むと思う牌を切るべきではない」と言いながらも、

振込みの先に「見据える未来」が存在しているのであれば、「切ってもよい」と思うのだ。

このカテゴリーは、私だけのオリジナルな麻雀観である。

無理に参考には、しないでいただきたい。

せっかく、当ブログに足を運んでくださったみなさまの迷惑にならないことを祈りつつ

駄文を記事として連ねてゆきたい、と思うのだ。

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