振込みの先にあるもの [感性の麻雀]

「どうしても、わからないので教えてもらえますか?」

電話の向こうの声は、人事を尽くした感があり,いっそ清々しい。

Aさんの質問内容は、以下の通りだ。

東場。

自分の手が、ものすごい勢いで成長している。

三暗刻を越え、四暗刻までを見据えることができる手組。

けれど、その手を成就させるには、一枚だけポツンと残った白が邪魔。

トイトイ仕掛けで、3つ晒して手の内4枚、な他家がいて、

どうにもこうにも、この白は切れない。

切るに足る理由がない。

と、思った。

だから、我慢をした。

すると、後ろから観戦をしていた雀士から、

「私なら、白は切ります。白は切ってもよい。」

と、意見をいただいた。

自分には、どうしてもこの白を切ることが、できない。

何故、白を切ることができる,というハナシになるのですか?

 と、いう質問。

これは、いわゆる感性と大局観の問題だ。

この問いに私は、

「私も、つかさ会などの勉強対局ではない限り、

和了される可能性のある白を切ることは、あります。

けれど、まだ、Aさんは、そういう理由のない牌は切らないほうがよい、と思います。」

と答えた。

手出し、手組、場の状況の精査、そういうことが淀みなくこなせるようになった

そのあとでなければ、価値のある振り込みなど生まれない。

ただ、点棒と手組の精度の軸を失うだけである。

私は、自分の手牌を自分の子供のようにとらえている節がある。

自分の子供が、高く強く成長しようとしているのに、

それを、「振り込みたくない」という私のエゴで封じ込めてしまうことは

いかがなものか?と思うのだ。

8000を振らずに、3900を和了する麻雀よりも、

8000を振って、12000を和了する麻雀がよい。

もちろん、これは私の勝手な感覚であり、それが正しいとか間違っているとか

そういうことではない。生き方の問題だ。

だから、他人に教養するつもりなど全くないし、

「むしろ、絶対にマネをしないでほしい」と思っているし、

麻雀の勉強の場で、和了される牌を切ることはない。

何故なら、数字と確率の競技であるはずの、麻雀では、あるまじき考えだからだ。

私は、振り込みだけを避け続けて麻雀は成り立たない、と考えている。

損することだけを避けて、得だけを取るという生き方は、

私は、(あくまで私見です。誤解なきよう)寝覚めが悪いので好まない。

考えが足りないために振り込むことは、絶対避けなければならないけれど、

考えた末、手牌の成長を抑えつけているような、牌は切り飛ばしてもよい。

その牌を打たせない理由というものは、

概ね「目先の損をしたくない」といった小さいものだからだ。

もちろん、振り込みは基本忌むべきものなのだから、

その責任は全て自分で受け止めなければならない。

そして、そういう風に振り込んでもよい、と決断できる状況など

半荘3回のうちに一回、存在するかどうかだ。

そして、そういう麻雀を打てるのは、自分が教材となっていない時だけである。

つかさ会では、できないこと。

私は、次回、Aさんとつかさ会以外の場所で対局することがあれば、

その時は、必要な状況では振り込み.

そしてそれを越えてなお余りある結果を出してやろう、と密かに決意をした。

それもまた、Aさんに対する私の想いの実証であり、誠意だと思った。

そして、その機会は割と簡単におとずれたのである。

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