トビ有りルールなので。 [感性の麻雀]

見逃しは、和了という最大のメリットを放棄する行為。

特定条件下ではない限り選択するべきではない。

そもそも、トビ有りというルールの為に、和了できる牌を見逃すなんてこと、おかしい。

麻雀は和了を目指すもの。

それと、見逃しの選択肢を容認することで、甘えが生まれることも大嫌い。

「見逃したから、トップとれなかった。」

「見逃すおれって格好よい。」

こういう「勘違いした思考」が横行する可能性を孕んでいることが嫌い。

見逃しは、正しいことではない。

オーラスに特定状況に陥っていること、そのことのほうが問題で

安易に、

「見逃せばよい」

などという思考に陥ることはよろしくない。

私は、基本、オーラス、3900点の和了でトップに届くことをひとつの目安にしている。

12000点や、16000点が必要になるオーラスというのは、

そこに至る過程にエラーを重ねている可能性が高いので、

ひとつ上の着順を目指すことをまず念頭に置く。

今回の記事のようなトビ有りでトップ取りでオーラス決着なんて麻雀は、本当に歪な麻雀で

やはり好んで打つべきではない。

オーラス、見逃してツモ和了逆転。

 これはドラマティックで快感だろうけれど、

そういう状況でオーラスを迎えている、という現状のほうが問題だと私は思う。

見逃しは、よほどの想いと覚悟がない限り、思い上がりに直結する。

その見逃しが、どれほどの意味を持つのか、精査して行うべきだ。

今回の私の見逃しは、「Nにゃん(仮)」の発のトイツ落としに対する敬意だ。

その結果、トップを取れなくても、目先の点棒を拾うべきではない、と判断した。

この状況を導き出している理由のひとつに、「私のNにゃんからの2000点の和了」がある。

少しでも、みなに可能性のあるオーラスを迎えたい。

トップ目に楽な思いはさせない。

それが、正しくはないことも理解できているし、

もし、Nにゃんが、自分の親番で我慢せず親番であることを理由に全ツッパしていたのなら、

迷わず九ワンで和了していた、と思う。裏ドラも迷わずめくる。

そんな身勝手な麻雀を打つ人間は、飛んでいいよ。と判断していた、と思うのだ。

だから、私の判断は間違っているのだけれど、私の思うところとは符合している。

ただ、和了すればよい、だけの麻雀を打つために使う時間など、私にはもう存在しないのだから。

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