まったく考えない麻雀 [感性の麻雀]

 考えて打つことは等しく価値がある。

けれど、考えて打つことばかりを盲信して、

考えること、に逃げてしまうことも、よくない。

考えていたから、よい。がもっとも危険。

考えている、ことを免罪符にしてはいけない。

考えなくてもよいことを、考えなければいけないのであれば、

そのことは恥じなければならない。

私は、考える、ということ、そのことを、取ってみても、

大きく2つの種類に分けられる、と思う。

1つは、打算。

損をしたくないから、考える。

もう一つは、愛。

なんとか、誰かの役に立てないだろうか?と考えること。

麻雀の「考える理由」は前者となる可能性が高い。

すなわち、打算である。

もし、あなたの最愛の人が、あなたの生涯賃金を代償にその命が助かる、

と言われて、考えてしまうのであれば、それは、なんとも残念な打算である。

こういう質問には、考えずに答えることができなければおかしい。

考えることが、損をしない為の確認であってはいけない。

人の思考(考えること)は、常に、「誰かの為」であるべきだ。

考える必要にないことは、考えずに瞬間的に「判断」する。

その感覚を、私は久しく失っていた。

牌のあるがまま、望むがままに、寄り添ってゆく感覚。

 もう考えることは、やめだ。

考えることは、自宅に帰ってから。

対局はもっと粛々と行われるべきだ。

瞬間的に判断をして、一切後悔はしない。

同卓者と、牌の理のみに、身を任せる感覚。

意志の力、が存在するのだとすれば、

そうしたい、ではなく、自然とそうなっている、という感覚。

その最初のファーストテンパイは、親番で7巡目

二三四六七八⑤⑦⑧⑨1388

のカン3ソウ。ドラは北で触っていない。

迷わず1ソウを切る。

この13のターツは、配牌から動いていない。

2ソウをどこかに固められているから、このターツをはずす、というそういうことではなく

ただ、この13の形に違和感を感じていて、

なおかつ、もっと牌山にある牌でテンパイを組むべきだ、とそう沿うべきだ、と。

全く迷いなく1ソウを抜き、シャンテンに戻す。

2222yjimage.jpg

7月26日、午前11時から

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