スタープラチナ ザ ワールド
DIO様にあこがれ続けているその男ターミヤは、その「時をとめる」能力を習得した。
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これは、私見です。
麻雀での実戦では、本来「逡巡なし」全員ノータイムで打つべき。
「迷った牌である」という情報を卓外に落とすことは、そのままゲーム性への破壊に繋がる。
「逡巡することは、同卓者への甘え」に他ならない。
厳しいようだけれど、麻雀においては、打牌の所作も所要時間も均一でなければ、意味がない。
では自分は「逡巡のない対局」ができているのか、と言われたなら
本当に情けない話だけれど、「まだ、まだ。」である。それくらい難しいのだ。
もちろん、勉強会のように「しっかり考えること」を目的とした対局は、例外だが。
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その対局中、DIO様に憧れているその青年は、ザ ワールドを連発。
周囲の迷惑を考えることなど考えることなく、時を止め続けた。
時を止められているほうは、時を止められていることに気づかないので、
そのターミヤの打牌は、いっぱい時を止めて逡巡しまくってるくせに、実はノータイム。
他家からみると、「ノータイムのターミヤ」だ。
しかも、スタンドは、スタンドでしか倒せないので、我々は対抗の術がない。
ターミヤは、ザ ワールドを使いまくったのち、さらに、ザ ワールド。
7mを切る。7mが並ぶ。
他家から、リーチがささる。
とりとんが、リーチへのリスペクトで、場に一枚切れの手の内トイツの「中」を外す。
しっかりと受けきる応手だ。
中を切るとターミヤに刺さった。
999m白白白発発発中XXX
三暗刻、小三元、10枚の牌でハネマンである。
このような和了を、ノータイムで打てることは、本当に素晴らしい。
まさに、ホンモノという感じがするのだ。
逡巡していると、「かんじわるっ!」となる和了も、
ノータイムだと、「外連味がない」となる。
迷いがない準備された様子は、なによりも美しいと思うのだ。