究極の国士無双 [麻雀小説]
満月が歓楽街の外れにある、屋台を優しく照らす。
「なあ、国士無双ってあるだろ?」
くたびれきったサラリーマンがおもむろに口にする。
「ああ、麻雀の役だな。」 となりでカップ酒を齧っていた男が、所作なく返す。
「その国に並ぶ者などいない強者という意味らしいけど、麻雀の役だと少し意味が違うんだ。」
と、続けるサラリーマン。
麻雀でいう、国士無双っていうのは、弱者に残された最後の希望なんだよ。
使いものにならない19字牌。
このてんでバラバラのクズ牌を13枚集めると、最強の役になる。
どうしょうもなくツキに見放された人間への最後の救いの役なんだ。
なんだか、ロマンチックだと思わないか? 最低最悪の不遇な逆境を、最高なチャンスに変えることができる。」 サラリーマンは、誰に伝えたいという風でもなく、小さな声でつぶやいた。
「麻雀っていうのは、人生そのものなのか。諦めなければチャンスは必ず来る。」 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
仕事が終わると、その麻雀教室へ向かった。
時計の針は、午後9時10分を指す。
幹線道路を、信号に引っかからないよう祈りながら、車のアクセルを踏む。
私の通っている麻雀教室は、午後11時には終了する。
「半荘一回は、打ちたいなあ・・・」 そう願いながら教室の前に車を停め、教室の扉を開ける。
ご婦人が興じている一般のノーレート卓が、一卓。
どうやら競技麻雀の卓はまだ立っていないようだ。
最悪、今日は後ろ見オンリーになるのかな、とそう覚悟していた私は、安堵した。
今日は、とにかく打ちたかった。
昨日の対局では自らの弱い鳴きで、好牌を散らしてしまった。
今日はいつもとリズムを変えて、重い麻雀を打つ、そう決めていた。
夕方から、気も漫ろだった。 今日は、競技麻雀の生徒が少ない。
もしかしたら、先生と打てるかも知れない。
そう思いながらひろりんの方を見やる。
「久しぶりに、打つかね?」 ひろりんは、抑揚のない声で、私に答えた。
ひろりんは私の先生。 類なる感性で、麻雀の無限の可能性を教えてくれる。
僥倖。 願ってもいないチャンスが訪れた。
ひろりんの、ご子息と、私と、Dいん。 この4人での、競技麻雀での対局となった。
半荘1回。 とにかく、悔いが残らぬよう、しっかりと打つ。
そのことばかり考えていた。
打てる人間と同卓すると、途端に手が入らなくなる。
私は、ひろりんの対面。北家スタートだ。 重い展開が続く。
僅差の攻防戦。1300点や2600点の和了で、場が進む。
ひろりんは、ほとんど仕掛けず、ノーテン罰符と小さな和了が一つ。
もともと早いリーチや愚形リーチは多用しない打ち方がひろりんのスタイル。
いつも何をやっているのか、わからない、そんな感じだった。
リーチを打てば、ほぼツモ和了されてしまう、いつもそんな感じだった。
そして、迎えた南2局。 忘れられない一局。 ひろりんがトップ目の親。 ドラは北。
このひろりんの親だけは、なんとかしないと。
北家である私に、親番は回って来ない気がした。
暗黙のうちにひろりん以外の三人は、この親を落とすこと、に終始する。 競技麻雀は、60分打ち切り。
ただ、ひろりんもすんなりと和了できそうな状況ではなかった。
私は全神経を集中して、 ひろりんの打牌を見つめる。
私のツモ番。 ひろりんと目が合う。 ひろりんも、私の打牌を見つめていたようだ。
というか、誰も自分の手牌なんて見ちゃいない。
そう、手出しツモ切りを見極めて、 相手の13枚をひたすら考える、その作業に没入していた。
当時、半荘1回200円。 今思えば、この内容であれば、半荘1回10,000円でも惜しくない。
それほどに、熱い対局だった。 2度と戻れぬ灼熱の日々。 我々は、ひろりんの麻雀に、心酔してゆく。
南2局。 画像の捨て牌で、ひろりんが⑤を切ってリーチ。
九①西9⑨五 タンピン系か、チートイ。 ドラの北を二枚持たれている可能性が高い。
我々は、必死で受ける。 ひろりんが、一発でツモらなかったということは、ロン和了狙いだ。
そして、終盤。窮して離したどいんの四枚目の東が、国士無双に突き刺さる。
48,000点。
なぜ?なぜ? この状況で国士狙いなどありえない。
我々は、狼狽え、ひろりんに問い詰める。 我々の、問いにひろりんは粛々と答える。
もう過ぎ去ったこの1局を完全に再現する。
我々の失策も露呈する。
とにかく、東場から、わしの形はよくない。牌が動いていない。
また、みんなの形もよくない。
全員の捨て牌が、そう教えてくれちょるじゃろ? 強い牌の周りが全然動いちょらん。
南場に入ってからもそう。仕掛ける絵が来ない。
特に、国士を狙う直前の1.2局は、シュンツ手を狙うことが難しいと、牌が教えてくれちょる。
じゃから、親番は、チャンタとチートイ、そして国士の天秤。
何牌かツモり、チートイがきびしくなり、端の牌を縦に切って、あらゆる可能性を追う。
さらに何牌がツモッてみるんじゃが、強い数の周りが動かないので、最終的には、国士無双のテンパイ。
配牌で、8種9牌じゃから、国士を狙う。そんなのは麻雀じゃなかろう。
誰にでもできるポンジャンゲームじゃ。そんな楽な麻雀はつまらん。 わしは、そう思う。
もっと、大きく大きく捉えなさい。目の前にある物が全てじゃないじゃろ?
この国士も単なる結果にすぎん。
そこに至る過程を大事にしなさい。
それが麻雀じゃ。
4枚目の東で、国士無双に放銃したどいん。
ドラといつのチートイも注意して受けていたが安牌がなくなり、迷惑をかけまいと止めていた東を切る。
今でこそ、「あの東はぬるい」と笑いながら話せるが、当時はたまったものではなかった。
ひろりんの思考を尋ねて、我々は恥ずかしくなる。
和了そのものよりも、努力の積み重ねがすごい。
1牌1牌が、とてつもなく重い。
ただ、牌を絞っていただけの自分たちの努力不足を心から恥ずかしく思った。
ひろりんが、なぜ、ノーレートで、そこまで魂を込めてくれるのか、今はとてもよく解る。
ひろりんは、我々に自分の大切な「麻雀への想い」を本気で伝えてくれようとしていたのだ。
この頃の対局は、1つ1つが、もう二度とあいまみえることは敵わない師との、揺るぎない絆となる。
国士テンパイ時も、対局者にチャンタや、イッツーを意識させるように手牌を並べる。
果てしない工夫が、私に与えてくれたドキドキは、
25年経った現在でも、私を突き動かしている。