超面前派

仕掛ける理由は、間に合ってないから。

先んじることができれば、対応する、のではなく

対応してもらう、ことができる。

風下に回らないことが一番大切だと、体に染みついている。


初参加の方。

とても、よい麻雀を打ってくださる。

その麻雀を観たい、ということと、

あまりピーキーな真似をして、

「なんなの、このひと?」と思われたくない、という理由から重めに組む。

麻雀は4人で打っているわけだから。

東場は、観察をして、南場の親を起点にして1回の攻撃まくりを考える。

仕掛ける牌をスルーして、形を整え

前に出ないで、しっかりと受ける。

56m4678p67789s北北

この13枚の時に先制リーチ。

縦重なりのありそうな、最終手出し、マンズのタンピン系のリーチだ。

3mを引いて、ツモ切りを考えるけれど、

ここは、マジョリティにしたがって、北を切る。

場に一枚もでていない北。

チートイにささった。

平素なら、ピンズに色読みをして、マンズを押す局面だ。

受ける、と言いながら、おりている。

受けるということは、リーチを受けて、手牌を再構成すること。

リーチを踏み台にして、価値のある手組に組み上げることだ。

受けるなら、9ソウからだ。

一盃口、チートイツを遠くにみて、タンヤオ軸に組みなおす。

北は、受けている牌ではなく、「逃げている牌」だ。

こういう魂のない打牌を重ねることなんて、これまではなかった。

腑抜けでいる。

自分の打牌を過去の自分がみたなら、その軽さに、気を失うかもしれない。

打つのなら、死力を尽くす。それが、礼儀だ。

これが、できないのであれば、少なくとも自分の麻雀には価値がない、と思う。

最近、思考に切れが全くない。

感覚が死んでいる。

きっと、感性に水をあげることができていないのだな、と思う。

死力を尽くして打てば、「なんなの、このひと、鳴いてばかりで。」

とは、思われないはずだ。


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