防御の分岐点 [TSUKASA会]
本来13枚あるはずの手牌が短くなり
その結果、窮して振り込んでしまう。
食い仕掛けるうえで、こういう事態だけは、絶対に避けなければならない。
だから、そうならないように、食い仕掛ける際には、
攻撃一辺倒にならないように、守備の牌を抱えるようにしている。
返せば、守備の牌を抱えることが困難な場合には、
その食い仕掛けを選択しない、ということ。
それは、長く麻雀を打ち続けているうちに、知らず知らずに身についた
「臆病な習慣」なのかも知れない。
残り手牌、4枚。2分の1までは、押します!(状況にもよるだろうけれど)
なんていう麻雀は私には、逆立ちをしてもマネができないのだ。
西家で、ドラが三ワン。
点棒状況は、高得点には振り込んではいけない、そういう状況。
親番に振込むことだけは避けたい。
けれど、まるで和了への道を指し示すように、
必要な牌が河に打たれ続けて
わずか6巡目に以下のテンパイ
一二三四四99 ポン⑨⑨⑨ ポン九九九
ドラが三ワンなので、片和了の9ソウで、5200点のテンパイだ。
なんとか、四ワンをはらって、9ソウ以外の牌でも和了できるようにしたい。
ここに、一ワンをツモ。四ワンを切る。
一一二三四99
一ワンチー。三ワンチー。
そんなことを、考えているうちに、1ソウを持ってくる。
1ソウは、ほぼ、全員の和了牌。
ついでに付け加えるのであれば、四ワンはチョー危険牌である。
正確には、将来危険となる可能性が高い牌、というべきか。
このあたりの判断が、いつもわたしは、守備に寄る。
一一二三四199 ポン⑨⑨⑨ ポン九九九
ここから、シャンテンに戻す四ワン切り。
一一二三99 1 ポン⑨⑨⑨ ポン九九九
ここからは、1ソウを引いてもチンロウトウへは、わたれないため
一ワン二ワン三ワン1ソウ2ソウ3ソウ9ソウ
を引けば、いい感じのテンパイになる。
タンピン国士無双 [麻雀]
最上位クラスの麻雀。 [TSUKASA会]
麻雀はカンタンじゃない
私見です。
残された時間は、生きていれば生きているほど
当然のように短くなる。
変に厭世的な気分に包まれる日もある。
いつか終わりが来ることがわかっているのであれば
現在できることを冷静に考えて
可能な限り純度のある時間を重ねたい。
その為には、明確な目的が必要。
道をみつけて、それを縁に歩きだすこと。
麻雀が普及している。
ライト層が増えている、と思う。
簡単に麻雀が楽しめる時代。
けれど、それは返せば没個性の時代。
自分の麻雀、をみつけることが困難な時代。
たとえば、そう
本やネットで楽に得た知識、
これを身につけて、麻雀が打てる時代。
そのリスクを兼ね備えている。
自分で考えなくても打てる
マジョリティ正義の麻雀だ。
他人の経験をまるで自分の経験のように
身につけているかのように勘違いする。
勘違いしやすい安易な世の中だからだ。
本やネットの知識を、「疑い精査して検証」することなしに
それは、麻雀の教養とはなり得ない。
本に書いてあること、その「何故」を検証すること。
何度も何度も、失敗して「自分の納得できる考察」に
たどりつくこと。
そのことを目的とすることなしに、
麻雀の喜びなどあり得ない。
ライト層は、ライトな感覚で麻雀を屠り
やがて無目的に霧散する。
無理もない。
だって、ノーレートで痛みもなく
簡単に身につけた麻雀では
(レートがのってればよい、というものでもない)
目指すことすらできない世界があるのだから。
麻雀をちゃんとみつめているひとは、
自分の頭で考えることのできるひと。
未来に繋がる道を見つけることができるひと。
そういうひとたちが、
ライト層のひとたちに
魂が震えるほどの麻雀の魅力を
伝えることができたなら、
本当にワクワクする時代がくるのだろうな、と思う。
お金を賭けるとか、賭けないとか、
一生懸命だとか、舐めてるとか、
お金の代わりにプライド賭けてる、とか
そういう言葉は要らない。
言葉がなくても、
そのひとがどういう麻雀を目指しているか、
同卓していればわかるから。
とはいえ、最近はいろいろ優れず
他人の麻雀をちゃんと観ることすらままならない。
ましてや、つかさ会のような
12時間開催、なんてことになると
もう完全に無理。
麻雀との時間を粗末にしたくない気持ちと
ままならない現実のなかで
悲しいかな、老いを感じる。