麻雀はカンタンじゃない

 


私見です。


残された時間は、生きていれば生きているほど


当然のように短くなる。


変に厭世的な気分に包まれる日もある。


いつか終わりが来ることがわかっているのであれば


現在できることを冷静に考えて


可能な限り純度のある時間を重ねたい。


その為には、明確な目的が必要。


 道をみつけて、それを縁に歩きだすこと。


 


 


麻雀が普及している。


ライト層が増えている、と思う。


簡単に麻雀が楽しめる時代。


けれど、それは返せば没個性の時代。


自分の麻雀、をみつけることが困難な時代。


たとえば、そう


本やネットで楽に得た知識、


これを身につけて、麻雀が打てる時代。


そのリスクを兼ね備えている。


自分で考えなくても打てる


マジョリティ正義の麻雀だ。


 他人の経験をまるで自分の経験のように


身につけているかのように勘違いする。 


勘違いしやすい安易な世の中だからだ。


本やネットの知識を、「疑い精査して検証」することなしに


それは、麻雀の教養とはなり得ない。


本に書いてあること、その「何故」を検証すること。


何度も何度も、失敗して「自分の納得できる考察」に


たどりつくこと。


そのことを目的とすることなしに、


麻雀の喜びなどあり得ない。


ライト層は、ライトな感覚で麻雀を屠り


やがて無目的に霧散する。


無理もない。


だって、ノーレートで痛みもなく


簡単に身につけた麻雀では


(レートがのってればよい、というものでもない)


目指すことすらできない世界があるのだから。


麻雀をちゃんとみつめているひとは、


自分の頭で考えることのできるひと。


未来に繋がる道を見つけることができるひと。


そういうひとたちが、


ライト層のひとたちに


魂が震えるほどの麻雀の魅力を


伝えることができたなら、


本当にワクワクする時代がくるのだろうな、と思う。


お金を賭けるとか、賭けないとか、


一生懸命だとか、舐めてるとか、


お金の代わりにプライド賭けてる、とか


そういう言葉は要らない。


言葉がなくても、 


そのひとがどういう麻雀を目指しているか、


同卓していればわかるから。


 


とはいえ、最近はいろいろ優れず


他人の麻雀をちゃんと観ることすらままならない。


ましてや、つかさ会のような


12時間開催、なんてことになると


もう完全に無理。


麻雀との時間を粗末にしたくない気持ちと


ままならない現実のなかで 


悲しいかな、老いを感じる。


 


 


パラロス本家↓

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