追いつけそうな感覚。

観戦されると、うまぶってしまう。


ちゃんと見てくれているか、どうか、は雰囲気でわかる。


少しでも、麻雀の素晴らしさを伝えたい。


ドラがなくても、形と色で、打点を作る。


そういう麻雀の可能性を伝えたい。


役なしの手組から、倍満がみえる手組へ丁寧にワタリを組む。


奇跡のような牌の動きにこっそり感動しながら、


それでも和了へはたどり着くことができず、


結果としては、自己満足の麻雀を重ねてしまった、のでは、と反省をする。


これを言ってしまうと、元も子のないのだが、


不利な点棒状況に合わせて、の「打点作り」ではなく


そもそも不利な点棒状況を作らない努力のほうが大切だ。


1000点を高打点にするために、和了できずに、


ますます高打点が必要となる。


打点は、やるべきことをなすときに、見落としてはいけないもので、


手役は打点の為だけではなく、和了するためのガイドラインでもある。


素直ではなかったことを、猛省する午前の対局だった。


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ポーカー終了。


終電までの時間で、半荘1回を戦う。


いつものようにゆったり構えるのではなく、


他家のチャンスを潰して、


「よいポジション」でオーラスを迎えることが目的となる。


手役をガイドラインにして、打点は見落とさないように注意。


オーラス


ラス目の親番から、リーチ棒がでて、


2600のロン和了で、2着。


5200のロン和了で、トップ。


1000.2000、ツモ和了でもトップ。


リーチを受けた自分の13枚は、ドラ7p


56m125678p24発発中


3sを引く。ものすごく感触がよい。


いけそうな気がする、ではなくて、


いかなくてはいけない気がするのだ。


打中


56m125678p234発発


8mを引き、発で受けようかな、とよぎるが、


麻雀、そんなに自分に都合よくはできていない。


このあと、8mを重ねて、発を落としてなおかつ3pから埋まって・・・


というのは、あまりにもムシが良すぎる。


発だって、場に1枚も出ていない。通るとは限らない。


トップ目が、受けている。


ラス目の親番リーチなら、一度和了されても、次局、という算段だろう。


それは、賢明だと思う。でも


「俺は、今なんだよ!」


「この局を受けること。」


それは、保留だ。


「楽をして、困難から逃げているだけ」だ。


器用に立ち回るのではなくて、このドラ1の13枚を間に合わせる。


そうしなければいけない、と感じる3sツモだ。


打8m


次巡


ツモ3p


今しかない、と感じる。


56m1235678p234発発


発を外して、58pを重ねる?


そんな自分に都合の良いことばかり起きないって。


47m先にツモッたら、シャレにならないエラーになる。


3s3pの素直なツモ。


「いまだよ、いまだよ。」って牌が教えてくれてる気がする。


8pを切ってリーチ。


4mロン和了。


見逃しはしない。


2着でも、よい。


そんな、麻雀、自分に都合のよいことばかりおきない。


これで、裏ドラがいたなら、


見逃しの選択は、取り返しのつかないエラーになる。


裏ドラいそうな気がする。


裏1で、トップとなる。


親のリーチは、発と3sのシャボ。


親リーのロン牌である3sを即座に吸収。


ひよって発をきれば、放銃。


ただ、3sツモの感触に逆らえなかっただけなのに


思いもよらぬトップとなった。


試されている、と思った。


ウマぶって、結果を逃す。


親リーチを受けて、発を切る。


56m1235678p234発発


打点が足りないことを理由に、リーチにいかず


ここから、発を切る。


どちらも、正しいけれど、それは机上の正しさだ。


牌は生きていて、麻雀は生きている。


生きている。


ツモ牌から感じ取ることよりも、確かなこと、はない、と


あらためて思った対局だった。




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