正しさの先にあるもの。
謎の疲労困憊で、ポーカーテーブルから離れて、
意識を取り戻したときには、時間が流れ過ぎていて
ラストスリーハンドだった。
物足りない気持ちでいるなか、少しだけ麻雀を打とう、というハナシになった。
勉強会の様相、質問あり、で「誰かの終電」まですすめる。
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王道より、覇道がよい。
「正しさ」に安心を求めず、既成の概念を破壊して、自分なりの価値感で再構築する。
「正しさ」を知っているからこそ、かなう「挑戦」。
それことが、「正しさ」の正しい使い方だ。
それを、私は「努力」と呼びたい。
当該ブログについて、打牌についての批判、意見は、個別対応いたしますので、
コメント欄やツイッターにいただければと思います。
この終電サドンデスの勉強会は、
自分がこれまで「正しい」とおもっていたことを、「疑う」機会となり本当に勉強になった。
「麻雀」は、「正しさ」に甘えてはいけない。
これは、こうするべきだ。
こうしないと損だ。
麻雀に存在する些細な正しさの楔。
「正しい」ことは、いつも息苦しく、閉塞感が漂う。
自分にとっては、「正しさ」は抗えない「終息」を思わせる。
そういうことを踏まえたうえで、「疑い」そうではない選択肢を見つけてゆく。
その結果、再び「正しさ」に帰着することになったとしても、
疑った分だけ、より強い「思考」となる。
遊び半分な心構えではなく、ちゃんと疑い、必要があれば、壊して、組みなおす。
自分は、そういう刺激が欲しい。正着を疑うに足る理由が欲しい。
それこそが、希求の喜びであり、学びの喜びだ。
222444m4455666p
例えばこの形からの親番6p大明槓ってどうだろうか?
8巡目。
アンコースと、面前を捨て去る大明槓だけれど、
いくつかのメリットも実はある。
①6pの所在を4枚晒すことで、45pが取りやすくなる可能性がある。
②3pでの和了を拒否することができる。
③ドラが増える可能性がある。
④瞬間、「テンパイからの大明槓はない」と思わせることができて、ロン和了が期待できる。
どれも、ピーキーで制御不能なイメージではあるけれど、破壊力は抜群だ。
南1局 ドラ7s
親リーチを受けて
7799m4466p668s
このチートイのテンパイに、ツモ3p
この3pは親リーチに振り込みとなるのだが・・。
比較的安全そうな9mを抜くことが、セオリー。
だけど、それとは異なる感覚もある。
ダマテンにしていて、親リーチを受けた巡目にツモって来た3p。
これを3p単騎にして追いかけリーチを打てたなら、
ずいぶんと強い押し返しとなると思うのだ。
ダマのチートイで、相手のリーチを受けて、追いかけリーチ。
どのみち、親リーチを読み切ることはできないのだから、
であれば、打たれたから打つ返す、というある意味自然な対応も「あり」なのかな、と思う。
ドラそばの8sが、親リーチを受けた巡目に、3p待ちに変わる。
であれば、この3pで押し返す。
親リーチに対して根拠なく、懸命に受け続けて1600点を拾うよりも
遥かに、力強い応手のような気がしてならない。
アンコースーの時に、切り捨てた3pが、数局を経てこのチートイツで生き返る。
そういうアヤを感じていることも、事実だ。
「それ以外の選択肢を持つことができない」
そういう局面も麻雀にはある。
けれど、
「それ以外の選択肢を持ってはいけない」わけではない。
感性に潤いを。
自由な膨大な選択肢からの精査を楽しんでこその「麻雀」だ。と思う。