感性という誤謬「勉強会①」
パスタを食べ、少しお話をして、20時。
海沿いの国道を回り、2速全開で道場へ向かう。
そろそろ先生たちも集まっているころだ。
席は4つ。
打てなくても構わない。
いや、むしろ観戦のほうが勉強になる。
半荘一回だけだけれど、圧倒的な濃度。
メモ禁止だったので、記憶するしかない。
対局を何度も何度も反芻する。
勉強会のあと、車中でずっとその対局のことを論議する。
帰宅後も、ずっとその対局を振り返る。
翌日、昼休みの時間に、当時は通話料金の高い「携帯電話」を使い先生に質問をする。
まさに夢中だった。
麻雀にいのちを賭けていた。
半荘1回にかける時間は、3時間。
それでも全然足りない。
日々、わからなかったことが、明らかになってゆくことが嬉しかった。
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あれから、20年。
部室を使って、勉強会を行う。
天井にスマホ。
背後にスマホ。
対局中に気になった画像を重ねて撮影。
対局中は、全員の手牌を開いて考察。
半荘1回、3時間ちかくかけて精査する。
対局が終わったのち、撮影した動画をチェックする。
ノータイムで切れていない場面。
自身の基本動作が、情報を落としていないか?をチェックする。
おかげで、いくつかの事柄に気づくことができた。
自分の麻雀を俯瞰できる。自分の麻雀は、2つほど、特徴がある。
自画自賛となり、恐縮だが、その力も年々落ちてきている。
一つ目は、場に対する反応速度。
ドラと一打目を見ただけで、和了しやすく振り込みにくい手組を目指している。
シャンテン数を鑑みず、場に誠実に対応できている。
(できていないこともあるけど)
例えば、
上家が、ピンズのホンイツ
対面が、マンズのホンイツ
下家が、チャンタ
の場合、
マンズを切り出し、ピンズ軸のチャンタとチートイに向かっている。
字牌を止め、シャンテン数と引き換えに場に合わせて
長く戦えるヨンシャンテンに組んでいる。
二つ目は、大局観。
押すべき局面をしっかり押すことができている、と思う。
(できていないこともあるけど)
オーラス、トップ目 1300の和了が欲しい。
上家の親番が、1S手出しのリーチ。
自分は、
567m23488p34568s
ダマのテンパイ。
ここに、引いた8sをツモ切り。
親のリーチはソーズの下かピンズ。
4sが場と自分の手の中に四枚見えている。
一番通りそうな8sだから、ということも理由だけれど
なによりも、「押すべき局面」であることが大きい。
ダマで押し切る局面。
ただ、ピンズを掴んだなら、受ける。
7Pあたりを掴めば、8s→6sと外すだろう。
このあたりのことは、頭で考えるより先に、感覚で動いている。
場をみることは、習慣で「いつも、あたりをつけること」が大切。
この人は、マンズだなとか。
大局観は、現在やるべきことの精査が必要。
押すべき局面だ、との精査の後、どのように押すのか、考える。
この2つを気をつけるだけで、麻雀はどんどん深くなる。
脊髄反射で重ねている打牌を、「感性」という言葉で片付けてしまわないで、
その理由について、考えると、思わぬ発見がある。
考察ありき、だと思うのだ。