絶望しない麻雀(中途半端な牌を切らない)

 


 


フリー雀荘でメンバーさんが、話かけてくれる。


「勝ってるひとって、ベタオリが上手ですよね。


ぼくは、麻雀ってそこも大事だと思うんです。 」


うん。それは、そのとおりだ、とおもう。


色々お返事差し上げたいことはあったけれど


どのようにすれば、ちゃんと伝わるか、よくわからなかったし


メンバーさんも仕事中なので、


「場況判断がしっかりできていて、


手牌に溺れない押し引きができてることは、


とても大事だと思う。」


とだけ返す。


和了することと、おりること、それ以外のとても大事なことがある。


それをお伝えしたくても、


私は彼との同卓の機会がないのだから、


どうにも、言葉をつかってうまく伝えることに自信がないので、


そういう当たりさわりのないことしか、伝えられない。


:::::::::::::::::::


つかさ会で観戦をしていて、「すごいな」と思うことは、


天鳳の高段者たちの打牌だ。


どんなドキドキな手牌でも、


「打てない」と判断したなら


ノータイムでメンツの中抜きをする。


これは、「条件に見合わないときには、振り込まない」


という、ロジックがあるからだ、と思う。


ピンフのテンパイからでも、ガシガシ壊す。


スジとか、ワンチャンスとか、そういう中途半端な牌は切らない。


押し引き。


よく打てていると思う。


ただ、自分とは違う。


そういう潔い決断を受け止めながらも、


それとは違う意味合いで、何とも言えない寂寥感に包まれる。


絶望しない一番の方法は、


「諦めること」だ、そうだ。


手牌を諦めてしまうこと。


「ダメなら諦めますわ~」


これを前提に打ってしまわざるを得ない


ある意味正しい麻雀に対して


私は、とても抵抗を感じるのだ。


これは、おのおのの哲学の問題だから、


これもまた私見になるのだけど。


できることなら、


「ダメになって諦めずにすむように」


工夫をするべきだ、と思うのだ。


「ダメだったらおりますわ~」の結果,失点を防ぐより、


「ダメにならないように、工夫する」の結果


かなわず失点するほうが未来を感じることができて、好き。


例えば、親リーチがささる。


親リーチには振りこむことはできない。


親リーチが来るまでしか、自分の手牌は


和了に向けて組まない、ではなくて、


そうならないように、場の状況に対して


工夫をするのだ。


(自分の手牌かわいい!危険牌をゼンツなんて言うのは論外)


やれることは、すべてやる。


やれることはすべてやらなければない。


それが、麻雀だ、と思うのだ。


諦めずに、道を見つける。


その感覚を持って、実戦できることが


麻雀の大きな魅力のひとつだ、と私は思う。



麻雀 ブログランキングへ


nice!(0)  コメント(0)