ドラいらない [哲学する麻雀]
ドラが、開局後、卓上に無条件に価値を落とす。
ドラだから、打てない。
ドラ待ちなんて、やりすぎだ。
ドラをツモリたい。
などなど。
ドラのせいで、ドラの存在のせいで
ドラを言い訳にして、卓がまわる。
そのことが、好きではない。
目の前にニンジンをぶら下げられて
走らされているような、そんな感じ。
ドラのせいで、本当に大切なものが見えなくなる。
手牌の成長。
場に安い強い色や、場所。
そういった麻雀の絶対を、ドラが横切る時には
ドラなんてないがしろにして構わない、と思うのだ。
私は(本当に私見だけれど)ドラは単なる懸賞牌だ、と思っている。
主役ではない、完全なる添え物だ。
もちろん、だからといって粗末にする必要はない。
他家が粗末にしないものを粗末にする必要はない。
見落とさないように、大切に扱うのだけれど
大切にしすぎたりしてはいけない。
本当にこのあたりの加減はむつかしくて
うまくお伝えできないのだけれど。
例えば、ドラが5ソウだとして
22456、ここに3を引いて、打6ソウ
22345この形にして、ドラを受ける、とか
そういうことはおろそかにしてはいけないのだけれど、
ドラが中で
三三四四五五⑥⑥6677中
こういうテンパイに、8ソウを引いて
三三四四五五⑥⑥66778中
こういう変化をして、なおかつ場にソーズが安いなら
中が場に一枚も切れていなかったとしても
ドラだから、という理由で我慢する必要はない、と思うのだ。
基本、手役構成も、13枚役に9枚役や3枚役を見落とさないように
重ねてゆくものだと思っているので
13枚役>9枚役>1枚役>ドラ
自分の中では、こんな順番。
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麻雀の最高得点の手組は役満。
役満は13枚役が多い。(小四喜は11枚役、大三元は9枚役)
役満は、牌の形による得点で、ドラが介在する余地はない。
そのことからも、「ドラは添え物だよ」と考えてしまうのだ。
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