リーチはいらない [哲学する麻雀]

リーチって、立置って書く。


非常に「当て字」っぽくてうさんくさい。


わたしは、この「リーチ」という役が好きではない。


まず、リーチをかけたら、全てツモ切りとか


ちょっとおかしいと思う。


テンパイをしている、ということを知らせて


他家に対して圧力をかけたり、


その結果、一役ついて、


なおかつ、裏ドラの権利まである、なんて


ちょっとばかりやりすぎではないだろうか?


その一役で、5800が11600になったりとかするわけだし。


しかも、和了できれば、


リーチの権利として支払った(供託)した


リーチ棒まで、戻ってくる始末。


なんだか、ちょっと、お得すぎる気がするのだ。


競技ルールであっても、リーチは必要ない、と思う。


リーチがなければ、手役をおろそかにはできないし、


他家のテンパイも、打牌から推察するよりほかは、なくなる。


より、場を把握する力が問われるのではないか? と思うのだ。


なにも特別なことではない。


食い仕掛けた後の世界が、まさにこれ。


役を作って、打牌の内容で局面を切り開く。


以前、「リーチとか役としていらね」的なハナシをしていたなら、


それは、「リーチを超える力がないだけ」と返されたことがある。


まあ、たしかにそうかもしれないけれど、


役のない手牌が、リーチをかけることで、


得点が増し、ロン和了可能になる、っていうのは


どうにもこうにも、納得がいかないのだ。


リーチをかけたもの勝ち、な展開ももううんざり。


そんな風に考えていると、アルシャロ麻雀とか、打ちたくなる。


打ちたくなるけれど


きっと誰もつきあってくれないだろうな・・・



 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%83%AB%E9%BA%BB%E9%9B%80


沙霧.jpg


             
             


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