リーチはいらない [哲学する麻雀]
リーチって、立置って書く。
非常に「当て字」っぽくてうさんくさい。
わたしは、この「リーチ」という役が好きではない。
まず、リーチをかけたら、全てツモ切りとか
ちょっとおかしいと思う。
テンパイをしている、ということを知らせて
他家に対して圧力をかけたり、
その結果、一役ついて、
なおかつ、裏ドラの権利まである、なんて
ちょっとばかりやりすぎではないだろうか?
その一役で、5800が11600になったりとかするわけだし。
しかも、和了できれば、
リーチの権利として支払った(供託)した
リーチ棒まで、戻ってくる始末。
なんだか、ちょっと、お得すぎる気がするのだ。
競技ルールであっても、リーチは必要ない、と思う。
リーチがなければ、手役をおろそかにはできないし、
他家のテンパイも、打牌から推察するよりほかは、なくなる。
より、場を把握する力が問われるのではないか? と思うのだ。
なにも特別なことではない。
食い仕掛けた後の世界が、まさにこれ。
役を作って、打牌の内容で局面を切り開く。
以前、「リーチとか役としていらね」的なハナシをしていたなら、
それは、「リーチを超える力がないだけ」と返されたことがある。
まあ、たしかにそうかもしれないけれど、
役のない手牌が、リーチをかけることで、
得点が増し、ロン和了可能になる、っていうのは
どうにもこうにも、納得がいかないのだ。
リーチをかけたもの勝ち、な展開ももううんざり。
そんな風に考えていると、アルシャロ麻雀とか、打ちたくなる。
打ちたくなるけれど
きっと誰もつきあってくれないだろうな・・・
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2017-05-30 21:44
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