手役の形におぼれない。 [哲学する麻雀]
本当に甘えないで、打つ、ということは
同時に手役の形に溺れない、ということだ、と思う。
南2局、南家
親番の残る23000点
得点も欲しい。
だが、それよりも、和了をすることだ。
他家の和了を防ぐべく、自分が和了をする。
ドラが①
ダブル南と、2ソウと八ワンを仕掛けて
六六①① ポン222 ポン八八八 ポン南南南
12000点のテンパイだ。
けれど、この①と六ワンの待ち、
これはあんまりよい待ちではない。
直前に上家が、六を手出し。
その少し前に②を手出し。
六の手出しは、六六七、もしくは
五六六からの切り出しの可能性高い。
すなわち六ワンはもう1枚もない可能性が高い。
②の手出しも、①②と持っているところに
ドラの①を持ってきている可能性もあるし、
②②③に①を引いている可能性もある。
いずれにせよ、①も牌山に残っている可能性は少ない。
六六七①① ポン222 ポン八八八 ポン南南南
七を引いた。
値段は欲しいし、13枚の手恰好は、トイトイ。
だけど、和了牌が果てしなく少ない可能性が高い。
トイトイだから、を理由にトイトイにはできない。
だって、この状況での命題は和了すること、だもの。
六を切って、四七ワンに受けて、7700を和了の手組とする。
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2017-04-30 07:29
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