ひとにやさしく [麻雀]

 人間だもの、好き嫌いはある。

あの人のここが嫌いだとか、言い出したならキリがない。

本当にキリがない。

そういう時、私はとある先輩の言葉を思い出す。

他人の嫌なところばかりが目に付いて厭世的になっていたときのことだ。 

「いいか、まあ、聞け!

人間なんていうものは、いいところもあれば、悪いところもある。

おれは、おまえの悪いところもたくさん知っているけれど、

おまえのいいところも、それに負けないくらい知っている。

いいところと、わるいところ、全てひっくるめて、おまえという

人間とつきあっている。 

人間っていうのは、そういうものなんじゃねえのか?」

・・・・・・・・・・

その通りだ、と思った。

今目の前にある自分にとって嫌なこと、は

その人のほんの一部分にしか過ぎない。

だけど、その相手のよくないところを強く憎んで

まるでそれがその人の全てであるかのように、思ってしまう、

ということの、度量のなさ、と心の狭さ。

自分に嫌気が差した。

それから、他人のいいところを大事にするように、心がけている。

こいつ、無礼で不愉快なやつだけれど、実はともだち思いだな、

とか、自分勝手だけれど、ちゃんと真剣に向き合っているな、とか。

そうすると、そういく考え方を持てると、自分の人生もほんの少し軽くなる。 

嫌いなところは、嫌いでいい。

でも、そのことと、その人の魅力を混ぜこぜにしてはいけない、と思うのだ。

それこそ、冒涜である。 

そして、本当に自分と合わないのであれば、口を閉ざしてもの言わぬことだ。 

麻雀は、そのひとの本質が出る。

自分の麻雀が正しいと信じる人のなかには、

他人の拙さを許せない人間もいる。

自分と違う麻雀を許せない人がいる。

イコールそのことが自分の麻雀が正しくないことの証明なのだけれど。 

麻雀が好きだから、あいつの麻雀は許せない、

なんて考えをもつのであれば、それは、麻雀が好きなのではなくて

麻雀を大事にしているのではなくて、

「自分の麻雀を大事にしている」ただ、それだけのハナシなのだ、と思う。

以前の自分がそうだったから。 よくわかる。

「どひっかけのリーチ」を打ちやがって!

せこい和了をしやがって!

毎回、打牌が遅い!各駅停車でイライラする!

だから、そういうお前が悪い!だから、そういうお前は嫌いだ!

ぜったい、トバシてやる! 

と。

そういう目先の感覚で相手を値踏みする人間は、

対局者のいいところ、を見つけ出すことはできない。

また、4人で打つ麻雀の魅力を知ることも困難だろう。 

返せば、自分の好みを正しいと思う麻雀を打つ限り、

麻雀では幸せになることはできない。 

同卓した以上、卓上での出来事は全て受け止める覚悟を持つべきだ。 

わたしだって、マナワルだったり、しゃみせんだったり、

私から見て、「麻雀を大切にしない人」 

そういうヤカラは好きではない。

けれど、だからといって、おろそかにしては、自分がおろそかになる。

本当に自分に合わないのであれば、同卓をしなければいいだけのはなしだ。

そして、そのひとに対して、決してものを言わぬことだ。 

人には人の都合がある。

付き合うなら、いいところも悪いところも全て含めて徹底的につきあう。

そうでないなら、口を開かない。

同卓しておいて、文句ばかり重なるなら、同卓をしなければよい。

麻雀は全て自己責任。

誰と打つのか?どういう内容となるのか?

すべて、自分の責任だ。

他人をどうこういう時間があるなら、自分の麻雀を磨くべきだ。

つかさ会のおかげで、他人の麻雀に干渉せざるを得ない時間が

本当に長く続いた。

大いなるおせっかい。大いなる勘違いの時間だった。

だけど、おかげで、他人の麻雀を以前より大切にできるようになった。

何が正解か、は分からない。

それを、同様に悩んでいる人間は、

麻雀を介して出会うことができた、大切な仲間である。

どんなに拙かろうが、「麻雀を大切にする気持ち」があれば

 必ず相通じるものはその根底にあるはずなのだ。 

 

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