たそがれのとき [地獄麻雀]

「ああ、本当につまらない麻雀だったな。」

「時間とお金が勿体無い。」

そう思うくらいなら打たないほうがいい。

そんなことは分かっている。

麻雀は、「誰と打つか?」これに尽きる。

大切なのは、麻雀に対する意識をどのように持っているか?

どのような意識を持った人と打つのか?

これに尽きる、と私は思うのだ。

麻雀を始めて間もない時分、メンツを求めて

たくさんの人を麻雀に誘った。

1番論外なのは、他人が和了すると怒り出す人。

「いい手だったのに、なんで邪魔するんだ!」

みたいなことを口にする、これは論外。

また、遅すぎる人も論外だ。

友達の会社の上司との対局にお邪魔したときは、本当に最悪だった。

まあ、このあたりのことはいつか、どこかで機会があれば掲載する、として

ともあれ、たくさんの人と同卓させていただきた結果、

結局、麻雀は打てれば相手は誰でも良い、というわけではないのだな、

と私が気づくまでにそんなに時間は必要としなかった。

麻雀は、その人の人間性がそのまま現われる。

年齢とか、性別とか、社会的地位とか、そういうものを

麻雀に持ち込もうとする人間は、実社会でも、

そのように振舞っているのだろう、と容易に想像がつく。

そして、それは死ぬまで治らない宿痾のようなものなのだから。

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しっかりと打てていてば、成績は安定しなければ、おかしい。

そのことが、それほど大変ではない、ということを実証する意味もあって

今月、あと4回、半荘を重ねる必要があった。

当たり前に当たり前の打牌を怠けずに積み重ねてゆくこと、

これだけで、成績のぶれはなくなる。

大きなマイナスが続く、ということは、牌勢以外にも理由がある可能性があるのではないか?

書店で、本を物色したあと、例のカフェのカウベルを鳴らす。

この店のマドンナやさださんとのファミリー麻雀ならば、それもまたよい。

そう思っていたところ、私の得意としないシニアの姿を店内に見つけた。

理由は簡単で、

「発声しない。」

「点棒を投げつける。」

「身勝手にも程がある。」

この3拍子。

絶対に同卓したくない相手である。

もちろん、本人は自分の所作を顧みることなど

1ミリもないものだから、平気の平左。

もちろん、よい、わるい、の問題ではない。

私が、「イヤ」なのだ。

帰ろう!。ムリデス!

そう思ったけれど、私には今月時間が無い。

この日を除いて半荘4回を重ねる時間など存在しない。

でも、帰ろう・・・

帰るべきだ、と何かが私に知らせている。

猛烈に迷っているそんなときに

マドンナが、

「コーヒーでいいですか?」

と声をかけてくださった。

よし、打とう。

これも修行だ。

お金と時間を使って、理不尽を消化する修行。

そんな風に自分に言い聞かせながら、

でもそれは「自己欺瞞」だ、と強く感じていた。

おそらく、最初の直感が正しい。

190パーセント不快な気分になることは分かっている。

同卓者に迷惑がかからないように、

我慢の限界が来たなら、退出できるように

スマホのアラームを設定する。

半荘が始まった。

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