その声を忘れない。 [TSUKASA会]

 仕事が終わって、半荘一回、打たせてもらえれば恩の字。

理由のない打牌は許されない。(申し訳ない)

私は、本当に厳しい環境で麻雀を学んでいたのだ、と現在は思う。

けれど、本当に「自分の考え付かないようなこと」を考えている

そういう次元の人の、「麻雀」を見せてもらえるだけで感謝の言葉もないのに

「麻雀を教えてもらえる」なんて、信じられない奇跡だったから、

その環境を「厳しい」とは思わなかった。

必死だったし、それでも全然足りないと思っていた。

私は、その温度を当たり前だと、思っている。

それは現在でも変わらない。

ジェネレーションギャップを感じる。

なんでも、本気で徹底的にやらなければ気が済まない、

という若者は少ない。

若者の多くはいろんなことを、「よい加減」に楽しむことを、目指している。

広く浅く。

まあ、目指すところは人それぞれだ。

何が、正しいかなんて、人それぞれだし、

変わることが変わらないことよりも、価値があるなんてことは

一概には言えないのだから。

私は思う。

広く浅く、でたどり着けるところには、限界がある。

そのうえのステージに辿り着きたいのであれば、

やはりそれなりの温度が必要だ、と思うのだ。

そうでなければ、たどり着けない。

「麻雀を勉強する場所」にしたかった「つかさ会」は

ただ、麻雀を打つ場所でしかない。

麻雀が好きで集まってくださるみなさんに、

「麻雀を勉強する場所」を提供する力は私にはなかったようだ。

もし、ひろりん師匠から麻雀を教わっているわれわれの様子を

動画か何かに収めることができていたなら、

きっと、私の言っていることも理解してもらえると思う。

私の目指しているものは、これじゃない。

みんなに伝えたかったことは、これじゃないんだ、と。

引き上げる力がないこと。

それは、私の責任。

「ここは、何をするところなんですか?」

と問われるたびに、ああ、本当に無力だな、と情けなく思う。

私は、麻雀を大切にしたい。

それは、私の価値観のうえで、麻雀を大切にできていなければならない、ということ。

最近はそれもできていない。

ひろりん師匠の言葉を思い出さない日はない。

「大切にしたらええ。

大切にしたら、牌も人も必ず答えてくれる。

簡単なことじゃ。」

私には、その簡単なことすら、できていないのだ。

だから、こんなにも、厭世的になる。

大切にする、ということが、どういうことなのか

解らなくなってきている。

相手が、大切にされている、と感じてくれてはじめてそれが、成立するのであれば

何を持って、大切にしているのか?大切にできているか?なんて、

わからないじゃないか?

不穏当なことを口にするけれど、

「ここまで、困難だ、とは思わなかった。

ここまで、成果がでない、とは思わなかった。」

相手の温度は、自分と同じではない。

そのことが、まだ私は理解できていなくて、

「ないものねだりを、繰り返している。」のだ。

つかさ会 土曜日 正午より

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