ドラの扱い [TSUKASA会]

ドラの扱いで、その人の麻雀がわかる。

ドラを大切にする人と、ドラを理由にする人、

そしてドラを言い訳にする人。

私はドラは特別な牌だとは考えていない。

粗末にするつもりはないけれど、特別大切にするつもりもない。

後ろから観戦をさせていただいていた、その一局。

①②②③③⑦⑧西西西  ポン白白白

ドラ九ワン西家。

ここから、場に2枚目の②を仕掛けずに、

⑨をチー。打②とした。

①②③③西西西  チー⑨⑦⑧ ポン白白白

役役ホンイツでの8000点を確定させる目的なのかな、と思ってみていた。

次巡、場に一枚とんでいる北をツモ切る。

これは、よくわからない。理由を訊ねる。

打②として、①②③③の形に受けた理由は、

「九ワンのドラをツモってきたときに、ドラ単騎にするため。」

北をツモ切った理由は、

「これ以上、手出しを重ねると、他家から警戒される。」

とのこと。

これは、慎重すぎると思った。

場の状況は、マンズの上はとんでいるけれど、

九ワンドラは一枚も出ていない。

だから、九ワンを警戒することはわかる。

けれど、それは、他家も同じではないだろうか?

先制リーチがかかっているわけでもない、

おそらく他家はまだノーテンであるこの状況で

①②②③③西西西  チー⑨⑦⑧ ポン白白白

このおそらく充分な攻撃力を持つ形で

攻め切ることができない、というのは緩手だ。

そもそも、「攻撃力の低い単騎待ちにして守備力を高くする、」よりも、

「攻撃力の高い単騎待ちにして、守備力を高くするべき」だ。

だからこの場合は、せめて北単騎にするべき。

また、ドラの受けを考えるのであれば、

もっとあらかじめそういう風に組むべきだ、と思う。

ドラで振り込むよりも、ドラをしっかりと組み込んだ手組に振り込むほうが、ダメージは大きい。

ドラも、普通の牌も、手牌の構成と合致しないのであれば、適切に処理するべきだ。

ドラだから、を理由に牌をとめることは簡単だ。

だからこそ、

ドラだからこそ、切り出せるようになるべきだ、と私は思う。

それが、ドラに対する正しい姿勢ではないだろうか?

外連味なく、ドラを適切に処理すること。

これが、できる打ち手はなかなかのものだ、と思うのだ。

9281db16-s.jpg

 :::::::::::::::::::::::::::::::::

ゲストプロ招来イベントにつきましては、

リンク先「麻雀ほうろうき」からご確認ください。

http://tsumatetsu-777.blog.so-net.ne.jp/

つかさ会、9月20日、正午から開催、となります。

パラダイスロスト本家↓

 http://wing6877.blog.so-net.ne.jp/

つかさ会。会場などの情報は、こちらをクリックしてください。↓

http://www.mj-king.net/janso/search/detail_9282.html

ランキングに参加。クリック!クリック!

<→
麻雀 ブログランキングへ
にほんブログ村 その他趣味ブログへ

みくのん先生↓「放課後ストライド」↓

http://www

.nicovideo.jp/watch/sm19480453


nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 2

中国麻雀留学生

アドバイスありがとうございました。
『ドラの受けを考えるならあらかじめそう組むべきだ』とても耳が痛いです。
仕掛けてから後手に回ることも多いので、肝に命じます。
by 中国麻雀留学生 (2014-09-14 02:13) 

ゆうゆう

中国交歓麻雀留学生第2期様、コメントありがとうございます。
手牌の構成にドラが不要であるにも関わらず、「ドラの存在を意識できる」ということは、かなりのレベルです。だからこそ、「扱いづらいドラ」を乗り越えて欲しいのです。勇気という言葉をもし定義するのであれば、それは「恐怖を知り、それを乗り越えること。」だと思います。「他家(親番など)から、リーチがささったあとに、九ワンドラを切り出すことと」、おそらく「だれよりも早く充分形を組めていながら、ドラに翻弄されること」とでは、意味が違うと考えます。
麻雀も武道と同じく「間合い」が大切です。相手と自分との距離、自分と危険との距離、自分とトップとの距離。そして、自分と自分の実現したい麻雀との距離。これらを適切にはかることができて、より正確な場の状況の判断が生まれます。
 私は、麻雀は「何も切れない、何を切ればよいかわからない。」と感じるくらいの迷いと恐怖に身を置くべきだ、と思います。その上で切り出す一枚だからこそ、強く重く未来に繋がるのだ、と考えます。
 そして、牌と対局者を大切にしてください。私は、麻雀の上手、下手には、何の価値もないと考えます。それよりも、いかに大切に慈しんで打てているか?これに尽きます。だから、「褒めて欲しい、認めて欲しい」の麻雀は悲しく。逆に、「その人の精一杯」を感じれば、とても嬉しい。本当の想いか、借り物の想いか、は同卓すればわかります。わかるんです。本物の想いの乗った一打は重く、胸を打ち、決して忘れることはない。そういうものを共有したくて、「つかさ会」を運営しています。
by ゆうゆう (2014-09-14 13:45) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0