軌道修正 [TSUKASA会]

 麻雀は、心の強さを競うものだ。

迷い、どうすればよいかわからない、そんな人間にその戦場に立つ資格はない。

戦う前から、負けている。

自分の弱さに負けているのだ。

現在の私に牌を握る資格はない。

・・・・・・・・・・・・・・・・

ずっと、考えていた。

そして、やはり、「温度の違い」という結論に辿り着く。

私は、他の人と比べて麻雀の「温度が高い」のだ。

もっとも、私なんかよりも「温度の高い」人間はいくらでもいるし、

少なくとも私にとってそれが「長所」だとは思わない。

むしろ、普通に「麻雀を打つ」ことができない、「こまったちゃん」だな、と思う。

また私は、「ひろりん師匠」のように、誰かの笑顔の為に、

差し込んだりなんてマネは死んでもできない。

それは、思い上がりだとおもうし、

それを、「温かい」だとか「優しい」とは死んでも思わない。

「あなたにも、いつか分かる」

ひろりん師匠はそうおっしゃるけれど、わたしは、そうは思わない。

わかりたくもない。

わざと?振り込む?どれだけ失礼なんだ、と今でも思う。

全然向かいあっていない、と思う。

「麻雀を軽くみていませんか?」とわが師匠ながら、そこは思う。

つかさ会をはじめて、間もないころ、親の私がリーチから食いあげた7ソウを切った時のこと。

F森くんに

「その7ソウはなぜ打てるのですか?」

と訊ねられて、回答に詰まったことがある。

理由は、

①リーチ者ソーズは完成している。

②この7ソウは、食いあげなければ、どうせツモられている。

③リーチ者のピンズのツモリ方がおかしい。待ちはピンズか?

という、なんともまあ、曖昧なもの。

この時に、これではいかん、と思った。

言語化できない打牌は全て封じ込めなければならない、と心に決めた。

そうして、自分の感覚で、「牌を切ること」を止めた。

「説明のつかない牌」を切ることをやめた。

また、それに合わせて形のない手組をやめた。

特定の状況ではない限り、手役を入れる。

麻雀には「形の入らない状況」もあり「それも形」なのだが、

それでは、「形を意識する習慣」の大切さを「伝えられない」からだ。

食い仕掛けも、「考えてもらえる鳴き」に特化する。

仕掛けた後に、手の内から安全牌を探す麻雀を

安全な牌を確保した後に仕掛ける、ように、鳴きのスタイルも変えた。

こういう様々な、自分に対する制約は、いつしか、私の麻雀を別物に変えた。

2分の1まで、攻めて攻めまくる自分の麻雀は、

いつしか受け主体のこじんまりとした麻雀に変わっていた。

8000振って、12000取り返す、そういう麻雀が、

振り込まずに、点棒を集める、麻雀に変わり果てていた。

それでも、よい、と思った。

もう、プレイヤーとして麻雀と関わるつもりはないし、

せめて、他の人に役に立てればよい、とそう思った。

たくさんの喜びと、勇気を与えてくれた麻雀への恩返し。

過去に私と同卓してくれたみなさんへの恩返し。

けれど、そういうふうに、麻雀に取り組むこと「私のその取り組み方」が

大きな大間違いだったのではないか?ということ。

本当に、他の人に役に立ちたいのなら、

「人読みも気づいて気づかないふりをして」

「わざと、ふりこんで」

本当に、その人のために自分の麻雀を亡きものにして、

自分の麻雀への執着を捨てて望むべきことなのだろう、と思う。

そんなことできない、だからこそ、そういうことまで、やらなきゃならないのだと思う。

それは、できない。

私はまだ、そんな達観したステージにはいない。

けれど、私は、自分の麻雀が未熟だと思っている。

だから、精一杯、持てる引き出しを全て使って戦いたい。

そうでなければ、麻雀に対して申し訳がない。

だから、本当は、説明のつかない牌だって、自分の符合のゆくものは切り出したいのだ。

結局、そう考えるということは、まだまだ私はプレイヤーだということになるのではないか?

麻雀なんて、まだ私にとって「言語化できないものが8割」だ。

そう思っている。

そう思い、そのことすら自分の中で整理できていない自分に、

「他人の麻雀」をどうこうしようなんて、おごがましいにもほどがある。

ボタンを掛け違えていたのは、どうやらわたしのほうだったようだ。

私は、自分が学んだ麻雀を起爆剤として、成長したみなさんに、

将来、麻雀を教えてもらいたかっただけなのだが。

けれど、そのために「自分の麻雀」を破壊してよいはずもない。

私にとって、麻雀は、「たかが麻雀」とは決してなり得ないもの。

⑧を見逃してしまった罪をもって、やはり自分の中で、どうするのか?

これからどう麻雀と付き合っていくかを、考えなければならない。

自分のやってしまったことに、けじめをつけなければならない。

 imagesKADADOCQ.jpg

ミクのん先生の殿堂入りリスト

地球最後の告白を↓

http://www.nicovideo.jp/watch/sm18198019

::::::::::::::::::::::

つかさ会は、4月19日、午前11時から

39の日↓

 http://wing6877.blog.so-net.ne.jp/

つかさ会。会場などの情報は、こちらをクリックしてください。↓

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コメント 7

にこ

まだまだプレイヤーであってほしいです。
ひろりんさんの達観はシルバーになってからでよいのではと。
息子がつかさ会があるから学校に行けると言ってましたし
うちは、ほぼ母子家庭で夫が家にいるときは休ませてあげたいので、父親らしいことが出来てなくて
息子の父親かわりがつまてつさんとつかぴょんさんになっています。
いま、父親たる高い壁の存在として助かってますし、息子に本気でぼこってくれることに感謝しています。
これからも息子の目標ライバルとして居てください
by にこ (2014-04-18 20:51) 

ゆうゆう

にこさん、コメントありがとうございます。
麻雀における「勝つこと」に何の意味があるのか?私にはもうよくわからなくなっています。ひろりん師匠からの最後の言葉は、「圧倒的な力で結果を出しなさい」でした。けれど、やはり、私はそれに価値は感じません。Y氏のように、全てを慈しむ麻雀を打ち、そのあとに、何か誰かの心に余韻を残すことができれば、それでよいかな?とそう考えています。「勝つため」に「相手のアラ」を探して、それをも戦術に組み込むこと、それが正しいのかどうかわかりません。麻雀とはおそろしいもので、「気づくこと」ができなければ、永遠に同じステージから上へあがることはできません。「高い意識」を持たずにいくら半荘を重ねても時間の無駄です。
「つかさ会」を「ただ麻雀を打つだけの場所」としないために、いろいろ自分なりに考えて努力しているつもりでしたが、何か根本的に間違っていた気がしています。ただ、今回のような「身がちぎれるような見逃し」をせざるを得ない状況は、かなり極限状態です。
きっと、相手の麻雀を生かすも殺すも、私次第だと思っているからでしょう。なぜなら麻雀は和了させないことのほうがはるかに簡単だからです。
「結果を出すこと」を理由に、ひたすら他人の形づくろうとしているものを破壊してきました。それは、私ごときに、捌かれ蹂躙されない「強い心を持った価値ある打牌」の辿り着いて欲しかったからです。けれど、私がそうすることでみな自信を持てず迷子になります。このままでよいとは思えません。何か、打開策を考えなければならない、と考えています。
また、ご子息が、麻雀を楽しめている理由は、「つかさ会」だけではないと思います。本人が、「一生懸命に取り組んでいるから」です。麻雀は、絶対にその人の努力を裏切りません。その「高い意識に価値」があり、それは「自信を持ってよい」ことだと私は思います。麻雀の成績は、単なる結果にすぎません。どれだけ真摯に事に挑んだか?にのみ価値があると私は思います。それは、挨拶、笑顔、所作、試合の内容以外のことを含んだ全てに対していえることです。
 麻雀は本人が納得できなければ、無価値です。この本人が納得できる内容が、その人の意識の高さです。「勝つこと」のみを目的とする麻雀で納得できる人は、そういう麻雀を目指せばよい。全く問題ないとおもいます。その人の麻雀はその人のものなのだから。
だから、結局、ひとそれぞれなのだと思います。そういったことをないまぜにして、共有できればいいな、と願うこと、そのことがそもそも「無理」な相談だったのかな?と思っています。
なぜなら、みな「強くなりたい」と思っているからです。麻雀を知り、その深さを学びながら、結果が出せる、そういうスタンスの人は少ない。どうすればよいのか、本当にもうわかりません。
by ゆうゆう (2014-04-19 07:35) 

一応Y氏です

いつも楽しくブログ読んでます
(若僧ですが、コメントさせてください)
こういう場合、つかさ会を立ち上げた頃の気持ちに帰ることが大切だと思います。まだまだ、やることはたくさんあるように思います。

人それぞれ、吸収の仕方は、違うわけだし、何回も言わなければわからない人もいるし、一回で気づく人もいる。

もう少し、メンバーにどうしたいか聞いたらいかがでしょうか?
麻雀教室ではないのだからどこまで、やるかは、主催者の判断になると思います

また、つかぴょんさんは、麻雀教室なるものを受けたことがありますか?
新しい気づきがあるかもしれませんね。

拙い文章でもうしわけありませんでした
自称、中学生より



by 一応Y氏です (2014-04-19 10:53) 

一応Y氏です

すみません。補足です。
麻雀教室ですが、教え方の気づきや初心者の理解力の気づきがあるのかなーと思いました。
by 一応Y氏です (2014-04-19 11:06) 

ゆうゆう

一応Y氏です様、コメントありがとうございます。
参加してくださっている全てのみなさまに、お話しを聞かせてもらうことにします。
 おっしゃるとおり、一度で気づく人間もいれば、何度言っても気づかない人間もいるし、さらには、永遠に気づかない人間もいます。確かに、同じ言葉が同じように届くはずはないですよね。
 麻雀教室は、ずいぶんと見学しています。その結果、それぞれのステージに合わせた教材が必要だ、と考えてはいました。これも、参加者の要望を伺って対応したい思います。
 時間はかかると思いますが、もう一度最初から、です。
 正鵠を射たアドバイスをいただきありがとうございます。
by ゆうゆう (2014-04-20 02:27) 

e.t

みていますよ
by e.t (2014-04-20 14:18) 

eET

見てますよ
by eET (2014-04-20 14:22) 

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