情報を落とさないゲーム [TSUKASA会]
麻雀は、打牌以外に情報を落とさない様に、戦うものだ。
(必要以上の情報を与えて・・という戦法は「相手の情報処理能力」が拙いときにのみ有効。例外だ。)
けれど、
「テンパイが入った途端、ツモの所作が変わったり」
「オリを決めた途端打牌が弱くなったり」
「リーチ後、自分の手の内にアンコウになっている牌をツモり、アンカンできず、
おびえるように切り出してみたり」
こういうものを、果たして麻雀と呼ぶのか、というそもそもの問題である。
私は、こういう人読みを最大限に駆使して戦っていた。
それも、活用するべき「場の情報」だとして区別することなく。
けれど、それは、本当のところ「麻雀」なのだろうか?
「情報を落とさない様に注意をしないステージ」の人たちに対して
「人読み」を駆使することは如何なものか?という根本的な問題である。
ひろりん師匠から、盲牌を禁じられた。
盲牌の様子から相手に待ち牌を推測されてしまう可能性があることが、
麻雀のゲーム性を破壊するからだ。
逡巡も禁じられた。
迷うことから、他家に特別な情報を与えてしまう可能性があるからだ。
それが、麻雀を大切にすることに繋がる、と。
今回も、彼の所作から、私は「捌くこと」を決断した。
これが、そもそもどうなのか?という問題だ。
本音をいうと、そういう所作はこぼさないで欲しい。
(前回対局した、スーパーオリマの兄は、「ツモ牌」が全部見えていてもう麻雀にならなかった。)
けれど、そういう所作を読み取り気づいている自分はどうすることが精一杯なのか、という問題。
「気づいていることを、気づかないふりをすることは、そもそもおかしい。」
わたしは、どうすれば、よいのか?
その日の対局は、ぼろぼろだった。
全てが、裏目に出ていた。
正確には、「裏目に出ている」と感じていただけなのだが。
その日の最終局
ドラ9ソウ。親番ドラ9ソウ。
7巡目にこの形
四五六七八④⑥⑦⑦⑦⑧99
ここから、1枚も引けない。
冷静に打てているときであれば、ソーズの7ソウあたりを一枚浮かせて持っておいて
マンズの四五を払い、三色とのテンビンをかけるだろう。
ドラのトイツでメンゼン固定されてしまうこの形に「三色」という形を複合させる。
場にマンズが高いのだから、四五六七八の3面待ちを払う、という選択肢も持てるはずだ。
けれど、この時は、テンパイを取ることしか考えていなかった。
そのまま8巡ほどツモ切りが続き、他家の鳴きで、三ワンが入る。
三四五六七八④⑥⑦⑦⑦⑧99
ここから、④を切って、最後の4枚目の⑦をツモリにゆく。
最期の最後に、こんな形のないテンパイしか取れない状況。
⑥が場に3枚、自分の中に1枚。
⑧も場に3枚、自分の中に1枚。
異様なまでのピンズの情報。
⑦はもう一枚必ずいる。そして、それは、イコール
⑦の周囲でのピンフへの振り替わりを期待できる牌は、一枚もない。
⑤⑧待ちへの変化を私に形を入れることを、麻雀が拒んでいるような気がした。
あの⑧の見逃しを、麻雀の神様が、咎めめているような気がした。
どうすれば、よいのか、解らない。
人読みは、麻雀として、アリなのだろうか?
また、相手の拙さを逆手に取って、組み伏す麻雀は、アリなのだろうか?
それが相手の為になるのだろうか?
本当にわからなくなってしまった。
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