麻雀を打てる人間を募集しています!

麻雀の中・上級者を募集しています。

ハードルを高くしているようですが、

自分は、心底納得できる麻雀を打てる人間を探しています。

納得できる麻雀のために、心血を注ぐことのできるひとを、募集してます。

自分が打てる、とかそういう些末なことではなく、

「掛け値なしの温度のある麻雀が打ちたい」のです。

「楽しい麻雀」も良いですが、自分はやはりぎりぎりの麻雀が打ちたい。

・符計算が淀みなくできること。

・ゲームの進行が淀みなくできること。

・場の状況の精査ができること。

・他人の見解をよく見て聞き、自分の打牌理由を説明できるひと。

甘い牌や言い訳だらけの打牌は必要ありません。

自身の全てを賭けた麻雀を打って下さる方と、麻雀が打ちたい、です。

そのひとの麻雀の全てと戦ってみたいです。


ツイッターでのダイレクトメールをお待ちしております。


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まだ、17ゲームも。 [麻雀レシピ]

 麻雀は、可能性の塊だ。


そして、自分を映し出す鏡、でもある。


配牌を受け取って、


「ああ、これは、ダメだ。振らないようにしよう。」


と思うのか、


「よし、この配牌でどこまで頑張れるか、挑戦しよう。」


と思うのかでは、その未来は全然違う。


極端なハナシ、14枚有効牌を引けば、


どんな手役にだって変化するわけだから。 


手を抜かずに、できることをやる。


楽をしてはダメなんだ。


::::::::::::::::::::::::::::::: 


もうずいぶんと昔のこと。 


そのパチスロ台のデータの数字は144.


お金がなくて、お金が必要な我々がスルーするべき台だ、と思った。 


遊びでパチスロを打てる人間が、うらやましい。


もし、連続演出が終わっていたなら、


天国ゾーンは、残り17ゲームしかない。


たった17ゲームしかない、のに、残り49ゲームを


回して2000円使うことは、もったいない。


銭形なら、タイプラがあるから、ゾーンは全て熱いが、


この台、「吉宗」は違う。 


そう判断する私に、Sくんは、


「つかっちゃん、もう、17ゲームしかない、やないよ、


まだ、17ゲームもあるやん。」


そう強く言い放つ。


某有名大量獲得機の天国天井は193.


連続演出失敗後32ゲームにST解除は存在しない。


144ゲーム止めの台に希望はない、と思う私は、 


「それもそうだな、」と思うためには、心の力が必要だった。 


実家の仕事がうまくいかず、絶体絶命。 


お金がなくて、勝たなきゃガスも電気も止まる


そんなノーフューチャーの自分と、


就職が決まらず、お金のない大学4年生のSくん。


パーラーを何軒も回り、期待値のある台をノリ打つ。


手持ちの10万がなくなれば、本当にもうオシマイだ。


麻雀でどうにかなる金額でもなかった。 


だけど、麻雀とパチスロでどうにか凌いでいたため、


他の選択肢を持つ発想がなくなっていた。 


Sくんが打ち出して数ゲームで障子が閉まり連続演出。


「まだ、17ゲームもある。」


その言葉が胸に刺さった。


もし、この連続演出が当たったなら、


いや、当たらなくても、 


自分ももう一度やり直そう。


実家の仕事が自分の仕事が、どうにもならないのなら、会社に勤めよう。


そんなに簡単なものではない、だろう。


ゼロからのスタートだ。


だけど、本当にもう一度頑張りたい、と思った。


会社勤めの経験なんてないから、勤まる自信なんてない。


誰かの指示で、生きる、ってことは、本当に大変だろう、と思う。 


そんなことは解っている。


でも、諦める前に、もう一度頑張ってみたい。


一度、やってみてもよい、サラリーマンってやつを。


「まだ、17ゲームもある。」 


Sくんの自然な言葉が、本当に胸にささった。 


「まだ、間に合うよ。頑張ろう。」


と言ってくれているようだった。 


家がなくなり、大枚をつぎ込んだクルマたちも全て失った。


だけど。 


もう、手遅れ。じゃない。


まだ、間に合う。


もう、ではなく、まだ。


そう願いながら、Sくんの台を見守る。


そんなパチスロごときで、と、思われるかも知れない。


けれど、ヨスガはそういったものしかなかったのだ。


190ゲームで、デカ家紋が2発。


姫が枠下の落ちて、バケだったけれど、Sくんの賭けた可能性は実った。


「こんなことが、あるのか?」


「人生はわからない。」


その翌年、Sくんは、就職を決めて、現在は順風満帆な人生を送っている。


私も、その翌年、故郷を離れて関東へ。


就職をして、なんとか現在でも勤め続けることができている。 


自分や、自分の未来を勝手に値踏みして、諦めてしまうこと。


うまくいかないことが続くと、本当に心が死んで、何もできなくなる。


絶望してしまうと、その先に希望はない。


けれど、人間は心さえ強く持てば、いくらでも再生できる。 


麻雀も、諦めない姿勢が大切だ、と思う。


よくない配牌や劣勢な時にどれだけ、力強く信じることができるか? 


絶望が見える配牌に出会った時、


いつも、


「まだ、17ゲームもあるやん。」


とあの時の言葉を思い出す。 


仕事がうまくいかない時、


「まだ、こういう工夫ができるじゃないか?」


「まだ、 これは、挑戦していない。」


「これを直そう。」


まだ、大丈夫。


そういう心の動きを持つことができている。 


地の底での経験は、いつも自分に計り知れない勇気をくれる。


 


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上級者募集!

よい麻雀を打つ人間。


よい麻雀を打てる人間、というのは、姿勢が違う。


みな、自分で考えて、自分でどんどん強くなってゆく。


謙虚で、素直で、誠実だ。


「そういうひとが育つこと」を待っている時間が、もう、自分にはない。


自分なりに、必死で頑張ったけれど、届かなかった。


自分の持っている力や、温度では、そういう環境を作り上げるには


時間があまりにも足りなかった。ということ。


そして、そういうひとを探しにゆく力ももう、残っていない。


同卓者を傷つけないために、飲み込んだすべての言葉が、


これまでの麻雀と自分の時間を「嘘色」に染める。


いいことばかりではなかったし、


嫌なことばかり、でもなかった。


でも、巡り巡って現在通関することは、、そう。


物足りない。


自分の自己満足のために、最後に震えるような高次な麻雀が打ちたい。


ひりひりする麻雀が打ちたい。


なので、麻雀の打てるひと、同卓してください。


自分はオリル選択肢を持つことができない全局参加型です。


当該ツイッターのダイレクトメールにて、お待ちしております。








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赤アリ麻雀最強の役


オーラスに点棒を持っていればよい。


そういう感覚で打つ。


とにかく相手の嫌がることを、すればよい。


全局参加で、前に出て、


それでいて、致命傷は負わないことだ。


麻雀はいつも自分が和了できるとは限らない。


ただ、自分が和了できれば、他家は和了できない。


なので、将来相手が必要になる牌は序盤に叩き切る。


特に字牌のドラなんて重ならなければ何の価値もない。


重なることで、和了に制限を受けるドラならば、要らない。


赤が5の環帯であれば、チャンタはもはや都市伝説だ。


3から7の数の危険度があがる。


ドラ表示牌など、キーになる牌をぼっこぼっこに切り出す。



手牌をスリムに構えて


全ての赤を吸収できる「赤あり麻雀最強の役」


タンヤオにむかう。


タンヤオに向かう上で、将来溢れるであろう牌は


とにかく先に切る。


赤回りと、赤の受けをスリムに。


仕掛けるけれど、振り込まない麻雀


これを、とにかく目指す。


リーチは基本考えず、常に仕掛けることを念頭に置く。


リーチを打たないのだから、しっかり読めば、振り込むことはない。


和了やすさと、振り込まないこと、


この2つのために、


親の河、親の捨て牌を意識する。


親の河に浮かぶ牌を軸に組むことで、


親には振り込まず、


また、親リーチに対して受けようとしている他家から


和了を拾うことができる。


赤アリ麻雀だと常に手牌は7枚から4枚くらいになる。


けれど、最強の4枚だ。


この4枚の精度が、赤アリ麻雀の本当の力だ。



他家が赤を使って和了する未来の12000点を


1000点で捌いたなら


13000点の和了と同じ価値が有る。


赤をこぼさないように打ち、


手役は見落とさない。


攻撃は最大の防御!スタンスで、


押し返されたら、絶対に振り込まない。


そうすればラスは引きにくい。


赤アリで振り込まない為には、赤の居場所を、索敵することだ。


①赤固定ターツ


②赤使用前提の仕掛け


この2つにだけは、注意。


さらに、良い形の信者にならないことだ。


牌山に残っていそうなエリアであれば、


愚形を苦しむ必要はない。



ほんとうは、攻守に長けた


役牌(自風)が赤アリ麻雀最強の役。


でもタンヤオは、いかなるメンツでも


赤に手が届くから。



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スピードに価値を

「捌き」という言葉を使う。


使うのだけれど、自分にはいまひとつよくわかっていない。


個人的な所感です。


役は、和了するためのガイドライン。


役を見落とさないことで、和了に間に合う。


どのように和了するか?の内容が大切で、


打点は、「おまけでついてくるもの」そんな感覚だ。


「役をガイドラインだ」と思うことで、


速い手は、安い。


遅い手は、高い。


この概念が、その限りではなくなる。


①場の状況を判断して。


現在がどういう天気で、他家は何を考えているか?など精査をして。


②配牌の最短ルートを考えて


③手役の可能性をそれに重ねてゆく。


その結果、他家よりはやく和了して、他家の和了を阻止できたなら


捌けた、となる。


配牌からの最短ルートに手役が絡まなければ、1000点とかになることもある。


手役をおろそかにしなかった結果、手牌が加速する。


これが、一番の理想だ。


場の状況に適した最短ルートが、食い仕掛けなら仕掛けるし、


面前のほうが牌の結束が強い形で速いのであれば、しっかりと面前で組む。


速ければ、良い、のではなく、


どういう内容の速さなのか、が大切。


ただ、スピードだけを求めて、仕掛けることは、意味がない。


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力強い振り込みを

ひとと同じことをやっていても、安心できない。


むしろ、「ひとと同じ」だと、不安になる。


ひとと同じことをしない「おれってスゲー」ではなく、


他人の判断を信じることが、不安なのだ。


「ひとと同じ」ことをやらなくてすむように、


「ひとがどうしているのか?」を知り、


「自分がどうするのか?」を決めたい。


場を支配するためには、他家を思考を「精緻に読み取る」ことが必要だ。


精緻に読み取れなくても、毎局それを重ねるだけで、見える景色は変わってくる。


例えば、親リーチやドラポンは怖い。嫌なこと。


果たしてそうだろうか?


親リーがかかれば、ドラポンが入ればみなが「振らないように打つ」だろう。


であれば、その河に照準を合わせて手を組めば、和了は容易だ。


リーチには、振り込んではいけない。


これも、どうだろうか?


リーチを恐れて、自分の和了を逃すほうが、罪ではないか?


振込みを恐れず、「振り込みを恐れている自分」を恐れるべきだ。


自分は、常にそう思って打っている。


「力強い振り込みを」


::::::::


マンガンツモ、2着目へ3900直撃で、2着に落ちるトップ目のオーラス。


北家 61000点くらい⇒私


南家 56000点くらい


45678m678p44678s


渾身の9mフリテンリーチが空振りに終わった次の局。


マンズが寒い。


特に、9mにアヤを感じる。


33456m34678s ポン南南南


自分の仕掛けは上の形。


とても、自信のあるテンパイだ。


8巡目に、2着目からリーチ。


和了ヤメのないルールなので、この1500を和了しても、焼き直しだ。


対面南家の河に、マンズの上は超危険。


リーチの声の感じからして、「自信のある待ち」だ。


マンズの上は、2着目のリーチに危険だけれど、


間違いなくそこが、相手の和了牌になっているとは、限らない。


リーチの発声に「ほんの少しでも逡巡があれば」別だけど。


この9mは切らない。


そもそも、オーラスにこんな1500を組んでいる地点で腰が抜けている。


「振り込みが怖い」のではなく、この手組からの振り込みでは


「力強い振り込み」ともならない。


前の局と繋がらないテンパイを、組んでいることが、よくない。


テンパイの形は強くても、和了して焼き直しとなる手組を選択したことが問題だ。


局面に対する選択が、あまりにも脆弱。


このオーラスは、同卓者の心をへし折る高打点の手組以外は、価値が低い。


リーチ者の河の4mが、マンズ待ちを示唆している。


9mを止め、リーチの4mのマタギ、3mを切る。


34569m34678s ポン南南南


7mを引き、3mを切る。


45679m34678s ポン南南南


ツモ8m 打3s


456789m4678s ポン南南南


受けているのではない、逃げ回っているだけだ。


流局したなら、ノーテン伏せをするのか?


逃げ回るオーラスのための、ここまでの道のりではなかったはず。


何のための点棒なのか?


リーチ者に、ペン7mをツモられる。


マンズの上、三色。


自信のある待ち、ではなく、自信のある形だった。


南の手なりの1500点で、立ち向かえる相手ではなかった。


場を制圧できるトップでなければ、トップではない。


麻雀は、過程が全てだ。


内容が悪くても、結果が出てしまうことがあるから、困りもの。


内容が良くて、結果が伴えば、それにこしたことはないけれど。












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ハダカ単騎の気持ち

これと、これは、仕掛けよう。


とか、あんまり考えたことがない。


考えるより先に、体が反応をしてしまう。


体が反応するってことは、7万回近い対局(東風戦、西風荘サンマ含む。)


の記憶がきっと導いてくれているからで、逆らうことはない。



88m56s ポン南南南 ポン888p ポン999p


56sのタテの引きで、トイトイホーの7700点を考えていた。


最後は、8mを取る、そういう感覚だ。


なのに先に8mが河に打たれた。


「ぽん!」勝手に声が出た。


まあよい、どのみち仕掛ける牌なのだから。


これをスルーして再び8mで和了することは、困難だ。


7700点確定の仕掛け。


ドラの3mをツモ切る。


場に一枚切れている西単騎に受ける。


7700を12000にするより、


何が当たるかわからないその不自由さを、同卓者に与えたい。


向かってくるひとがいるとしたなら、よっぽどの勝負手だ。


ドラアンコウ、とか。


下家がリーチ。


チートイには見えない。


43pとターツを払っている。


ホンイツ本線から、ドラターツがはいったのかな?


ぼんやり切った西がドラアンコウのシャボに刺さった。


最近、読みがずれていて、修正が効かない。


その形は、ある、よね。


自分の中で、読みにくい単騎待ちのトイトイはA級のトイトイだ。


4枚持ちのトイトイは、まさか単騎とは思わない、


との油断を誘うことができるけど


ハダカ単騎は、単騎であることがすでにバレテーラだから、


やっぱ押し返されるリスク、はんぱねえ。


場を制圧してしまえば、守備はいらない、が持論だけど


今回の7700では、場を制圧できなかった、ということだ。




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ぼくの卒業論文

「書き直してきなさい」


重い言葉が響く。


教授の何とも言えない残念そうな表情。


故郷「北九州市の都市計画」をテーマに、パンフレットを切り抜き


貼り合わせた「駄文」が、強烈なボツをくらう。


卒論の口述試験の1週間前、


わたしは、卒論を全て書き直すために


予想外な展開、神奈川から九州へ新幹線にゆられていた。


やばい、これはやばい。卒業がやばい。


PCなんて持っていない。


800字詰め原稿用紙。60枚。


もう、無理だろ。


留年すると、およそ、400万円くらいの損失。


終わった。・・・


終わった、よな、これ・・・。



どうせだめなら、気も楽だ。


でも、やれるところまで、やろう、と


とりあえず原稿を組みなおす。


2日かけて資料を集めて、隅から書き直そうとしていると、


帰省していることを知った友人やにょが、麻雀を打ちにやってきた。


「現在は麻雀どころではない」と事情をはなすと、


卒論の原稿を打ち込んでくれるという。


残り4日。


徹夜で、原稿を打ち込んでくれていたYにょも、バイトで離脱。


帰省していることを知った友人Hが、様子をみにやってきた。


工学系の学生のHに事情を話すと、ワープロの前に鎮座。


社会人1年生で、ままならぬ時間のなか、


「これを、打てばいいんやろ?」


の言葉の後、タイピングをはじめた。


私は、原稿を推敲しながら、もしかしたら、助かるかも、と


一縷の期待を覚える。


およそ、4日ほど完徹が続き、卒論は完成した。


神奈川にもどる前夜、4時間だけ。お待ちかねの麻雀だ。


やにょとHと、もうひとり呼ぶ。


23時に、クルマを出して、憩荘へむかう。


ぎょうざ定食と、やきそば、卵焼き定食。


疲れた体に、沁みる美味しさだ。


手伝ってくれた相手に感謝を込めて、今まで以上に


1000点で彼らの親を流し、スジひっかけリーチを乱発した。


:::::::::::


嬉しかった。


この先、この2人からの頼み事があれば、絶対に断らない。そう誓った。


一人では、できないことも、みなの力を借りればできることもある。


そのあとの時間で、あのとき、どうして手伝ってくれたのか?と訊ねる。


「逆の立場なら、おまえもおなじことしたやろ?」


そう返され、大きく納得をした。


「そうだ。ほおっておけない。」


そういう経験を経て、社会に出る。


頼まれたら、断らないように。


できることは全てやるように。


そうしたいと思う習慣は、


受けた恩をどこかに返したいからだ。


そう思えば、そんなに悪くない人生だったかな、と思う。


自分は、「人との巡りあわせの運」がべらぼーによい。


その証左として、30年を経た現在でも


一緒に麻雀を打ってくれるひとが周りにいる。





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同卓拒否

金曜日だから、いっちょまえに上品なカフィで食事を終えて、20時30分。


青信号に歓迎されながら、2速全開で、道場へ向かう。


師匠と打てるかな?


今日は、だれがいるのかな?


今日は、何を学べるのかな?


わくわくが加速する。


道場の前に、クルマを番長停めをして、


110円で缶コーヒーを買い、ドアを開ける。


師匠は、すでに卓入りしていて、待ち人がひとり、


手役の説明を受けている様子、ピンフの説明を受けている。


どう見ても、初心者のようだ。


「あなた、この方と同卓してもらえんじゃろうか?」


師匠がわたしにいう。


背後で、ご近所迷惑なターボータイマーが切れる音がする。


レベルの高い麻雀が打てると思って、全力で駆け付けた。


なのに、なぜ、手役すら自分で覚えてこない人間と同卓しなければならない?


冗談ではない。


師匠ととなりの卓で、ふてくされながら、師匠の卓を見つめるわたし。


わたしの対面ではモタモタと、初心者が牌と格闘している。


イライラがつもる。


どんな牌だって飛び出してくる。


こんなの麻雀じゃない。


こんな麻雀を打ちたくて、ここにいる訳じゃない。


イライラが募って、爆発しそうだ。


こころあらず、強打となった私の打牌音が道場内に響く。


なんで、ノーレートでこんなつまんない麻雀打たなきゃならんのよ。


「ちょっと、きなさい。」


師匠の卓が割れた後、背後から怒気のこもった声がする。


「今日は、もう帰りなさい。


あなたに、麻雀を打つ資格はない。」


師匠は、わたしの代わりに卓入りをして


わたしの非礼を初心者に詫びている。


なんともやりきれない気持ちでいる私は、帰宅命令を無視して


道場の隅で、師匠がはいっている初心者卓の様子を見ていた。


真剣な表情の初心者。


重なる師匠の笑顔。


場の空気が穏やかになってゆく。


道場全体で、麻雀を楽しんでいる。



23時。


師匠が、私に優しく告げる。


「あなたは、あなたの好きな麻雀しか、大事にしない。


 それでは、ダメじゃ。もったいない。


 あの初心者のひとが、どういう気持ちでいるか、考えなさい。


 いつも、いつも、相手の気持ちを考えなさい。


 麻雀は4人で打っている。」

 

 麻雀は、ひとと打ってこその麻雀だ。


 麻雀は「ひと」なのだ。


その初心者のひとが、麻雀に心酔してゆく場面に、居合わせることができたなら、


そこには、そのめぐりあわせには、きっと果てしなく大きな意味がある。


思い返してみるとわかる。


自分がどうだったか。


麻雀を打ってもらえることが、嬉しくて仕方なかったじゃないか?


同卓を拒否されないだけで、御の字じゃないか?


自分は、その日、麻雀について、何よりも大切なものを学んだ。


一期一会。


牌と人とのめぐりあわせの不思議に、今日もこころを奪われる。











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ノータイムなオールラスト



オーラス


その局の最終局。


ここをしっかり打つことで、その半荘は意味を持つ。


配牌をもらう前から、このオーラスは押し切るつもりでいる。


守って延命して、怯えながら結果、朽ち果てるより、


恐怖をちゃんと受け止めて、なお前に出て戦って死ぬ。


戦う、といっても、攻めるだけではなくて、


守る、ことが戦うことに繋がることだってある。


牌に訊ねながら、戦う。


自分は「打牌の比較優劣」と同じくらいこの「牌との共闘感覚」を大切にしている。


余計な経験則かもしれないが、それで結果がでている以上、


それも、自分にとっては、「麻雀」だ。


そして、対局のあとの所感がなによりも大切。


数字としても「結果」ではなく、ちゃんとできていたか、どうか?の所感。




ラス目の親番から、リーチ棒がでて、


2600のロン和了で、2着。


5200のロン和了で、トップ。


1000.2000、ツモ和了でもトップ。


リーチを受けた自分の13枚は、ドラ7p


56m125678p24発発中


ここに引いた3sは、エネルギーがある。


3sを引く。ものすごく感触がよい。


いけそうな気がする、ではなくて、いかなくてはいけない気がするのだ。


56m125678p234発発


8mを引き、発で受けようかな、とよぎるが、打8m


次巡 ツモ3p



56m1235678p234発発


リーチ。


合わせ打ってくれた、他家の打ドラ7pのおかげで


ドラは4枚みえていて、親リーチはさほど恐ろしくはない。


8pもノーチャンスだ。


場に5mは2枚。4m1枚。6m2枚。7m1枚。


「とても場に符合している」と感じる。


56m123567p234発発


親リーチがなければ、組めてない手組だ。


ピンフを付けようとして、発を切り飛ばしているだろうから。


状況を受けきった応手になっていると思う。


56m125678p234発発


このシャンテンに47mが先に埋まっていてもリーチだ。


けれど、先に3pが埋まってほしかったな、と思いながらのリーチになりそうだ。


この半荘は、同卓者の打牌スピードが本当に心地よくて


自分の打牌もスリムに無駄なくノータイムで打てていた。


麻雀は4人で打っている。


よどみなく打てた半荘って、いつ以来だろうか?


他家が、リズムを意識して打ってくれたから


自分もそれに引っ張られて、リズムよく打てた。


逡巡のない対局は、作品として価値がある。


たった1回の30分に満たない対局だったが、


すでに今年1番の「いい感じで打てた半荘」だった。


やっぱり、逡巡なくリズムなく打ててこそ、初めて「麻雀」だ。


自分が損をしないために、「他人の時間を奪って考えること」は


決して当たり前に許されることではない。


実戦において「ノータイムで打てないこと」が増えている自分を、恥ずかしく思う。


他人の時間を奪って、自分が損をしないように、考える。


それは、自分にとっては甘えだ。


そうしなれば、よい麻雀とならないなら、もう打たないほうがよい。


勉強会で果てしなくしっかり考察している理由は、


実戦で、よどみなく打つことを目指しているからだ。


間に合わせる感覚は、まず、「時間をかけることをよしとする甘え」を


完全に捨てることからはじまる。


それは、日常生活から、心かけることができるはずだ。









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