見せてはいけない理由(おまいう) [閑話休題]
「おまえがいうな!」
との誹りを覚悟で記事掲載でございます。
その場所での「麻雀へのとらえ方」は、それまで私が思っていたものと違った。
麻雀を神聖なものとして、捉えている。
まるで、壊れやすい美しい陶器のように牌を扱う。
自分の手牌、他人の手牌。そして捨て牌。
全てに等しくまるで「命あるもの」のように慈しんでいる。
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ひろりん師匠に「麻雀を教えていただいていた期間」は
実はそれほど長くはない。
ずいぶんと長い時間だったように思い出されるけれど
実は、ほんの半年位の間の出来事。
心地よい緊張感のなかでの「麻雀」は
本当に気持ちのよいものだった。
牌の扱いには、とても厳しかった。
特に、左ききの自分が一番強く注意されたことは
「上家から見やすいように牌を切る」こと。
牌を河に置いた後、速やかに左手を引く。
まずはそこから覚える。
そして、一番厳しく注意されたことは
「牌を見せない」こと。
1牌が見えてしまうことで、麻雀というゲームは
完全に破壊される。
麻雀の世界は、絶対見えてはいけない情報と
開示された情報でできている。
見えていない情報を、見えている情報から
どのように精査してゆくか?
それが麻雀の醍醐味だ。
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オーラス。ドラは北
一発裏あり 30,000点持ちの30,000点返し
東家 親番 20,000点くらい
南家 わたくし 33,000点くらい
西家 33,000点くらい
北家 34,000点くらい
トップ上3名並んでいて
親番に振り込めばラスまであるよ、という激熱なオーラス。
配牌を取る際に、嶺上のそばの②ピンがポロリとこぼれる。
対局者全員の視線が②に注がれる。
「終盤に②が寝てるんだなあ」
ぼんやりとそういう意識が拡がる。
中盤、親番から②手出しのリーチ。
全体の河には②が1枚。
①④ピンは都合場に4枚見えている。
私の手牌に3枚。
私の手牌
五六④④④⑤⑥223456
喰いタン仕掛けマックスに構えていたけれど
仕掛けることもできずにいた13枚だ。
親のリーチを受けて第一ツモが①
五六①④④④⑤⑥223456
この①は8枚目の①④だ。
切れない・・・
この親リーチの②手出しは、②②③のターツからの
打②の可能性がとても高い。
①④が埋まって切り出された②である可能性はない。
この①が8枚目だからだ。
私は親リーチの現物である2ソウを切る。
五六①④④④⑤⑥23456
こんなに喰い仕掛け放題な13枚なのに
どうにもならない。
①が切れないのであれば、おしまいだ。
親番以外の他家が和了するか、
親番のテンパイ終了を待つしかない、
絶対絶命な状況。
親リーチに安全な2ソウを打ち
上家から打たれるチーテンの牌をスルーする。
そののち、親番が②をツモ切る。
その②に合わせて、北家が②を切った。
「あ!」
②が4枚・・
①を切ることができる!
・・・・・・・・・・・
本来、存在しないはずの情報。
その情報のおかげで、打てないはずの牌を
打ち出すことができる。
オーラス開局時にこぼれた②.
その②のおかげでゲームが壊れる。
そのオーラスまでの粛々たる打牌が
全て色を失う。
卓上に落ちた情報はすべて
麻雀の情報である、という考え方もあるかも知れない。
けれど、それは、「勝てばよい」「勝つことに価値がある」麻雀の場合の話だ。
打牌の内容を大切にする麻雀であれば、
この見えてしまった②によって打ち出すことのできる①を
どのように消化することができる、というのか。
①が打てるようになった私は、
五六①④④④⑤⑥23456
テンパイがとれる牌がこぼれることも
テンパイとなる牌をツモってくることも
望んではいなかった。
それよりも、店じまいしてしまえるような
親リーチに危険な牌をツモってくること、を望んでいた。
そうすれば、打てなかった①が打てる、という
見せ牌によってゲームが壊れたことにはならないからだ。
仕掛けることのできる牌もこぼれず、
打てない牌を抱えることもない時間が流れ
上家から四ワンが切られた。
わたしは仕掛けて①を切って
ハイテイ牌の1ソウで、1000点を和了する。
うれしくないトップだ。
気持ちの置き所のない、奇妙な気持ち。
やはり、過失であっても
見せ牌の罪は重い。
果てしなく重い、と思うのだ。
(おまいう)
元祖 パラロス↓
http://wing6877.blog.so-net.ne.jp/
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