いつもの卓で
長く眠りすぎたときには、
だいたい麻雀の夢を見る。
いつも、どこかで、麻雀を打つ約束をしていて
そこに向かっている夢。
帰省していて、あと、2時間くらいしか
故郷にいることはできなくて、
それでも、みんなのいる雀荘に顔を出したい。
そう思って、懸命にクルマを飛ばす夢。
もう、その思い出の雀荘はなくなっていて
仲間もみな、麻雀から離れていってしまっている、
というのに、目を閉じれば、いつも
その光景ばかりが浮かぶ。
麻雀に使った時間は、膨大で、確かに効率は良くなかったかもしれない。
けれど、その麻雀をこうして思い出して
慈しむことができるだけで、
慈しむことができる思い出がある、ということが
実は、最大限の人生の価値なのかも知れない。
現在の麻雀も、いつか、遠い未来、
慈しむこととなるのだろうか?
で、あれば、きっと、そこにこそ価値がある。
もし、あの時あの場所での
いつもの卓での対局に戻ることができたなら、
きっと、一秒一秒を、これでもか、というくらい
大切に打つだろう。
2016-06-08 23:24
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