雀荘にて [麻雀回顧録]
昔のことを、思い出す、というそのことは、
現在しあわせではないから、とは、さだまさしの曲だっただろうか?
けれど、私はそうは思わない。
過去があるからこそ、現在がある。
過去を大切にしない横着な考え方に、未来はない。
ただ執着はしない。
過去というものは、ともに人生を歩む友人のようなものなのだから。
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大学の講義のあと、4コマ目が終われば
①ゼミの仲間、②バイト先の仲間、③雀荘の仲間
④サークルの仲間、
このいずれか、と麻雀を打つ。
お呼びがかからなければ、フリーの麻雀点に出かけていた。
私のフリーのデビューは、いきなり7500枚くらいの大負けデビュー。
その教訓から、基本フリーへは、いつも負けるつもりで出かけていた。
10000円で、朝まで遊べればよい。
減らなければ、御の字。
そうすると、不思議と負けることは少なかった。
勝とうと思わずに、負けないように、そう思考をシフトさせると
不思議と冷静でいられた。
そんなふうに麻雀三昧だった私は、長い休みで帰省をしたときも
当然地元の仲間と、麻雀三昧だ。
帰省時は、とにかく、朝モーニングを取って麻雀。
帰宅してご飯食べて、寝て麻雀。
同期の桜な仲間との麻雀は、本当に今思うと
泣きたくなるくらい楽しかった。
仲間内でのセットの麻雀は、ほぼ毎晩、深夜1:00からだ。
お迎えの友人の車のエンジンの音が遠くに聞こえると
母親がわたしを起こしに来る。
「ゆうさん、Hくんがむかえにきとるよ。あがってもらうかね?」
母親は、あそびほうけている私に対して
何の憤りもなかったようだ。
長い人生のなかで、こんなふうに夢のように
自由でいることのできる時間が持てること。
そのことの価値をきっと知っていたからなのだろう、と現在は思う。
「人生が楽しい」という一番大切なこと、
このことを、私は、この遊びほうけていた時期に学んだ。
人生の時間は、かならず大きな波のように帳尻を合わせてくる。
けれど、楽しい、と心躍る時間を信じることで、
実はさほど悲観することでもなかったりする。
とにもかくにも、仲間内の麻雀は、
メンツをかえて絶え間なく開催されていたのだけれど、
それでも、「24時間自由」であれば、その時間が手持ち無沙汰となることも多い。
そうなると、フリーにでかけようか、となる。
まだ、学生だった私は、帰省時にはその雀荘にいることが多かった。
景気の影響もあってか、点3の学生向けの雀荘であるその店が、その真下で
点ピンのおっさんむけの雀荘も合わせて営業し始めた。
そんな、そうだな、今日と同じくらい暑い夏のある一日のできごと。
仲間内では、点5がほとんどだったこともあり、お金欲しい→麻雀、とはならなかった私は
高いレートも麻雀には興味がなかった。
私にとってピンは特にお金が必要なときの富くじのようなもの。
毎朝、10時になれば、どのみち5,000円モーニングサービス(*注:1)でゲットできる。
オカネの心配はない。
将来の心配もない。
時間は無限にある。
まさに、無双状態。
その夢のような時間の本当の意味に気づくこともなく
それでも、毎日を懸命に生きているつもりだった。
そんな、とある一日の出来事。
注:1→当時のパチンコ屋さんには、ボーナスのフラグのたった台が
お店のサービスで複数設置されていた。
メダル3枚が、370枚になる魔法のようなシステム。
友人たちは、このモーニングで車を買ったり、学費をはらったりしていた。
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