麻雀の恐ろしさ [TSUKASA会]

麻雀における「和了できそうにない」とか、

「このリーチは負ける」とかそういう感覚は思い込みに過ぎない。

麻雀の全ての事象は点であり、結果として線になり、振り返ればひとつの形になる。

だから、この⑧を見逃したから、「流れが悪くなる」などということはあり得ない。

それは、すべて自分の心の問題なんだ。

自分の心が、その事象を「どう捉えているか?」それだけのこと。

麻雀がゲーム性として「確率」を内包している以上、事象に「偏り」も生じる。

ただ、それを自分がどう感じているか?だけの問題なんだ。

だから、「流れが悪い」「ツキがない。」と感じていても、基本打ち方は変えない。

形をあわせることがあっても、それで打ち方を変えてしまっては、拠り所がなくなる。

打ち方を変えるのはよっぽどのことだ。

いわゆる「感性に従う」というものは、人事を尽くして天命を待てるくらい、

状況に対して全てを出し切ったあとのことだと思うのだ。

①和了を迷うテンパイに組んだこと。

②和了を目指したテンパイでありながら、迷いから見逃したこと。

③同卓者への責任をおろそかにして、自分の迷いから「捌く」という「やるべきこと」を放棄したこと。

これらの様々な裏切りが「自分の麻雀」をどんどん脆弱なものにかえてゆく。

所感として、

①リーチをうつと追っかけリーチに負ける。

②テンパイ形は優秀なはずなのに、和了牌がいない。

そして

③テンパイが取れない。

これらは、ただ「心の弱さ」がそう感じさせているだけで、実際は平素なことなはずだ。

ただ、

「自分の麻雀がわからない」

そう思い込むことで、無意識のうちにエラーを連発させているだけなのだ。

これが、麻雀の恐ろしさである。

卓についた以上、最大の敵は自分である。

自分の迷い、弱さ。これをいかに組み伏すのか?が肝要。

迷いだすと、エラーが必然的に増える。

正確には、エラーでなくてもエラーだと感じたり、

エラーをエラーと感じることができなかったり、

もうボロボロである。

攻めてはいけない、ところで、攻めている。

麻雀は、バランス感覚が大切。

一度このバランスが崩れると、どうにもならなくなる。

そのオーラス和了すればトップの状況。

北家ドラ六

③③④⑤⑥六六  チー 二三四 チー768

⑤は場に2枚。

ピンズは安く、ドラ色のマンズは高い。

ここに、七を引いて

「両面だし、尖牌の七を引いたし、」

の理由から、ドラの六を切る。

これも、平素ならあり得ないエラーである。

ピンズが安いのだから、ピンズを和了色にすべきである。

このまま③と六のシャボでもよいし、

③③④⑤⑥六六

から、3枚目の⑤をひいた

③④⑤⑤⑥六六

は最強テンパイだし、

②をひいても、よい

②③④⑤⑥六六

とにかく、この和了トップで、場に高いと感じているマンズのテンパイに取ることが

あまりにも軽率で情けないエラーである。

案の定、ピンズでの和了を逃し、2着目より追撃され、撃墜された。

気づけていない、のではない。

きづいているのに、対応できていない、というどうしょうもない状態。

迷いが視野を狭窄させてゆく。

images2964HPGD.jpg

・・つづく

セガの本気↓パないっす。

http://www.nicovideo.jp/watch/1391059400

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