錯誤行為。 [閑話休題]

みぎにゃん!ひだりにゃん!ばかにゃん!押す順番を間違える。

⑦番の次に間違って⑧番の順番を抜かし⑨番を突く。

ビックリマンチョコと勘違い、ミックリマンチョコを大人買いしてしまう。

うっかり魔法少女になってしまう。

など、人は間違う生き物だ。

錯誤行為。

いわゆるチョンボ。

人間なのだから、間違いはある。

錯誤行為に対しては、私は起こりうる「ヒューマンエラー」だと考えている。

他人が攻めるべき問題ではない。

間違いに罰は必要ない。

罰は、「次回同じことを繰り返さないように注意すること」には繋がらない。

その場で、「安易に許された気がする」だけである。

それは、そのまま「罰をあたえられなければ、繰り返す」という動物レベルの問題に成り下がる。

錯誤行為について

「和了放棄」で責任を取るというルールがある。

私はこれには反対だ。

「和了放棄」ごときで「錯誤行為でゲームを壊した責任」を取られたのでは堪らない。

その結果、本来存在しないはずの未来を受け入れてはいけない。認めてはいけない。

冗談ではない、と思う。

錯誤行為でゲームが壊れる。

であれば、壊れたゲームは全てノーカウントにするべきだ。

そして、錯誤行為による「ノーカウント」という事実を強く受け入れるべきだ。

錯誤行為によってもたらされる「理不尽な未来」を「正しい未来」に置き換えてはいけない。

そうして、そのあとのエラーを最小限にとどめること。

みなで、歪みを最小限にとどめる努力をするべきだ。

同卓者のエラーをみなで修正する。

個人の錯誤行為の責任を対局者全員で取るのだ。

私も錯誤行為はある。

錯誤行為は、責任を取れる行為ではない。

どんなに謝罪したところで、言葉では責任は取れない。

行動でしか責任が取れない。

錯誤行為のあとの対局にいかにひるまず、いかに真剣に取り組むか?

これに尽きる。

私が残念に思うのは、錯誤行為により打牌が乱れること。

しっかりと打てなくなること。

このことが、一番もったいない。

人間は失敗からも「学び取れる」生き物だ。

どうすれば、同じ過ちを繰り返さないですむか、考えること。

これは、人生においても同じ。

未来に繋げることができれば、失敗は成功よりも価値がある。

それこそが、失敗について責任を取る、ということではないだろうか?

錯誤行為のあとは、くよくよせずに、よい麻雀で返そう。

よい麻雀とは、

「対局者と牌を大切に」精一杯打つこと。

このことを心に留めておけば、きっと大丈夫。そう思うのだ。

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