もう我慢できねえ。 [ワルイシイプルギス会にて]
┗(;´Д`)┛┗(;´Д`)┛
重い対局が続く。
リーチファイターなイメージの、K藤氏の高目、12000に刺さる。
九。
チャンタ、三色。
また九。
なぜ、九にアヤを感じながらも、ケアできないのか?
自分に憤りを感じる。
私の、手牌は、3シャンテン。
まったく勝負にならない。
チャンスを待つ。
こんな時は、1000点すら、和了できない。
また、あがき点棒を求めれば、意味のない和了しかできない。
1度でも和了できれば、と願う。
なにか、変わるのではないか?と。
けれど、こういう時こそ、我慢だ。
和了できなくても、形に意味を。
他家に対して牌を止め、ひたすら耐える。
耐えることを、努力と勘違いしている、そうも思う。けれど、切らない牌は切れない。
::::::::::::::::
3回目の半荘。
28000点の2着。14000点のラス。
この3回目の半荘で、最後となる。
万策尽きていた。
だが、南場の親番で、5巡目思わぬ聴牌。
二三四七八九⑦⑧⑨5588 ドラ④
いつもなら、8を切り、聴牌取らず。
他の尖牌を抱える。
だが、もう自分には、「親番での、この聴牌」が大切で我慢できなかった。
聴牌を壊す勇気がなかった。
無駄ヅモが続く。ひたすら続く。
7、か、9を引け!
3色への変化。
その願いがいつか、「5、8、そのままツモれ!」へ変わる。
何故、最速の愚形聴牌が、入ったのか?
何故、最終系に変化してくれないのか?
考える。何故?どうすればよい?
なにか、ヒントはないのか?
このままでは、親番も捌かれる。
そして、ドラの④をツモる。
本来ならば、いつもならば、8切り。(`・ω・´)
二三四七八九④⑦⑧⑨558
④の周りのリャンメン変化も待つ。
④が重なり
二三四七八九④④⑦⑧⑨56
とかの変化でも充分だ。
だが、ここは、この局面は。セオリー通り押しても、届かない、そうなんじゃないかな?
この親番が、ラストチャンスだ。
この本来自分の手順では打ちださないドラで、誰かバランスを崩さないだろうか?
私のドラ打ちは、ほとんどイコール聴牌と、理解されるはず。
動かれたなら、次巡ツモの変化に賭け、変化しなくても親リーチを打つ。
それが、親番での望外な聴牌への責任のような気がした。
今できる精一杯の事。
「後悔はないのか?」
それは、今はわからない。
「我慢が足りないのは、自分ではないのか?」
それも、今はわからない。
ドラ④を切る。
とてつもない悪寒が我が身を包み、それが大失敗だったことを、感じる。
「ポン!」
F森氏が、ドラポン。
7か、9・・・!頼む、持ってこい!
ツモる指に力がこもる。
③・・
「ダメだ。やられた。」
内心思う。
平然を装いリーチを打つ。
まるで、ドラで、他家を釣っている、とでも感じてもらえれば幸いです。
「リーチ!」
ドラポン者に楽をさせる訳にはいかない。
5,8の腐れシャボ。
形に、意味も力もない。
ただ、誰かの足を払うことしか、方法がもう残されていなかった。
下家から、8が打たれる。
!!!!
「ロン!」
リーチのみ2000点。
点数は安いが、和了できた意味は大きい。
何故なら、私のラストチャンスだったから。
以後、私の牌勢は、水を得た魚のように生き返り、トップへも届く。
きっかけは、瑣末なこと。
今思えば
三色、という部分手役ではなく、
チャンタという、全体役で、組み立てるべきだった。
5ソウを、払うという、発想がない。
そうすれば、食い仕掛けも可能だ。
ドラが④なのだから、チャンタにおあつらえむきの牌は他家からこぼれ易い。
まず、親番で、和了することが目的なのだから、普通そう考える。
ドラを使い、和了する。他家と逆の発想を必要とする局面だった、ということだろう。
麻雀は、何が正解なのかは、わからない。
だが、この親番で、安易な面前三色しか考えなかったことは、とても情けない。
狭量な視野。
まだまだ、本当に未熟である。
牌譜のグッチ先生。
http://n-guchi-1219.blog.so-net.ne.jp/2011-12-19
(^▽^)↓
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重い対局が続く。
リーチファイターなイメージの、K藤氏の高目、12000に刺さる。
九。
チャンタ、三色。
また九。
なぜ、九にアヤを感じながらも、ケアできないのか?
自分に憤りを感じる。
私の、手牌は、3シャンテン。
まったく勝負にならない。
チャンスを待つ。
こんな時は、1000点すら、和了できない。
また、あがき点棒を求めれば、意味のない和了しかできない。
1度でも和了できれば、と願う。
なにか、変わるのではないか?と。
けれど、こういう時こそ、我慢だ。
和了できなくても、形に意味を。
他家に対して牌を止め、ひたすら耐える。
耐えることを、努力と勘違いしている、そうも思う。けれど、切らない牌は切れない。
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3回目の半荘。
28000点の2着。14000点のラス。
この3回目の半荘で、最後となる。
万策尽きていた。
だが、南場の親番で、5巡目思わぬ聴牌。
二三四七八九⑦⑧⑨5588 ドラ④
いつもなら、8を切り、聴牌取らず。
他の尖牌を抱える。
だが、もう自分には、「親番での、この聴牌」が大切で我慢できなかった。
聴牌を壊す勇気がなかった。
無駄ヅモが続く。ひたすら続く。
7、か、9を引け!
3色への変化。
その願いがいつか、「5、8、そのままツモれ!」へ変わる。
何故、最速の愚形聴牌が、入ったのか?
何故、最終系に変化してくれないのか?
考える。何故?どうすればよい?
なにか、ヒントはないのか?
このままでは、親番も捌かれる。
そして、ドラの④をツモる。
本来ならば、いつもならば、8切り。(`・ω・´)
二三四七八九④⑦⑧⑨558
④の周りのリャンメン変化も待つ。
④が重なり
二三四七八九④④⑦⑧⑨56
とかの変化でも充分だ。
だが、ここは、この局面は。セオリー通り押しても、届かない、そうなんじゃないかな?
この親番が、ラストチャンスだ。
この本来自分の手順では打ちださないドラで、誰かバランスを崩さないだろうか?
私のドラ打ちは、ほとんどイコール聴牌と、理解されるはず。
動かれたなら、次巡ツモの変化に賭け、変化しなくても親リーチを打つ。
それが、親番での望外な聴牌への責任のような気がした。
今できる精一杯の事。
「後悔はないのか?」
それは、今はわからない。
「我慢が足りないのは、自分ではないのか?」
それも、今はわからない。
ドラ④を切る。
とてつもない悪寒が我が身を包み、それが大失敗だったことを、感じる。
「ポン!」
F森氏が、ドラポン。
7か、9・・・!頼む、持ってこい!
ツモる指に力がこもる。
③・・
「ダメだ。やられた。」
内心思う。
平然を装いリーチを打つ。
まるで、ドラで、他家を釣っている、とでも感じてもらえれば幸いです。
「リーチ!」
ドラポン者に楽をさせる訳にはいかない。
5,8の腐れシャボ。
形に、意味も力もない。
ただ、誰かの足を払うことしか、方法がもう残されていなかった。
下家から、8が打たれる。
!!!!
「ロン!」
リーチのみ2000点。
点数は安いが、和了できた意味は大きい。
何故なら、私のラストチャンスだったから。
以後、私の牌勢は、水を得た魚のように生き返り、トップへも届く。
きっかけは、瑣末なこと。
今思えば
三色、という部分手役ではなく、
チャンタという、全体役で、組み立てるべきだった。
5ソウを、払うという、発想がない。
そうすれば、食い仕掛けも可能だ。
ドラが④なのだから、チャンタにおあつらえむきの牌は他家からこぼれ易い。
まず、親番で、和了することが目的なのだから、普通そう考える。
ドラを使い、和了する。他家と逆の発想を必要とする局面だった、ということだろう。
麻雀は、何が正解なのかは、わからない。
だが、この親番で、安易な面前三色しか考えなかったことは、とても情けない。
狭量な視野。
まだまだ、本当に未熟である。
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2012-06-22 20:48
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