神スルー

 リーチ棒の供託もあるし、積み棒もある。 


ここで、和了を最優先するのであれば、


西だって仕掛けるべき!


本当に昭和の雀士ってやつは・・・


五六⑤⑥5568南南南西西中


西を2枚ふかしてこの形。


現在リャンシャンテンのこの形に、場に1枚も見えていない中。


ここから、ますたぴょんは西を切った。


え?なにやってるんですか?


リャンシャンテンをサンシャンテンに?落として?


どこへ向かおうというのですか? 


仕掛けもスルー、シャンテンスウもスルー。


何もかもスルーして、どういうことですか? 


こんな中、止めていたのでは勝負にならない。


そうか、ここは我慢、そう決めたんですね。


まあ、他家も和了にむかってガンガンつっこんでくるだろうから、


それを考えるのであれば、役牌を絞って落ちる、というのは


そんなに悪い戦術だ、とはおもわないのだけれど・・・


で、次局に発を引いて打西


五六⑤⑥5568南南南発中


誰に対しておりているのか、さっぱりわからない。


もう7巡目なのにサンシャンテンだ。


絶好の役牌アンコウの絶好の手牌をどうして・・


ますたぴょん、それがますたぴょんのスタイルとはいえ、


いくらなんでも、 貫きすぎだろう。


大局的にみても、対局的にみても、


親番の前のこの南家以上に、攻めなければならない局面など


存在しないだろうに・・・。


でも、打っているのはますたぴょん本人で、私ではない。


九州の予選を戦って、勝ち抜いて


仕事に都合をつけて、神奈川まで出てきて、


どれだけ麻雀が好きなのか?このひとは?と思う。 


その対局への思いなんていうものは、


ますたぴょんにしか、きっとわからない。


切れない発や中は切らずに戦う、という麻雀は


 あまりにも、時代遅れなのかも知れない。


けれど、私はそれでなければ価値がない、とまで思う。


打っている本人が納得していない結果に、何の価値もない。


私は、静かに首肯する。


わかりました。


とことん、その麻雀を見届けさせていただきます、と。 


同時に自分を省みる。


仲間に「よい麻雀を打って欲しい」そのことのために、


いや、そのことを口実に歪めてきた自分の打牌。


誠実ではない、とわかっていながら、「教材」を理由に牌を抜いてきた。


鳴かなくてもよい牌を仕掛けて、余計な振込をして、


目的の為の犠牲だ、と、言い聞かせながら。 


だって、私はもう麻雀は強くならなくていい、


知りたいとは思うけれど、自分が強くなることが希望ではない。


それは、本心なのだけれど、


目の前で「自分の麻雀を貫いている姿」を見せつけられると


自分は間違っていたのでは、と思わざるを得ない。


けれど、再び、そこまでの闘志を持って対局に臨めるか?といえば


その自信も全くない。 


五六⑤⑥5568南南南発中


 三色が見える。


だけど、切れない発や中があるから、


それはかなわない。


ホンイツにもタンヤオにもピンフにもなれない形。


動きやすい数牌を動いたとしても、


重石のように役牌がその進路を阻む。 


まるで、現在の自分の麻雀のようだ。


このままでは自分の麻雀の未来は、どうにもならないことがわかっていて


まだ、ほんの少しできることも残っているのに、振り払えないものが重石になっている。 


場を動かす恐れのある字牌を切り出せなくて、


動きやすい両面ターツを強く組むことができない。 


自分の麻雀への情熱は、いつしかどこかにきっと霧散してしまっていて


今はその残滓にすがり付いているだけだ。 


 ますたぴょんと離れてから10年、


もし、私も自分の麻雀をちゃんと磨いていれば


違う現在があったのだろうか?


そう考えていると、七ワンが入った。


 五六七⑤⑥5568南南南発中


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