100倍の勇気 [哲学する麻雀]
目の前の溝に、木材を橋として渡してある。
これを、渡ることは容易だ。
だが、この「木材の橋」が300メートルの高さの渓谷に渡されていたらどうか?
おそらく、恐ろしくて容易には渡れない。
恐怖が心を支配する。
最大限の注意を払い、安全を確認しながら行動するはずだ。
この高い渓谷の「木材の橋」を渡るためには、恐怖を克服する為の勇気が必要。
勇気とは、そう、恐ろしいものを恐ろしいと知りながら、持てる力を総動員して挑む決死の想いである。
麻雀も同じだ。
恐怖に支配された状況であっても、その牌を切り出すことができるか?である。
ノーレート麻雀でノーレートだからと、ブンブン勝負に向かう人をよく見かけるけれど、
まあ、極端な意見にはなりますが、誤解を恐れず言い放つならば、
「そんな麻雀打って楽しいですか?。」
麻雀の一打は、特にノーレートになればこそ、その重さはお金に換算できない。
麻雀を楽しむためには、なによりも麻雀と対局者を大切にしなければならないと私は思う。
つづきです。
ツモ③ 打⑦
33③③④⑨白白発発中中北
⑨を切りづらくする為に、⑦を先に外す。
大三元は必要ない。
②をツモる。
33②③③④⑨白白発発中中北
ツモ切る。
ピンズの染め手では、安易すぎる。
下家は、Y氏。
不要な2つの色を切り出すホンイツは、上家としても、ぬるい自分本位な牌組だ。.
色を絞らずに、縦で仕掛ける。
③か3ソウが先に打たれるのを待つ。
その前に白、発、中、が打ち出されもスルーだ。
例えば、白、をスルーすれば、連鎖でそのあと発、中が取れるかも知れない。
3ソウが出る。
ポン。
打④。
できるだけピンズの匂いを消したいけれど、
もうこの③はでない。
そして、Y氏から白が出る。
(後で訊ねたならば、この白はトイツ落とし)
ポン
打北
中を引く。
打⑨
③③発発中中中 ポン白白白 ポン333
大三元テンパイ。
これは、③ピン引きにかける。
発での大三元など望むべきもない。
③で充分。
1枚居てくれと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私のトイメンが、無作為に中張牌を加カンした。48の殺人技の一つ「大ミンカン」である。
!!!!!
、
そして、リンシャンからツモッてきた牌を、そのまま切る。
発。
!!
ロン!
そのトイメンさんの飛びで、終局となる。
私のトップ。
だが、なんとも忸怩たるトップだ。
発を切って、役満フリコミました、ツイてない、という問題ではない。
もちろん振り込んだ彼が悪いわけではない。
彼は純粋に麻雀を楽しんでいるだけである。
ただ、彼は知らないだけなのだ。
一打の重さを。
一打の恐さを。
一打の想いを。
彼のこの発を打ち出す理由は、勇気ではない。
勇気とは言わせない。
無作為な絵合わせな一打だ、と思われてもいたしかたないだろう。
ここが、つかさ会なら、その理由を説明することもできるし、教材にもできる。
だが、ノーレートフリー。他人の打牌への口出しはご法度だ。
点棒を受け取りながら、我慢する。
これもまた麻雀なのだと。
お金がかかっていれば、振り込んだトイメンさんも、お金で責任がとれる。
だが、ノーレートでは、それはない。
行き着くところは、こんな牌を切る人間とは打たない、である。
あまりにも、哀しい結果。
もう、今日は卓を割ろうかな。
そう思った刹那、まるで私の心を読んでいるかのように、意外にもY氏が口を開いた。
「そのカンは、どうかな?」
そして、その加カンが、いかに場にそぐわない行為か、優しく諭す。
振り込んだトイメンさんも、よく理解してくれたらしく、大きくうなづく。
経験の差。
なるほど、想いは伝え方なのだな、と痛切に感じた。
私は、温度が高いので他人にモノを伝えることが苦手だ。
Y氏のように、優しい言葉を使えるようになりたい、と思った。
今回の残念な大三元は、私に大きなことを教えてくれた。
麻雀に正解はない。
けれど、想いは試行錯誤しながら、苦しみながらでも伝えなければならない、と。
次に、トイメンさんと打てる日が楽しみである。
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これを、渡ることは容易だ。
だが、この「木材の橋」が300メートルの高さの渓谷に渡されていたらどうか?
おそらく、恐ろしくて容易には渡れない。
恐怖が心を支配する。
最大限の注意を払い、安全を確認しながら行動するはずだ。
この高い渓谷の「木材の橋」を渡るためには、恐怖を克服する為の勇気が必要。
勇気とは、そう、恐ろしいものを恐ろしいと知りながら、持てる力を総動員して挑む決死の想いである。
麻雀も同じだ。
恐怖に支配された状況であっても、その牌を切り出すことができるか?である。
ノーレート麻雀でノーレートだからと、ブンブン勝負に向かう人をよく見かけるけれど、
まあ、極端な意見にはなりますが、誤解を恐れず言い放つならば、
「そんな麻雀打って楽しいですか?。」
麻雀の一打は、特にノーレートになればこそ、その重さはお金に換算できない。
麻雀を楽しむためには、なによりも麻雀と対局者を大切にしなければならないと私は思う。
つづきです。
ツモ③ 打⑦
33③③④⑨白白発発中中北
⑨を切りづらくする為に、⑦を先に外す。
大三元は必要ない。
②をツモる。
33②③③④⑨白白発発中中北
ツモ切る。
ピンズの染め手では、安易すぎる。
下家は、Y氏。
不要な2つの色を切り出すホンイツは、上家としても、ぬるい自分本位な牌組だ。.
色を絞らずに、縦で仕掛ける。
③か3ソウが先に打たれるのを待つ。
その前に白、発、中、が打ち出されもスルーだ。
例えば、白、をスルーすれば、連鎖でそのあと発、中が取れるかも知れない。
3ソウが出る。
ポン。
打④。
できるだけピンズの匂いを消したいけれど、
もうこの③はでない。
そして、Y氏から白が出る。
(後で訊ねたならば、この白はトイツ落とし)
ポン
打北
中を引く。
打⑨
③③発発中中中 ポン白白白 ポン333
大三元テンパイ。
これは、③ピン引きにかける。
発での大三元など望むべきもない。
③で充分。
1枚居てくれと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私のトイメンが、無作為に中張牌を加カンした。48の殺人技の一つ「大ミンカン」である。
!!!!!
、
そして、リンシャンからツモッてきた牌を、そのまま切る。
発。
!!
ロン!
そのトイメンさんの飛びで、終局となる。
私のトップ。
だが、なんとも忸怩たるトップだ。
発を切って、役満フリコミました、ツイてない、という問題ではない。
もちろん振り込んだ彼が悪いわけではない。
彼は純粋に麻雀を楽しんでいるだけである。
ただ、彼は知らないだけなのだ。
一打の重さを。
一打の恐さを。
一打の想いを。
彼のこの発を打ち出す理由は、勇気ではない。
勇気とは言わせない。
無作為な絵合わせな一打だ、と思われてもいたしかたないだろう。
ここが、つかさ会なら、その理由を説明することもできるし、教材にもできる。
だが、ノーレートフリー。他人の打牌への口出しはご法度だ。
点棒を受け取りながら、我慢する。
これもまた麻雀なのだと。
お金がかかっていれば、振り込んだトイメンさんも、お金で責任がとれる。
だが、ノーレートでは、それはない。
行き着くところは、こんな牌を切る人間とは打たない、である。
あまりにも、哀しい結果。
もう、今日は卓を割ろうかな。
そう思った刹那、まるで私の心を読んでいるかのように、意外にもY氏が口を開いた。
「そのカンは、どうかな?」
そして、その加カンが、いかに場にそぐわない行為か、優しく諭す。
振り込んだトイメンさんも、よく理解してくれたらしく、大きくうなづく。
経験の差。
なるほど、想いは伝え方なのだな、と痛切に感じた。
私は、温度が高いので他人にモノを伝えることが苦手だ。
Y氏のように、優しい言葉を使えるようになりたい、と思った。
今回の残念な大三元は、私に大きなことを教えてくれた。
麻雀に正解はない。
けれど、想いは試行錯誤しながら、苦しみながらでも伝えなければならない、と。
次に、トイメンさんと打てる日が楽しみである。
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2017-04-11 20:56
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