瞬間風速としての効率。
九九⑤⑥⑧⑨119東北発発中
打⑤
本当は、⑥のほうが河が強い。
で、九ワンをポン。打⑥
ツモ中
⑧⑨119 東北発発中中 ポン九九九
こうなると、⑦をツモって欲しくないので、打⑧
⑧を切るとシャンテン数下がる。そんなことは
わかっているけれど、この瞬間で、最大に効果の高い打牌は⑧だと思う。
発をポン 打9ソウ
⑨11東北中中 ポン発発発 ポン九九九
他家は東と⑨を切れない。
なら、その状況を保持したい。ツモ1ソウ
打北
テンパイに向かう効率として間違っていても、
和了するための効率としては、⑨を場に打たないほうがいい。
この瞬間の1打としては、それが大局観としても効率がよい。
⑨111東中中 ポン発発発 ポン九九九
ツモ白 さすがに⑨を切る。
111東白中中 ポン発発発 ポン九九九
18000、マックス24000点のテンパイだ。
場の状況を鑑みて、その一打の最大効果を考える。
その瞬間瞬間の積み重ねが、結果として効率を生むのではないだろうか?
わたしは最近、そう思うのだ。
いつも、いつも、精一杯考えること。
おろそかにしないこと。楽をしないこと。
効率も、あとで「ああ、効率的な打牌だったな」と思うことができれば
それでいい、と思う。そういうものだ、と思う。
もちろん、基本的な牌の動きは勉強していることが前提だけれど。
そうしないと、大局的な効率を損なう恐れがある、と思うのだ。
何の為に麻雀を打つのか?
正しい効率を見つけて、それに殉じることではない。
なにが正しいのか?を刹那に考えて、結果として満足のゆく対局を残す為である。
意味のある何か、を残すためである。
目的は、ひとそれぞれ。
一打の最大効果を常に考えることができている人間の
麻雀は、本当に強い。
勉強している人間の麻雀は揺るぎない存在感がある。
だから、わたしも、感性だ、とか、高得点に、とか、
そういうのではなくて、北切りや9ソウきりも有りだ、と考えるのだ。
考えて、考えて、自分の麻雀を疑い反芻を続ける。
様々なことを考えて、最大の効果として、北を選ぶ人間も麻雀は
そのトータルの戦歴として、必ずそれなりのものを残せているはずだあkら。
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