河をみないステージ [閑話休題]
「相手が捨て牌を見ていてくれている」
そういう前提で牌を取捨選択することは、
「河をみない相手と打つときには」損である。
損得勘定でいうならば、意味がない。
もちろん、手出しも然り。
よく、麻雀店におわす「おいさん」が、
「こいつら、河見ないからな~」
と口にしていたことを思い出した。
「それはそうだ」とはおもうのだけれど。
それでも、河をみない相手と打つときであっても、
私は、捨て牌での最大限の意匠を凝らしてゆきたい。
可能な限り、「悔いのないように打ちたい」からだ。
確かに、ここのところ、自分の麻雀を無意味に感じていて
ずいぶんとエラーを繰り返してきたけれど、その理由も明確になってきた。
「甘え」である。
*どうして、わかってくれないの?
という甘え。
己に厳しく、他人に甘えず麻雀を打つことと、
そのように生きることは、同じだ。
坂口 安吾の言葉のとおり、
自分のことは、自分が慈しめばよい。
ただ、そのためには、他の追随を許さぬ努力が必要なのだ。
甘えていた。
誰かがなんとかしてくれるだろう、と、どこかで思っていたのだ。
河をみない相手でも、精一杯打たせてもらいたい。
今回の以下の打牌だって、
もっともっと、精査すれば、いろいろ改善の余地はある。
それが、麻雀に対する正しい姿勢なのだ、と思う。
他人にわかって欲しい、と思って打つ、麻雀は、
等しく、「思い上がっている」。
わかってもらえなくても、相手のことを考える。
そのことが、尊いのだ。
そもそも、他人に何かを伝えることが
「何よりも困難」であることを、私は知っているではないか?
それは、決して、正しく齟齬なく伝わることはない。
それでも、伝えたい、と思うから、人間なんだ。
損とか、得とか、そんな「下卑た考え」は駆逐しよう。
心のどこかで、
「こんなに、頑張ってるのに、損だ。」
と私は少し感じていたのだ。
だから、麻雀に甘えが出ていた。
損はしたくない。
けれど、それを理由に、姿勢を歪めることは、絶対に許されない。
損とか得とか、そういうものを凌駕したところに真実はあるはずだから。
そして、その究明の手段のひとつが、私にとっては麻雀なのだ。
↓この記事。
①と②を思いっきり離して切ってみた。
7ソウと四ワンを逆切りしてみた。
四六八⑥⑦⑦⑧⑧⑨677東東
ここから、7ソウを切るべきところを、
五ワンが、もうほとんどツモ山にいなさそうだったことも合わせて考えて
ここから、四を先に切り出して、
8ソウを引いて、7ソウ切りリーチ。
三色のにおいを消すつもりが、三色にしかみえない捨て牌になっている気がする。
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