本懐。 [閑話休題]
大切なことは、何を成すか?
何を目的として、そこに座り牌を握るのか?
まず、それをしっかり心に刻もう。
覚悟を決めたのならば、逡巡してはいけない。
ノーレート麻雀は、麻雀の内容でしか責任の取れない。
よい麻雀にするには、その意識が不可欠である。
それは、対局者により、粋に感じて変化するもの。
目的は対局者により異なる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
寝ぼけて手繰りよせた携帯にせんぱいからの着信。
現在のモチベーションでも、半荘3回くらいならば、死力を尽くせそうだ。
せんぱいと競うものは、
「トップ取りを視野に入れた内容のある対局。」
これが、至上の目的である。
よし、出かけよう。
灼熱の真夏日、一時間400円を払っての麻雀はしんどい。
けれど、対戦相手が上質ならば、それでも安いくらいだ。
麻雀は、誰と何を目的として打つか?それが大切。
麻雀は、目的が変われば、その内容は変化する。
ここでの麻雀の目的はいわゆる他とは違い
「胸を張ってしっかり闘うこと。」
これを至上と目的とする麻雀。
そういう想いのこもっていない点棒など、ドブに捨ててしまえばよい。
大切なことは何なのか?
それが、みつからないのならば、牌は握るべきではない。
私が、その店に到着すると、Y氏とせんぱいと、つ会の人が対局中。
ちょうど、オーラスだった。
つ会の人は、13000点くらい。
トリプルツモで、トップ。
倍満では、届かない。
Y氏が、トップ取りの手役に苦心している様子から、
おそらくここでの目的とする麻雀は、間違いなく点棒ではなく、内容。
おのれが矜持。
そうして、
つ会の人に以下の形が入る。
ドラは、東。
②④④⑤⑤⑥⑥東東白白中中中
白は、場に2枚見えている。
うーんと逡巡している様子をみて、後ろ見の私もY氏もせんぱいも、
トップ取りへの準備ができていないのだと、気づく。
トリプルが条件ならば、
リーチをかけて、一発でドラの東をツモる。
リーチ一発ツモメンホンイーペーコー中ドラ3
これ以外に選択肢はない。
針の穴のような可能性だが、この対局者の想いを大切にするならば、
それ以外の選択肢は存在しない。
どうすれば、
「いやあ、よい麻雀だった。」
と感じてもらえるか?感じることができるか?
それを必死で考えることが誠意である。
ラスの点棒でオーラスを迎えたいきさつは知らない。
けれど、その点棒でできることは、着順の変わらない倍満ではないはずだ。
相手の気持ちを考えなさい。
それが、おもいやりのある麻雀である。
つかさ会でのお勉強対局とは、また目的が違うのだ。
裏ドラに期待する麻雀など野暮だ。
まさか、チートイには受けないだろうな。
チートイに受けるのならば、ツモで裏ドラ期待のみだろうから。
しかも②は、そのすべてを賭けるには根拠の足りない牌。
逡巡したあげく、中を切り②単騎でリーチ。
②④④⑤⑤⑥⑥東東白白中中
この牌でのロン和了に意味がない、とせんぱいが切り飛ばした②で和了。
出ると思わなかったのだろう。
ロン和了に根拠のない②だ。
出るよ、せんぱいは「あたられるとは、夢にも思っていない。」のだから。
この和了に裏ドラがのっても、10本で、とにかくロン和了は無意味。
リーチメンホンチートイドラドラにドラが2枚増えても意味がない。
せめて、裏ドラに期待するのならば、ツモ和了である。
和了して、トップではない。
場をなんともいえない残念な空気が包む。
これが、この空気が全ての答えなのだ。
なぜ、あなたほどの人がそんな倍満を和了するのか?
対局者も本人もまた、麻雀牌も、誰も幸せにならない哀しい和了。
せめて、全く逡巡なく、リーチを打ち、点棒申告の準備が出来ていれば、まだみんな救われる。
迷いがなければ、
「牌が、和了してくれ、と押し寄せてくる。これを和了しないのは、牌に失礼だと思う。
申し訳ないけれど、和了させていただく。」
とのハナシも全然ありである。
牌を大切にしている。立派な理由があるのだから。
であれば、迷ってはいけない。
麻雀の神様は、オーラスにその心の奥に潜むものを覗き込もうとする。
試練。
誘惑に負けず、本懐を果たすことができるにたる人間かどうか。
せんぱいたちが席を外しているいとま、Y氏が寂しそうに口を開く。
「悪くはないですよ。悪くはない。けれど、きづけていない。
その先にあるものには、きっとたどり着けないでしょうね。」
このつ会のひとの打牌の責任は、私にもある。
人それぞれ、思うところがあり、その精一杯があり、それは尊いもので、値踏みしてはいけない。
彼を責めるつもりはない。そう、ただ、まだ長い旅路の途中なのだから。
迷い苦しみ、それでも意識を高く持ちたい、そう願う気持ちがある限り、
いつでも、それは、いつかの為の肥やしとなる。
未来を信じて、慌てず積み重ねてゆけば良い。
今の自分が全てではない。
よい、わるい、の問題ではない。
けれど、せんぱいや、Y氏に対して、私は申し訳無く思う。
たまらなくやるせないのだ。そう感じていることにも意味がある。
「対局者と牌を大切に。」
これを、届けとばかりに唱え続けてなお、伝えきれていない自分の無力さ。
「けれど、こればかりは、本人が自分で「気づく」しかないのだ。
返せば、これは、
「人生における全ての邂逅と事象を大切にすること。」である。
繰り返すけれど、これが、普通のスコアを目指す麻雀ならば、16000点の得点には意味がある。
何の問題もない。
けれど、そうではない、ということ。
せめて、このあとの対局に、私の持てる想いを全て捧げよう。
それがせんぱいや、Y氏に対する私のせめてもの誠意である。
全身全霊をかけて。
私は、私の言葉の責任を、果たさなければならない。
眠気は飛んだ。
別卓で、年甲斐も無くはしゃいでいるロートルの奇声ももう聞こえない。
つ会の人は、奇しくも、私の友人である。
その汚名は私が代わりに返上して責任を取る。
全ての打牌から相手の手の打ちを推察して打ち切ってやる。
7月27日(土曜日)午前11時から
よつば会にて。
7月26日(金曜日)はクローバー開催です。午後4時半から
下記アドレスより、
http://s.ameblo.jp/428km/
小林 剛様、shoot39様、内田慶様、F森様の対局をニコニコにアップしてくださいました。
タグ検索 「小林 剛」様でヒットします。
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訊ね人
めいしょう:S場会長
つっこみれべる:スタイリッシュ3
とくぎ:捌き、はねまんをいっぱいあがる。
びこう:いけぶくろでの緊急クエスト某イベントののち、ゆくえしれずになりました。
みかけた方は、5サバ(ラグス)コフィーの前「つかぴょん」まで。
何を目的として、そこに座り牌を握るのか?
まず、それをしっかり心に刻もう。
覚悟を決めたのならば、逡巡してはいけない。
ノーレート麻雀は、麻雀の内容でしか責任の取れない。
よい麻雀にするには、その意識が不可欠である。
それは、対局者により、粋に感じて変化するもの。
目的は対局者により異なる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
寝ぼけて手繰りよせた携帯にせんぱいからの着信。
現在のモチベーションでも、半荘3回くらいならば、死力を尽くせそうだ。
せんぱいと競うものは、
「トップ取りを視野に入れた内容のある対局。」
これが、至上の目的である。
よし、出かけよう。
灼熱の真夏日、一時間400円を払っての麻雀はしんどい。
けれど、対戦相手が上質ならば、それでも安いくらいだ。
麻雀は、誰と何を目的として打つか?それが大切。
麻雀は、目的が変われば、その内容は変化する。
ここでの麻雀の目的はいわゆる他とは違い
「胸を張ってしっかり闘うこと。」
これを至上と目的とする麻雀。
そういう想いのこもっていない点棒など、ドブに捨ててしまえばよい。
大切なことは何なのか?
それが、みつからないのならば、牌は握るべきではない。
私が、その店に到着すると、Y氏とせんぱいと、つ会の人が対局中。
ちょうど、オーラスだった。
つ会の人は、13000点くらい。
トリプルツモで、トップ。
倍満では、届かない。
Y氏が、トップ取りの手役に苦心している様子から、
おそらくここでの目的とする麻雀は、間違いなく点棒ではなく、内容。
おのれが矜持。
そうして、
つ会の人に以下の形が入る。
ドラは、東。
②④④⑤⑤⑥⑥東東白白中中中
白は、場に2枚見えている。
うーんと逡巡している様子をみて、後ろ見の私もY氏もせんぱいも、
トップ取りへの準備ができていないのだと、気づく。
トリプルが条件ならば、
リーチをかけて、一発でドラの東をツモる。
リーチ一発ツモメンホンイーペーコー中ドラ3
これ以外に選択肢はない。
針の穴のような可能性だが、この対局者の想いを大切にするならば、
それ以外の選択肢は存在しない。
どうすれば、
「いやあ、よい麻雀だった。」
と感じてもらえるか?感じることができるか?
それを必死で考えることが誠意である。
ラスの点棒でオーラスを迎えたいきさつは知らない。
けれど、その点棒でできることは、着順の変わらない倍満ではないはずだ。
相手の気持ちを考えなさい。
それが、おもいやりのある麻雀である。
つかさ会でのお勉強対局とは、また目的が違うのだ。
裏ドラに期待する麻雀など野暮だ。
まさか、チートイには受けないだろうな。
チートイに受けるのならば、ツモで裏ドラ期待のみだろうから。
しかも②は、そのすべてを賭けるには根拠の足りない牌。
逡巡したあげく、中を切り②単騎でリーチ。
②④④⑤⑤⑥⑥東東白白中中
この牌でのロン和了に意味がない、とせんぱいが切り飛ばした②で和了。
出ると思わなかったのだろう。
ロン和了に根拠のない②だ。
出るよ、せんぱいは「あたられるとは、夢にも思っていない。」のだから。
この和了に裏ドラがのっても、10本で、とにかくロン和了は無意味。
リーチメンホンチートイドラドラにドラが2枚増えても意味がない。
せめて、裏ドラに期待するのならば、ツモ和了である。
和了して、トップではない。
場をなんともいえない残念な空気が包む。
これが、この空気が全ての答えなのだ。
なぜ、あなたほどの人がそんな倍満を和了するのか?
対局者も本人もまた、麻雀牌も、誰も幸せにならない哀しい和了。
せめて、全く逡巡なく、リーチを打ち、点棒申告の準備が出来ていれば、まだみんな救われる。
迷いがなければ、
「牌が、和了してくれ、と押し寄せてくる。これを和了しないのは、牌に失礼だと思う。
申し訳ないけれど、和了させていただく。」
とのハナシも全然ありである。
牌を大切にしている。立派な理由があるのだから。
であれば、迷ってはいけない。
麻雀の神様は、オーラスにその心の奥に潜むものを覗き込もうとする。
試練。
誘惑に負けず、本懐を果たすことができるにたる人間かどうか。
せんぱいたちが席を外しているいとま、Y氏が寂しそうに口を開く。
「悪くはないですよ。悪くはない。けれど、きづけていない。
その先にあるものには、きっとたどり着けないでしょうね。」
このつ会のひとの打牌の責任は、私にもある。
人それぞれ、思うところがあり、その精一杯があり、それは尊いもので、値踏みしてはいけない。
彼を責めるつもりはない。そう、ただ、まだ長い旅路の途中なのだから。
迷い苦しみ、それでも意識を高く持ちたい、そう願う気持ちがある限り、
いつでも、それは、いつかの為の肥やしとなる。
未来を信じて、慌てず積み重ねてゆけば良い。
今の自分が全てではない。
よい、わるい、の問題ではない。
けれど、せんぱいや、Y氏に対して、私は申し訳無く思う。
たまらなくやるせないのだ。そう感じていることにも意味がある。
「対局者と牌を大切に。」
これを、届けとばかりに唱え続けてなお、伝えきれていない自分の無力さ。
「けれど、こればかりは、本人が自分で「気づく」しかないのだ。
返せば、これは、
「人生における全ての邂逅と事象を大切にすること。」である。
繰り返すけれど、これが、普通のスコアを目指す麻雀ならば、16000点の得点には意味がある。
何の問題もない。
けれど、そうではない、ということ。
せめて、このあとの対局に、私の持てる想いを全て捧げよう。
それがせんぱいや、Y氏に対する私のせめてもの誠意である。
全身全霊をかけて。
私は、私の言葉の責任を、果たさなければならない。
眠気は飛んだ。
別卓で、年甲斐も無くはしゃいでいるロートルの奇声ももう聞こえない。
つ会の人は、奇しくも、私の友人である。
その汚名は私が代わりに返上して責任を取る。
全ての打牌から相手の手の打ちを推察して打ち切ってやる。
7月27日(土曜日)午前11時から
よつば会にて。
7月26日(金曜日)はクローバー開催です。午後4時半から
下記アドレスより、
http://s.ameblo.jp/428km/
小林 剛様、shoot39様、内田慶様、F森様の対局をニコニコにアップしてくださいました。
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2013-07-21 23:18
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