フリー雀荘でメンバーさんが、話かけてくれる。
「勝ってるひとって、ベタオリが上手ですよね。
ぼくは、麻雀ってそこも大事だと思うんです。 」
うん。それは、そのとおりだ、とおもう。
色々お返事差し上げたいことはあったけれど
どのようにすれば、ちゃんと伝わるか、よくわからなかったし
メンバーさんも仕事中なので、
「場況判断がしっかりできていて、
手牌に溺れない押し引きができてることは、
とても大事だと思う。」
とだけ返す。
和了することと、おりること、それ以外のとても大事なことがある。
それをお伝えしたくても、
私は彼との同卓の機会がないのだから、
どうにも、言葉をつかってうまく伝えることに自信がないので、
そういう当たりさわりのないことしか、伝えられない。
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つかさ会で観戦をしていて、「すごいな」と思うことは、
天鳳の高段者たちの打牌だ。
どんなドキドキな手牌でも、
「打てない」と判断したなら
ノータイムでメンツの中抜きをする。
これは、「条件に見合わないときには、振り込まない」
という、ロジックがあるからだ、と思う。
ピンフのテンパイからでも、ガシガシ壊す。
スジとか、ワンチャンスとか、そういう中途半端な牌は切らない。
押し引き。
よく打てていると思う。
ただ、自分とは違う。
そういう潔い決断を受け止めながらも、
それとは違う意味合いで、何とも言えない寂寥感に包まれる。
絶望しない一番の方法は、
「諦めること」だ、そうだ。
手牌を諦めてしまうこと。
「ダメなら諦めますわ~」
これを前提に打ってしまわざるを得ない
ある意味正しい麻雀に対して
私は、とても抵抗を感じるのだ。
これは、おのおのの哲学の問題だから、
これもまた私見になるのだけど。
できることなら、
「ダメになって諦めずにすむように」
工夫をするべきだ、と思うのだ。
「ダメだったらおりますわ~」の結果,失点を防ぐより、
「ダメにならないように、工夫する」の結果
かなわず失点するほうが未来を感じることができて、好き。
例えば、親リーチがささる。
親リーチには振りこむことはできない。
親リーチが来るまでしか、自分の手牌は
和了に向けて組まない、ではなくて、
そうならないように、場の状況に対して
工夫をするのだ。
(自分の手牌かわいい!危険牌をゼンツなんて言うのは論外)
やれることは、すべてやる。
やれることはすべてやらなければない。
それが、麻雀だ、と思うのだ。
諦めずに、道を見つける。
その感覚を持って、実戦できることが
麻雀の大きな魅力のひとつだ、と私は思う。