地震、かみなり、火事、親リー。


親リーは、こわい。


振り込んではいけない。


本当に、そうだろうか?


親リーには、振り込みたくない、だからこそ、降りてはいけない。


自分は、そう思うのだ。


早い巡目で、親リーチをうけた時に、


自分の手牌が、いけそうになかったなら、すぐさま


「ベタオリ」を選択してはいないだろうか?


親リーに、振り込まないことは、誰にだってできる。


以下、私見である。


もし、自分が親リーチを打ったときに、一番嫌な相手は、「振り込まずに、むかってくる」ひと。


もっと、いうなら、「振り込まずに、親リーチを利用して、むかってくる」そういう相手だ。


全員が、セオリー通りに打てたとして、五分五分の勝負だとして、


「セオリーを理解したうえでの新しい選択肢」を見つけ出すことできたなら、


六分四分の、こちらが有利な勝負にできるかもしれない。


そういう可能性を追うことも、麻雀の楽しみだ。


また、ベタオリは、「ベタオリ」しか学ぶことができない。


けれど、戦いから「おりる」のではなく、「受けておしかえすこと」で。


負け戦を、勝ち戦に変えることだってできる。


例えば、開局早々に、親にダブリーを打たれたとする。


親の1打目は、3p.


ドラが北。


13569m236p19s東南北


自分が西家だとする。


「こんなもん、わかるはずがない。」


だけど、確定しているこちらのメリットは


①親はツモ切りしかしない。


②他家も、親に振り込まないように打つ。


③親は、ツモ切るだけのマシーン。


ソーズの上と下。マンズの9mさえ、なんとかなれば、


押し返せそうな感覚。


ドラが北だからドラさえはいってなければ


まあ、裏ドラ次第ではあるけれど、マックス3900点くらいじゃないのかしら。


早い巡目のリーチは、工夫の重ねようがない、


「未成熟なリーチ」である可能性が高いから、


基本、押し返さないと、損だと思う。


押し返さないと、


・流局時にテンパイ料を取られる。


・つもられちゃう


・自分の手牌の可能性を潰されちゃう。


・押し返すを学ぶ機会を失う。


と、いいことが何一つない。


ただ、やみくもに押し返すのではなくて、


場を精査しながら、通りそうな牌を選定して牌を切り出す。


まず、このダブリーに対して、他家がどうするか、を観察する。


向かってゆく他家が、他にいれば、そのひとは、


・手牌の形がよい


・打点がある


などの可能性があるわけだから、そこから、手牌を推察する。




他家も、親リーチにむかってはゆかない、と推察した、と仮定して考えてみよう。。


とりあえず、この親リーに対して、1打目は、現物の3pを抜く。


この先、4pを持ってきて、3pチーでの復活もある。


3pは、親リーチの現物なので、将来場に落ちやすい牌でもある。


安易に現物以外の牌を切って、


ダブリーイッパツ、なんて振り込んでしまったら、身もふたもない。


1巡たてば、新しい情報が落ちる。


親に振り込まない牌と、親に振り込みたくない他家の牌が、河に落ちる。


ツモ切りマシーンの親。


親に振りたくないマシーンの他家。


ちゃんと、精査してゆけば必ず押し返すことができる。


そうやって、結果振り込もことになったとしても、


押し返そうとして重ねた思考は、必ず自分の力となって返ってくる。


押し返そうとした地点で、ものすごくたくさんのことを考えることができているはずだ。


押し返せなかったために、積もられてしまう、という結果は、


ある意味、失点と同じだ。


ひとつひとつの局面を、諦めず、放り出さず、どんな状況でも


「戦う」習慣を持つこと。


どのように、戦うか、をしっかり整えること。


自分のいらない牌をただ切り出して、和了にむかうことは、


押し返す、というよりは、単なるゼンツで、誰にでもできること。


親リーにおりること、と同じく、頑張ってるように見えて、


手を抜いて横着をしているだけだ。


しっかりと考えて、押し返していると、パズルが解けるように


道がみえてくる。


その瞬間が、やはり、たまらなく楽しいのだ。